第20回 好きなキーボード奏者8選 オールジャンルから選出
昨年完結させた音楽コラム『ロックの歴史』の中で、私の好きな楽器奏者やボーカリストを、ランキング形式で紹介する、という事を、折に触れてやっていましたが、完結後に、「おや?」と気が付いた方もいたかもしれないですね。
「キーボード奏者のランキングがなかったねぇ。」という事に。
音楽コラム『ロックの歴史』
https://ncode.syosetu.com/n5901ee/
これは、単純に、私が心から「凄い」と思えるキーボード奏者が、今昔の音楽シーンに少ない事が原因です。
いや、ピアノやオルガンなど、楽器自体の音色や、それを生かした音楽は、好きなんですよ。
ただ、どうも、私はキーボード奏者に対して、他の楽器奏者よりも厳しく評価するところがあるようで、それに加えて自分の好みの音色や表現の方向性も狭いので、その基準を潜り抜けて、なおかつ「凄い」とまで言える演奏家を見つけるというのが、けっこう難しいのです。
それでも、改めて好きなキーボード奏者の名前を書き出してみると、8名挙げる事ができたので、今回は、この選りすぐりの8名を、皆さんにご紹介してみたいと思います。
オールジャンルからの選出ですが、意外な事に、ロックからの選出が少ないです。
ルネッサンスのジョン・タウトや、クイーンのフレディ・マーキュリーなど、聴いていて心から上手いなと思える素晴らしいキーボード奏者は、ロック界に限ってもたくさんいるんですが、その水準で選ぶと、あの人もこの人もとなって逆に絞り切れないので、ここで選ばれているのは、並大抵の人では到達できない、技術的、芸術的高みに達して個性をも確立した、キーボード奏者として音楽史に名を残すほどの真の巨匠たち、だと思って下さい。
また、いずれも唯一無二のかけがえのない演奏家なので、今回はランク付けは行わない事にします。
-----------------------------------------------------
パワー・ビッグス (クラシック、Power Biggs、1906年3月29日 - 1977年3月10日)
イギリス出身で、アメリカに移住して成功したクラシックのキーボード奏者です。
一昔前の演奏家という事もあり、近年では名前が知られていない存在になりつつあるんですが、クラシック界でも数少ないパイプオルガンの名手として、特にバロック音楽がお好きな方にお勧めしたい演奏家です。
パイプオルガンというのは、西洋の古い教会にデーンと据えてある、金属製や木製の太いパイプがたくさん上に伸びた、あの巨大な楽器の事です。
意外とデリケートな楽器で、調整や整備が難しく、まともに弾ける状態を維持するのさえ大変なんだそうです。
風箱と呼ばれる装置からキーボードの操作で風をパイプに送り込んで、笛のように音を鳴らす仕組みです。
教会の高い天井と相まって、底力のある、それでいて典雅な音色が楽しめます。
用いられた材料の質、製作者の技能などの影響もあって、教会ごとに音色がかなり異なる、というのも、パイプオルガンの一つの大きな特徴になっています。
非常に歴史のある楽器で、紀元前から原型となる楽器が制作されていた事が分かっています。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハが活躍していた18世紀(1700年代ごろ)には構造や製造法が発達して、全盛期を迎えます。
ビッグスのパイプオルガン演奏で私が好きなのは、バッハの名曲「トッカータとフーガ ニ短調 BWV 565」です。
(コミックソングで有名な嘉門タツオが歌った冗談ソング、「鼻から牛乳」の元曲として広く知られているのが、ちょっと残念)
この曲は、カール・リヒターのスマートな演奏を高校生の頃に最初に聴いて、「かっこいいな~」と感心して、そこからクラシックに興味を持つようになったという、私にとって思い出の曲でもあります。
ビッグスの演奏は、力強さと哀愁を程よくバランスさせた、人間味のある響きが魅力です。
バッハの音楽は特に、このバランス感覚が難しいようで、甘くなり過ぎたり、逆にドライになり過ぎたりと、なかなかちょうどいい演奏ができる演奏家に巡り会えないというところがあります。
その点、ビッグスはバッハのどの曲を弾いても、その曲に相応しい、無理のない器の大きな演奏ができるので、安心して聴く事ができます。
ビッグスもこの「トッカータとフーガ ニ短調 BWV 565」がことのほか好きだったようで、期間を開けて何度も録音しているんですが、一番解釈が安定して聴きごたえがあるのは、1953年にストックホルムで録音したバージョンです。
-----------------------------------------------------
リック・ウェイクマン (ロック、Rick Wakeman、1949年5月18日 - )
イギリスのプログレッシブロックバンド、イエスの技巧派キーボード奏者として、ロック界ではかなり名前の知られた人です。
技巧面では、間違いなくロック界のトップクラスに位置するでしょう。
目のくらむような超絶的な速弾きの素晴らしさはもちろんの事、ピアノ、ハモンドオルガン、メロトロンなど、各種鍵盤楽器を駆使して、一聴して彼の演奏だと分かる個性的なメロディーラインを紡ぎ出すセンスにも圧倒させられます。
『ロックの歴史』でも度々触れましたが、1970年代初頭にイエスは音楽的成果の絶頂期を迎えます。その要となったのが、ウェイクマンの超人的なキーボードサウンドだったのは言うまでもありません。
ちょうどそのころ、ウェイクマンはソロアルバムでも名盤を残していて、私はそこでの、より自由闊達でのびのびとしたキーボードプレイが大好きで、よく聴きます。
1973年発表の『The Six Wives of Henry VIII(邦題『ヘンリー八世の六人の妻』)』というアルバムです。
2014年にリマスター版が発売されているので、ご興味があれば、ぜひ良い音で、彼お得意の激むずフレーズ弾きまくり大会を楽しんで下さい。
-----------------------------------------------------
グレン・グールド (クラシック、Glenn Gould、 1932年9月25日 - 1982年10月4日)
カナダ出身のピアニストで、バロック音楽、特にJ.S.バッハの曲を得意とした演奏家です。
このコラム連載の第4回でも話題にしましたが、私がとりわけ好きでよく聴くクラシック奏者の一人です。
上記のビッグスのところでも語った通り、バッハの曲は、最適な演奏者が極端に限られるところがあります。
理知的なレガートをキープできて、甘さに流されず、それでいて情緒もあって、素朴な力強さも感じられる。
それらの条件をクリアできる演奏家なんて、世界広しといえどもめったにいないのです。
だからこそ、バッハの得意な演奏家は、とりわけ貴重になります。
中でも彼の若いころ、1950年代の演奏こそ、その純粋さという点で、比類のない美しさが堪能できる名演の宝庫です。
余談ですが、私は彼の名前を、「グルード」だと思っていて、第4回のコラムでもそう表記していました。(今は修正しています。)
ところが、ウィキペディアを見ると、「グールド」の表記になっていて、そう読む理由まで説明されています。
だから、単に私の覚え間違いかと思ったんですが、試しに「グルード」で検索してみると、ちゃんと正規のCDのタイトルで、その表記が用いられているではありませんか。
グレン・グルード、確かに、こちらの方が語呂が良くて覚えやすいというのはあります。
しかし、より実際の発音に近いのは「グールド」の方。
これは、ご本人さんに敬意を払うためにも、覚えなおす必要がありますね。
だって、例えば私たちだって、自分の名前が、海外で間違った呼ばれ方をしていたら、良い気持ちはしないでしょうからね。
-----------------------------------------------------
クララ・ハスキル (クラシック、Clara Haskil、1895年1月7日 - 1960年12月7日)
ハスキルはルーマニア出身の女流ピアニストで、最も得意とする作曲家は、モーツァルトです。
バッハが得意なビッグスやグールドがいるように、その他の作曲家にも、このハスキルのように、それぞれ、曲を得意としてくれる演奏家がいます。
なにも、その作曲家の曲ばかり演奏しているわけではないんですが、やっぱり、得意とする作曲家の曲を弾かせると、しっくり来る、そんな相性が、作曲家と演奏家の間には、あるのです。
で、モーツァルトの曲にふさわしい演奏とは、どんな演奏かというと、まずは愛らしさ、音の粒の明瞭さが求められ、続いて、はかなさ、レガートの滑らかさ、清浄な優しさ、こういった要素が求められます。
求められる要素から言っても、男性よりは女性の奏者に適任者が多そうな作曲家ですね。
そして、ハスキルの演奏は、見事にすべての条件を満たした、まさに「モーツァルト弾き」の代表と呼んで差支えのない素晴らしいものです。
柔らかく、はかなげで、それでいてピチピチと跳ねる若々しさもある。
ピアノ協奏曲を数多く録音してくれていて、どれを聴いても水準以上の好演を楽しめます。
実力が正当に評価され始めたのは50歳を過ぎてからという、遅咲きの大輪ですが、そのころの録音(1950年代)を聴けば、年齢を一切感じさせない清らかなみずみずしさに魅了されること間違いなしです。
-----------------------------------------------------
ソロモン・カットナー (クラシック、Solomon Cutner、1902年8月6日 - 1988年2月2日)
イギリス出身のピアニストで、こちらはベートーヴェンの演奏家として特に優れた功績を残しています。
ビッグスとこのソロモンは、私がクラシック音楽について全くの無知だった20代前半頃に読んだ、吉田秀和さんという音楽評論家の書籍の中で、名演奏家として名前が挙げられていた人たちです。
近頃の名盤ガイド本などではあまり見かける事のない名前なので、もしかすると、吉田さんの本で紹介してもらえなければ、今でも私は二人の音楽に出会えていなかった可能性があります。
自分の知っている良いものを人に教えるというのは、本当に大事な事ですね。
ソロモンの得意分野は、ピアノソナタです。
ソナタというのは、数楽章で一曲になった、器楽独奏を主体にした演奏曲の事です。
ベートーヴェンはピアノソナタを32曲書いていて、ソロモンは全曲を録音すべく取り組んでいたんですが、残念ながら病気の影響で演奏活動自体を続けられなくなり、ソナタの録音も道半ばで途絶えてしまう事となりました。
それでも、後期の名曲の数々と、中期の名曲の多くが録音されているので、私たちは現在、それをありがたく思いつつ楽しむ事ができます。
ベートーヴェンの演奏に必要な要素を考えてみると、まずは、真剣さ、真面目さ、意志の強さが挙げられます。その次には、ロマンチシズム、美への一途な憧れが必要です。
ベートーヴェン自身の性格や性質が、音楽に如実に表れています。
真面目さとロマンチシズム、これの両立が、演奏する上では難しいようで、大抵の演奏家は、どちらかに偏ってしまいます。
その点、ソロモンはどこまでもしっかりした芯でまん中に立ち、時に厳しく、時に柔らかく、刻々と変化して行く曲調に的確に対応した演奏を一分の隙も無く紡ぎ出して行きます。
彼の表現は独白のように内省的なだけに、ピアノだけで完結し、完成しているので、ソナタの演奏が一番しっくり来るんですが、それゆえ、他の楽器が加わって、テンポや音量などを合わせなければいけない協奏曲などの演奏では、彼本来の良さがそれほど出せていない気がします。
ただ、同時代の、同じく内省的でロマンチックな音楽的方向性を持つ指揮者であるフルトヴェングラーが共演相手だったら、協奏曲でも素晴らしくオケと調和した感動的な演奏ができたかもしれません。
一度でいいから、この大好きな二人に共演して録音を残してほしかったです。
-----------------------------------------------------
アルフレッド・コルトー (クラシック、Alfred Cortot、1877年9月26日 - 1962年6月15日)
フランス出身のピアニストで、レコードが普及し始めた時代(1920年代)から、ショパンの演奏家として高く評価されている人です。
フランス人は、詩的な表現に長けているようで、その性質が、「ピアノの詩人」と呼ばれるショパンのロマンティックな曲を演奏する時に奏功するのだろうと思います。
美しくて優しくて、心を落ち着かせてくれる演奏を聴きたいと思った時、私はよく、コルトーのショパンの曲をかけます。
ただし、そこには常に、そこはかとない不安があります。
それは、戦時中フランスを占領したナチスに協力して、コルトーがフランスやドイツで頻繁に演奏を行った、という経歴に由来しています。
そのかどで、コルトーは戦後、母国での演奏活動を禁止されてしまったそうです。
しかし、1920年代の彼の演奏は、彼の誤った行動とは切り離して鑑賞したくなるほど、素晴らしいものです。
こんなにも美しい演奏ができる人が、亡命を選ばず、ナチスに協力する道を選んでしまった、というところに、人間の危うさがあります。
「強大な権力を前にすれば、一個の人間の力など無いに等しい。協力はやむを得なかった。罪に問うのはおかしい。」と言ってかばおうとする人もいるでしょうが、そういう人々が結果としてナチスの美化に加担し、横暴を支えたのだから、やはり全くの無実ではありえないのです。
ただ彼の演奏の素晴らしさだけを語って、紹介を終える事もできたんですが、背景を知り、それでも好きだと言える音楽である事を伝えたくて、こういう負の面も含む紹介になりました。
聴こうと思う人が少なくなってしまうかもしれませんが、こういう背景を知ったうえで聴く意義もあると思うので、ショパンを最も詩的で美しい演奏で聴きたい、という方は、どうぞ臆せず聴いてみて下さい。
-----------------------------------------------------
バド・パウエル (ジャズ、Bud Powell、1924年9月27日 - 1966年7月31日)
ジャズはアメリカで生まれた音楽です。
1910年代頃、生まれて間もないジャズは、各楽器の音色が絡み合う合奏の面白さを楽しむための音楽でした。
それが、1920年代に、トランぺッターのルイ・アームストロングや、ピアニストのアール・ハインズなど、新しいテクニックを追求する若手のジャズマンが台頭した事により、ジャズは個々の演奏者がアドリブの腕前を披露するための音楽として急速に発達を始めます。
それからおよそ25年後の1945年頃、ジャズはアルトサックス奏者のチャーリー・パーカーなど新進の演奏家たちによって生み出された革新的な演奏様式、「ビバップ」の登場によって、より複雑で難解な演奏表現が可能になります。
ビバップがジャズに起こした音楽的変化があまりにも大きかったため、それ以降のジャズは、「モダンジャズ」と呼ばれて、それ以前のジャズとは区別されるようにもなりました。
前説が長くなりましたが、バド・パウエルは、このビバップが誕生した頃に登場して、いち早くビバップスタイルのピアニストの頂点に上り詰めた、超絶技巧のピアニストです。
彼の演奏の凄いところは、右手で奏でられるメロディラインの完成度や流麗さだけでなく、左手で奏でるコードも、単調にならないように複雑なリズムパターンで弾く事ができる、という点です。
一般的なジャズピアニストであれば、左手はある程度単純で類型的なパターンの繰り返しにして、右手のメロディの方に重点を置く、という弾き方になりがちなので、和音やリズムに変化が乏しい分、時に物足りなく感じられる事もあるんですが、バドの場合はどこを切っても新鮮で充実した響きになっているので、聴いていて凄みさえ感じるほどの満足感があります。
彼のこの聴き手を圧倒するような技の冴えが最もダイレクトに堪能できるのは、1940年代後半から1950年代前半にかけて録音された、ベースとドラムスを従えたトリオ演奏においてです。
リズム隊の後押しを受けて、急速調の曲では兎が野原を駆け抜けるようなスピード感を、ミドルテンポ以下の曲では豊かな楽想によるダイナミックでエレガントな美技の数々を堪能できます。
-----------------------------------------------------
ビル・エヴァンス (ジャズ、Bill Evans、1929年8月16日 - 1980年9月15日)
バド・パウエルたちの活躍によってジャズに革命を起こしたビバップですが、さすがに10年も経つ頃には、過去のプレイの安易な焼き直しに堕するというマンネリズムに陥るプレイヤーが目立つようになって来ます。
そんな中、進化する事を宿命づけられたジャズらしく、ベテランから新進気鋭まで、才能あるミュージシャンたちは、新しい方向性を見出してマンネリ化から脱するべく、様々な音楽的試みを行うようにもなって行きます。
ビル・エヴァンスも、出発点はバド・パウエルの歯切れのいいビバップスタイルでしたが、徐々に彼特有の高貴な穏やかさと、和音のより柔軟な展開を獲得して行き、1959年には、トランぺッターのマイルス・デイヴィスの名盤『カインド・オブ・ブルー』に参加して、新時代の幕開けとなる、ビバップスタイルに頼らないより自由なフレージングによるジャズ、〝モードジャズ〟の完成に寄与する事になります。
説明だけ読むと、ジャズって難しそう、と思うかもしれませんが、ビル・エヴァンスのピアノプレイは、むしろビバップの高踏的な固い演奏に比べて、親しみやすい分かりやすさと、柔軟な美しさがあるので、ジャズ初心者の人でもとっつきやすいです。
彼がリーダーを務めるピアノトリオが1961年に発表したライブ盤、『ワルツ・フォー・デビー』を、まずは聴いてみて下さい。
小難しい事は分からなくても、心にしっとりとしみ込んでくる、美音と美メロディの連続に、うっとりさせられること請け合いです。
私だって、音楽理論なんて全く分からないけど、ジャズを楽しめているんですから、どうぞ、初めから無理だなんて諦めてしまわずに、思い切って敷居を越えて、心躍る新しい音楽に出会いに来てください。




