揺れる上杉家1
上杉家と言っても、謙信の代に守護代であった長尾家が関東管領 上杉家から養子になって上杉と名乗った家である。
長尾家自体、いくつかの分家があり、謙信もその分家や他の国衆を力で抑えながら越後を統一するのがやっとであった。
しかも関東管領職を継いだ為、関東への出兵、また、武田に追われた信濃の国衆の為、信濃への出兵を繰り返した為、越後国内も離叛が絶えず、謙信自身、戦さに明け暮れた日々を過ごした。
謙信には養子が二人いた。
一人は北条からの養子 景虎、もう一人は上田長尾家から迎えた養子 景勝であった。
謙信はどちらを世継ぎにするか決めない内に亡くなった為、二人の間に御館の乱という戦さが起こり、景勝が勝利したが、謙信の広げた版図は失われてしまった。
景勝はこれを取り戻すのに必死であった。
東は北条、西は羽柴、南は徳川と戦っていたが、民も疲弊し、景勝自身も戦さの落とし所を探しているところであった。
そんな時に、徳川が羽柴筑前守によって討たれ、旧武田家臣達が降ったという知らせが、配下の忍び、軒猿によってもたらされた。
景勝は直江兼続を呼び出した。
「兼続。」
「羽柴筑前守のことでございますな。」
兼続は寡黙な景勝の目であった。
「有無」
「筑前と結ぶか戦うか?
筑前の出方しだいと思います。
近頃、真田の次男の元に使者がやたり行き来しております。
近々、真田から上杉になんらかの知らせが来るものと。」
「そうか。沼田は。」
「場合によっては諦めるしかないかと…」
「あいわかった。後は任せた。」
「かしこまりました。」
景勝は退座した。
兼続は、やや楽観的であった。
「沼田は諦めるにしても羽柴は上杉と手を結びたがっているようだ。」
兼続も軒猿からの知らせで羽柴筑前守の考えは大方掴んでいた。
「後は、家臣の方々をどう説得するかだけだな。」




