ケースバイ朝子
読んで戴けたら倖せです。
彼の名前は暮乃緋曖。
緋曖は冷め切って、そこに立っていた。
朝子は叫ぶ様に顔を歪めて言った。
「決して別離れたりしないわよ! 」
緋曖は目を閉じ考えていた。
『夕べ、コンビニで何弁当買ったんだっけ?
幕の内でも無いし……………』
五十間近の朝子は黒いノースリーブのワンピースを着て顔には濃い化粧を施し、髪を染め、滑稽なほど若作りをしていた。
それに比べて緋曖は若く美しかった。
少し華奢にも見えるスレンダーな身体。
長い睫毛に縁取られた大きな瞳は、光の加減で明るい茶色に透けて見え、端の引き締まった薄い口唇と合わせて見ると、中性的で見る者を魅了する。
朝子は強く出るのは止めて、目を潤ませ言った。
「私は貴方に尽くして来た
お金が無いと言えば貢いで、欲しいと言えば何でも買ってあげた」
緋曖は、今にも泣きそうになっている朝子に、茶色に透ける瞳を向けて考えていた。
『ああ、思い出した
かじかの兜唐揚げ弁当だ
あれ旨かったから、また買おう』
朝子は物解かりのいい歳上の女を演じた。
「私の何がいけなかったの?
もう一度考え直して頂戴
私達はやり直す事ができる筈よ
私は貴方には無くてはならない存在でしょ
だってまだ愛し合ってるんだから」
緋曖は思わずプッと吹き出した。
『あーあ、思わず笑っちゃった』
「何が可笑しいの? 」
朝子はハッとして言った。
「若い女ができたのね」
緋曖は無表情で言った。
「そんなものは居ませんよ」
朝子は安心して微かに笑った。
緋曖の瞼は少し茶色がかっていて、薄くアイシャドウを塗った様に、目を伏せると艶かしいほど美しい表情になる。
緋曖は目を伏せて言った。
「十年前にアナタは、良人を事故で亡くしたって言ってましたね
それ………………………」
緋曖は捉える様に朝子を見た。
「本当に事故だったんですか? 」
朝子は一瞬、僅かだが身体を震わせた。
どうして突然、緋曖がそんな事を言い出すのか朝子は困惑していた。
『腹減ったなあ………………』
緋曖は気だるくそんな事を思いながら続けた。
「アナタが居た街で、こんな噂が実しやかに囁かれている
アナタが保険金目当てで良人を殺したのだと」
朝子はぎくりとした。
「な…………何よそれ? 」
朝子は目を逸らせる。
緋曖は構わず続けた。
「事実アナタは良人が死んだ後、多額の保険金を受け取っている」
朝子は緋曖の確信めいた言葉に苛つく。
「貴方、何を嗅ぎ回っているのよ! 」
緋曖はやはり無表情で言った。
「ボクは知りたかった
アナタがどう云う女性だったのか」
朝子は一抹の不安を感じた。
「それを知って、どうだと言うの?
だいたい今、そんな話どうでもいいじゃない」
朝子は言葉を濁すが、緋曖は思い切り責める視線を朝子に投げた。
「アナタは酷い人だ
特別趣味も無く毎日、真面目に働いていた良人を殺すなんて
そんなにお金が欲しいですか? 」
朝子は緋曖の視線に一瞬引いたが、直ぐに気を取り直して言った。
「殺してない!
何を決め付けているのよ!
だいたいそのお陰で、貴方もいい思いしたでしょう! 」
緋曖は冷笑を浮かべた。
「良人の命と引き換えに得たお金を、若い男に簡単に貢ぐんですね
アナタは……………………」
そう、緋曖は美しく若い、それに比べて朝子は緋曖の母親の様な年齢だ。
緋曖の美しさと見せ掛けの優しさに朝子は次第に自分が見えなくなって行った。
その愚かしさに朝子自身も気付いていたが、朝子はお金があれば手に入れられると信じ、その愚かさに蓋をしたのだ。
「何が言いたいの?
私のお金よ
どう使おうと私の勝手よ」
緋曖は朝子を鋭く見詰め言った。
「どうやって殺したんですか? 」
朝子は次第に感情的になって行った。
「だから、殺してないって言ってるでしょう! 」
緋曖は冷静さを崩さず言った。
「アナタは殺しました
アナタの為に真面目に働いてくれた善良な良人を」
朝子の脳裏に封印したい記憶が蘇る。
「何を言ってるの?
さっきから殺してないと言ってるじゃない!! 」
「何故、そんなにムキになるんです?
それはアナタが殺したからだ
残酷な人だ
お金を得る為に人殺しをするなんて
それも自分を愛し、尽くしてくれた良人を………………」
朝子は全身を絞め付けられる様な息苦しさを感じて、思わず耳を塞いだ。
「やめて………………」
緋曖は鋭い視線を朝子に投げる。
「いや、止めない
アナタは自分がした事を思い知る必要がある
そうでしょ?
アナタは知っている筈だ
人殺しは、してはいけない犯罪だと
だけどアナタは罪を犯した
死刑になるべき罪を」
死刑………………………。
その言葉が朝子の後ろめたさを突き刺し、胸を抉った。
「やめて…………………
お願い! 」
朝子の反応を楽しみながら、緋曖は哀しげな表情を浮かべた。
「アナタはボクまでも欺いた
人殺しなのにボクに愛を要求した
ボクの愛を得る為に人殺しで得たお金でボクの気を惹いた
自分に愛される資格があるとでも?
そんなもの在る筈が無い
アナタは人殺しと云う犯罪者なのだから」
朝子は半狂乱になって叫んでいた。
「違うっ!
やめてよっ!
お願いだからっ!!
貴方からそんな言葉聞きたく無いっ!! 」
緋曖は口の端を少し上げ追い打ちをかける。
「アナタの良人はアナタに何をしたと言うんです?
何もしちゃいない
でもアナタは裏切った
善良に、アナタの為に働いて来た良人を、冷酷なアナタはいとも簡単に裏切り殺したんだ
そして、そんな穢れたお金で親子ほども歳の離れた若い男を手に入れようとした
アナタは醜い
そんなアナタをボクに愛せと?
許されてはいけない極悪人をボクに愛せと?
冗談じゃ無い
そんな汚れ切った醜いアナタを、嫌悪はしても愛するなんてできる訳が無い……………………」
緋曖は責め続けた。
緋曖に罵られながら朝子の目に、真面目なだけが取り柄の退屈な、嫌悪すべき良人の死に顔が蘇った。
良人の葬儀の最中、朝子は不謹慎にもほくそ笑んだ。
『これで邪魔な嫌悪すべき、退屈な良人から解放され、保険金で本当の倖せが訪れる』
朝子の目にそれは映った。
善良で穏やかな良人の死に顔の目が、突然カッと見開き、朝子の目論みを見透かす様に嘲笑った。
緋曖の声は良人の声となって怒鳴る。
「醜い人殺しっ!! 」
朝子は耳を塞ぎ声を限りに叫んでいた。
「あああああああーーーーーーっ!! 」
朝子の何かがプツンと弾け、朝子は目を見開いたまま床に崩れ落ち、ペタンと座り込んだ。
「ぁは………ぁははは………………ぁーぁぁぁ…………………」
醜く涙を流し、涎を垂らし、朝子は狂っていた。
「さーぁて、かじかの兜唐揚げ弁当買いに行こう」
緋曖は何事も無かった様に平然と部屋を出て行った。
それは言霊…………………………。
緋曖の発する言葉は人を狂わせる。
本当に面白いほどに…………………。
読んで戴き有り難うございます。
この一話目は、何度も活字中毒の娘にダメ出しされ、書き直しました。
でも、そのお陰で、自分ではいいできになったなと納得のオープニングです。
苦労した作品なので、一人でも多くの方々に読んで戴けたら嬉しいです。