第14回 RIP エディ・ヴァン・ヘイレン (その2) ジミー・ペイジとの関係性
エディ・ヴァン・ヘイレンは、レッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミー・ペイジについて、こんな事を言っています。
「スタジオアルバムでは素晴らしいプレイをしているのに、なぜライブでは腕の折れた小学生みたいなんだ?」
つまり、ペイジのライブでの演奏はひどいものだ、と言っているわけです。
これは、悪口というよりは、率直な感想であり、不満なのでしょう。
なぜなら、エディはペイジを嫌っていたわけではないからです。
その事は、、「ペイジが宿泊しているホテルの部屋にエディが遊びに来た事がある」という、その場に居合わせたデヴィッド・カバーデルの証言で確認できます。
エディのギタープレイの特徴は、高度な技術の駆使と、恐ろしいほどの正確性にあります。
プロのミュージシャンの中には、録り直しのきくスタジオアルバムでこそ整ったプレイができるけれど、ライブとなると演奏技術の未熟さが露呈してしまう、という人も、ちらほら見られます。
その点、エディは、スタジオとライブでの演奏に、まったく差がない、真に安定したテクニックを身につけた完璧なギタリストでした。
そんな彼から見ると、ペイジのライブでの粗の目立つ演奏は、さぞかし物足りないものだった事でしょう。
しかし、私は、エディのライブ演奏よりも、ペイジのライブ演奏の方がはるかに好きですし、繰り返し聴きたくなるのも、ヴァン・ヘイレンのライブではなく、レッド・ツェッペリンのライブの方なのです。
確かに、ペイジのライブ演奏は、ミスタッチも多いし、速いテンポの曲では、きちんと弾きこなせていない箇所も多々見られます。
しかし、それは音楽を損なう欠点ではなく、むしろ、ペイジのライブ演奏の最大の魅力の部分だと、私は思うんです。
なぜ、技術的に完璧なエディのプレイよりも、不完全なペイジのプレイの方に惹かれるのか。
それは、音楽というものが、完璧さにこだわらなくとも、魅力的になれる手段を、数多く持っているからです。
ペイジのプレイには、破壊的な激情があります。美や愛への賛辞と、楽想の斬新さや個性と、人の心の奥底の不思議な領域へ踏み込む冒険心があります。
ライブで荒々しく演奏するのは、ペイジにとって、音楽がそれらを実現するためと、感情表現をするための手段だからです。
一切ミスのない、完璧で高度な演奏、というだけでは、得られない興奮が、ペイジの演奏からは得られます。
ただ、エディがペイジのように荒々しく演奏した場合に、より私の好きな演奏になりそうか、というと、そうはならないのではないか、とも思います。
エディの演奏の魅力は、やはり、その完璧さにあります。
どんなに難しい奏法も、軽々と、しかも、きわめてエネルギッシュに弾きこなしてしまう天才性、そこに、彼の演奏だけが持つ、突き抜けた爽快感があるのです。
ですから、エディとペイジ、どちらが優れている、とは簡単に決められませんし、個性の全く異なる二人の天才ミュージシャンがいてくれて、ロックファンとしては非常にありがたい、と、日々感謝しながら拝聴するばかりなのです。




