小牧・長久手の戦術1
秀吉は幕府を開きたかったが、どうしても抑えられない場所があった。
その場所を抑えて幕府が開けたらどのような幕府が完成したかを描く。
旧織田家を支配下においた羽柴筑前守秀吉に対し、利用されたと気づいた織田中将信雄は、徳川参議家康に接近した。
秀吉はこの動きには気づいていたが、
「三介殿のなさる事よ。徳川殿も乗ってくることはあるまい」
とタカをくくっていたが、織田・徳川家が組んだと知ってやや慌てた。
事実上の織田家の家督は今や信雄がついでいたからであった。
「徳川参議を相手にするか。いささか手こずるかもしれない。
官兵衛も徳川家は相手にはしない方が良いと言っていたが、さて如何にするか?
今回、奴らは四国勢も巻き込んで、当方への包囲網をかけているようだが、大坂の備えは誰にするかをまず決めねばならない。」
そこへ官兵衛が現れた。
「おお、官兵衛よいところへ。こたびの戦さどう見る。」
「殿、徳川と戦う以上は完膚なきまでに叩く必要があります。東国を抑えれば、帝や摂関家に有無を言わさず将軍となることができます。
殿は西国の戦さはお得意ですが、東国はいかがでございまするか?」
「あまり得意ではない。なにせ亡き上様が東国を徳川殿に任せたからな。」
「ならば、戦術も含めて、この官兵衛にお任せ願えますでしょうか?
たとえ敵が出て来て挑発しても軽々しくお出にならないようにお願い申し上げます。」
将軍家という言葉と聞いて、秀吉は心動かさせれていたので、
「官兵衛、そなたに任せた。
ワシはしばし病気と称して奥にこもる。
お寧と小一郎(秀長)とそなたにしか会わんからな。」
「ありがたき幸せ。官兵衛、知恵を絞り出してございます。」
その日から秀吉は病となった。