第4回 グレン・グールドのゴルトベルク変奏曲 1955年版と1981年版を聴き比べて分かる事
グレン・グールドというピアニストを、ご存じですか?
クラシックのピアニストなんですが、ロックファンの中にも、彼の演奏を好む人が多いようで、ブログ等で時々話題にされているのを見かける事があります。
とにかく、テクニックの凄い人です。
そして、響きにモダンなセンスと適度な潤いがあるのも魅力です。
グールドは1955年に、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」というピアノ独奏曲を録音し、1956年にアルバムとして発表しています。
これが彼のデビューアルバムにして、最高傑作だと私は思っています。
バッハの威厳ある音楽を、彼ほど軽快に、しかも驚異的に緻密なテクニックで演奏したピアニストは、それまで音楽界に皆無でした。
いや、一人、女流チェンバロ奏者のワンダ・ランドフスカが、1933年にグールドに比較的近いアプローチで、この曲を録音していますが、チェンバロという特殊な音色の楽器ゆえに、あまり共通点が論じられることはないようです。
グールドは、彼女の演奏を参考にして、自分の演奏スタイルを形成したと、私は見ています。
こんな風に、グールドの「ゴルトベルク変奏曲」周辺の事情を語り出すと、切りがないくらい、私は彼の演奏が好きなんですが、今回は、あんまり話が長くならないように、一点の話題に絞ってお話したいと思います。
それは、グールドが「ゴルトベルク変奏曲」を、1955年と1981年の2回、スタジオで録音している、という事に関連します。(他にもラジオやライブでの録音もあります。)
同じ曲目を、何度か録音、発表する、というパターンは、クラシックの音楽家では、さほど珍しい事ではなく、年齢や技術、精神面や活動状況の変化によって、演奏の内容が変化する部分を鑑賞する、という楽しみ方が、音楽ファンの間で定着しているわけですが、グールドの「ゴルトベルク変奏曲」に関しては、その変化が非常に顕著な所に、際立った特徴があります。
まず、一聴して気が付くのは、1981年の録音の、一曲目の「アリア」の、テンポの異様なまでの遅さです。
一音一音、確かめるように、慎重に音を置いて行くような、ちょっと聴いている側からすると、まだるっこしささえ感じる間延びした演奏です。
この、1981年の演奏を聴くと、いかに1955年の演奏が、曲に相応しいテンポで弾かれていたかが分かります。
ところが、1955年の録音は、実は発表当時、「テンポが異様に早い」として、一部の評論家から批判された演奏なのです。
どうして、こんな相反する評価が生じているのでしょう。
そもそも、バッハの残したこの曲の譜面には、強弱記号や速度記号が書き込まれていません。
ですから、どんな表現で、どんなテンポで演奏しようと、基本的には演奏者の自由なのです。
それなのに、「この曲にしては」、「遅い」とか「速い」とか、聴き手が勝手に判断して論評しているわけです。
かといって、どんな速度で演奏しようと自然な演奏ができる、というわけでもない事は、何となく想像できますよね。
だって、作曲者のバッハには、この曲にふさわしいテンポのイメージというものが、おそらくあったでしょうから。
それを探り探り演奏するところに、バッハの曲を演奏する楽しみがあるのではないかな、とも思います。
また、聴き手の側も、初めに聴いた演奏のテンポ(私の場合は1955年の録音)に慣らされる、という面があるので、それとは異なるテンポの演奏(1981年の録音)に接する時には、記憶から来る感覚をいったん脇に置いて、感覚をフラットにした状態で聴くように心がける必要がありそうです。
その中で、曲にふさわしいテンポ、聴き手の好むテンポだと感じるなら、それが「今現在の」あなたにとっての、最善のバッハ、という事になるのではないかと思います。