第15回 RIP エディ・ヴァン・ヘイレン (その3) 『1984』シンセサイザーを用いたロックの名盤
前回から間が開きましたが、ヴァンヘイレンのギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレンの追悼エッセイの3回目をお送りします。
追悼回は今回で最後です。
これまでのエッセイでは、ヴァンヘイレンのデビューに際しての名エンジニアとの出会いや、先輩格のギターヒーロー、ジミー・ペイジのプレイスタイルとの比較について語らせてもらいました。
「おいおい、肝心の、エディのギターの腕前を褒め讃える話が、あまりないじゃないか」と、思うでしょう?
実は、今回も、副題の通り、テーマはギター以外の事なんです。
どうして、エディの追悼エッセイなのに、彼のギターの才能の事をあまり話さないのか、というと、そういう話は、音楽雑誌や、熱心なファンの方のブログなどで、もう十分に語り尽くされているからです。
その上、ミーハーなファンの私が同じ事を語っても、ありきたりで内容の乏しい追悼になってしまうでしょう。
それなら、ギター以外の事を語る事で、エディの人柄や、ヴァンヘイレンの魅力を、補完的に伝えようと、そういう気持ちから、自分なりの追悼を行う事にしたわけです。
で、今回取り上げるのは、ヴァンヘイレンが1984年に発表したアルバム、その名もズバリ『1984』です。
タイトル盗作の常習者である村上春樹が、『1Q84』という小説を書いていますが、これは、実はヴァンヘイレンが元ネタではありません。
イギリスの小説家、ジョージ・オーウェルが1949年に刊行した小説、『1984年』が元ネタです。
ただし、この小説の原題は、『Nineteen Eighty-Four』と、数字ではなくアルファベットの表記なので、村上春樹はそれをアラビア数字に変え、「9」を「Q」に変えて拝借したのではないか、と推測します。
一方のヴァン・ヘイレンのアルバムの正式タイトルは、アラビア数字で1984を意味する、ローマ数字の『MCMLXXXIV』なので、『1984』は一般的に読みやすいように表記を変更された通称、という事になります。
オーウェルの小説は未読ですが、全体主義の国家の恐怖を描いたディストピア小説、なんだそうです。
そして、ヴァンヘイレンのアルバム、『1984』は、オーウェルの小説とは正反対の、アメリカ西海岸の太陽がさんさんときらめく底抜けに明るい内容です。
ヴァンヘイレンというバンドは、もともと、ボーカルのデイヴィッド・リー・ロスの朗らかなキャラクターの助けもあって、ノリの良い陽気な音楽性が特徴の一つだったんですが、このアルバムで、さらに突き抜けた明るさを獲得した事で、ロック以外のポップスファン層にまで人気を拡大させることに成功します。
ここで重要なのは、このアルバムで親しみやすさの象徴として、冒頭曲「Jump」と「I'll Wait」で大きくフィーチャーされているのが、エディの強烈なギターテクニックではなく、爽やかで軽やかできらびやかな、シンセサイザーの音色だった、という点です。
ヴァンヘイレンはそれまでのアルバム作りで、シンセサイザーを極力使ってこなかったので、なおさらこのアルバムでの音楽性の変化が際立ちます。
シンセサイザーの大胆な導入は、エディの希望だったそうです。
自身のギターの超絶技巧ばかりフィーチャーしていると、音楽性の間口が狭くなってしまうので、新しい方向性を加えるために、シンセサイザーに活路を求めた、というのが、理由だそうです。
しかし、伝統的なロックを好むファンの中には、シンセサイザーの人工的な電子音を嫌う人が、けっこう多いのです。
かく言う私も、電子鍵盤楽器はオルガンまでは許せますが、シンセサイザーのあののっぺりした音は、あまり好きではありませんでした。
デイヴィッドも、ギターヒーローとしてファンから崇められているエディが、シンセサイザーを取り入れた事に不満を漏らしていて、『1984』の発表から間もなくのデイヴィッドのバンド脱退は、この音楽性の変化も一因となったようです。
ところが、『1984』のシンセサイザーサウンドは、シンセサイザーが嫌いな私でも楽しめる、とても自然で違和感のない、極めてロック的な音に仕上がっているのです。
これは、エディのセンスの良さのなせる業でしょうね。
シンセサイザーが主役のロックにありがちな、没個性で甘口のカッコ悪さが全くない。
むしろ、シンセサイザーの音色でロック的なガッツも表現できることを教えてくれて、固定観念から脱するきっかけを与えてくれる、素晴らしい演奏になっています。
デイヴィッドがもし、本当にシンセサイザーへの反発心を一因としてバンドを脱退したのだとしたら、ちょっと早まった事をしたかもしれません。
エディは、大衆迎合のためにシンセサイザーを導入したのではなく、自分が作りたいカッコいい音楽に必要だったからシンセサイザーを導入したのだろうと思いますし、実際に、その目論見は、見事に成功を収めているからです。
アルバムの内容的にも、キャッチーな名曲が多く、エディお得意の速弾きギターも、決して控えめになったわけではなく、2曲以外で炸裂的に活躍しており、充実した聴き飽きない名盤に仕上がっています。
(結局、このアルバムの成功後に発表されたデイヴィッドのソロ活動の曲では、エディが用いたのとそっくりなシンセサイザーのサウンドが使われているので、デイビッドもなかなかちゃっかりしています。)
演奏家としてだけではなく、コンポーザーとしても、ロッカーとしても、常に斬新なサウンドやテクニックで聴き手を驚かせる高みを標榜していたエディ。
聴き込むほどに、演奏の一音一音に、そんな彼のたゆまぬロックへの情熱が漲っているのを感じます。




