人間と新ビジネス
バタッ、バタッ。ばたん。
白いオオカミしっぽがいらだたしげに地面を叩いている。
白オオカミお兄ちゃんはご立腹である。
「なにを考えてるんだ。腹が減ったならその手に持っているものを食べればよいだろう」
恐くはないが、申し訳ない。
しっぽに引き付けられる目を苦渋の思いで引き離す。
ちびっ子コーさんはトラのお兄さんに客観的説明とともにカイくんに引き渡されました。
その結果が今の、ベンチに座った幼女な私を、大きな獣人と大きなおじさん三人が囲むフォーメーションである。カイくんは私のサイズに合わせてしゃがんでくれている。だがしかし、端からはゼロ距離で退路を断っていると見えるだろう。
見映えが悪い。
みんな、気にならないのかな。
カイくんのオオカミフェイスがギュッとなっている。撫で回したい。
「うーん、人助け的な? これはガブルさんからカイくんへ、狩りのお礼。私ももらったからお腹は空いてないよ」
もふっと紙袋をカイくんに押し付ける。
肉まんの香りがあたりに漂う。
こちらの空気を読んだのか読まなかったのか、褪せた金髪の人間が口を開く。
「揃ったところで自己紹介させてください。私はアレクサンドル・クー、中央の商人です。後ろの二人はボディガードです」
黒髪がルーフェス・カー、サングラスはサングラスをとって灰色の瞳をみせてからカーライル・ローと名乗った。
短い家名は中央の商人に多い。
名乗りや署名で少しでも時短になるよう改名した伝説の大商人がいたとかで、商人になるとあやかって改名する場合が多いらしい。
育ちの良いカイくんは、立ち上がって姿勢をただして挨拶を返す。
「私はシルバースカイと言います。この子の保護者です」
「コーです」
オオカミお兄ちゃんのことをカイくん、カイくんといまや街のみんなが呼んでいる。しかし実はシルバースカイとうまく言えなかった舌足らずな私が、かつて略した呼び名が定着してしまったのである。
カイくんは私といるとき必要がなければ家名を名乗らない。家名のない私への注意をそらしてくれているのだと思う。
直接聞いたことはない。万が一実家への複雑な思いからだと言われたら対応できないからだ。
私は前世も含め血のつながった家族というものに良い縁がないのでその手の話は上滑りしてしまう。
「お兄ちゃんと言ったから旅の一家かと考えましたが違うようですね」
アレクサンドルさんは顎に革手袋をした手をあてかけて、その冷たさにはっとしたようだ。そして私をそっと見た。
私は手袋をしていない。
三人のおじさま方の装いははたぶん一般的な人間の冬、それも冬の盛りのものなのだろう。
このところの街は、人間の体感的には厳しい気候に包まれている。自前の毛皮がなかったり、体温調節できない種族には寒い。
しかし街の毛皮持ちのみんなは今日位の寒さはそんなに厚着をしていない。服だけみれば夏に近い秋だ。
カイくんも品のよい仕立てのシャツとスラックスに、短めの薄いジャケットコートである。
脆弱な人間の幼女である私の身体も寒いは寒い。だが、精神年齢アラフォーであるからして暑さ寒さは精神力で忘れることが出来るし、大概あったかいカイくんがいる。
過保護な防寒お兄ちゃんを見込んだ私の今日の衣服もおじさま方よりカイくんよりの季節感だ。ワンピースがわりに厚手の大人用シャツを着て、下にスラックスを履き裾を折り曲げ、ベルトをしている。首にはカイくんにもらったマフラー。
私サイズの人間用の衣服はこの街にまで流通して来ないので手に入らない。なにしろ人間の夫婦どころか人間の定住者自体が記録されていない街である。
獣人のみんなは私が大きな服を折り返していたり重ねていたりすると安心するらしい。
傷付きやすい人間の、肌を覆うものが増えてよかったよかったと目を細める。サイズより防御力なのである。
さすがに成人男性用手袋は不便すぎるので前世の記憶を頼りに自分で編んでいる途中である。もちろん五本指ではなく親指以外の四本が一緒のバージョンである。
それでも不器用コーさんが完成出来るか、自信はない。
金髪おじさんを見上げて口を開く。
「私もカイくんもこの街の生まれです。見ての通り血はつながっていません。親を知らない私を気にかけてくださり恐れ多くも兄とお慕いしています。兄には生まれてから変わらない家名があります」
この言い回しは人間優位の地域で使われるものである。
獣人には意味不明だ。
カイくんも何か言うべきだがなんと言うべきかわからないといったもどかしさを目としっぽが表している。
カイくんに説明することは生涯ないが、意味するところは「私は捨て子の孤児です。このかたは身分ある方のご子息です。高貴なる者の義務を果して下さっているのです」だ。
この街ではこんな卑下する表現は必要ないし、そもそも実態にもそぐわない。しかし中世ヨーロッパ的な中央や、家名がある程度の力を意味する王国で生きる人間に私の実態はすぐ理解できない。これはかつて体験済で、以降私は初対面の人間にはこの言い回しをすることにしている。本当のことを言っても信じてもらえないのだから仕方がない。無理矢理言わされているのでは、と街にあらぬ疑いがかけられるに至って、この説明に落ち着いたのだ。
読ませてもらった小説ではこういった表現がよく出てきた。
大抵の人間はそれ以上詮索しなくなる。便利な表現である。大元は人間優位の共和国で、大流行した大衆劇のセリフだそうだ。
共和国がまだ帝政だった頃を舞台とし、宗教施設の前に高価な身の回り品とともに置き去りにされていたヒロインが、出生の秘密を探っていくストーリー。ヒロインは身分制、貧富の差、男尊女卑等々に直面し、時に躓き、転びながらも立ち向かっていく。一番華やかな一幕が貴族社会潜入のくだりだ。兄と慕う貴族の末子が周りの勘違いをうまく利用しヒロインを自分のデビュッタントに潜り込ませる。妹かなという周りの勘違いを解かずに貴族社会で知己を得、ヒロインは手がかりらしきものをつかむが、核心に近付く前に大勢の貴族の前で正式な家名がないことを暴かれそうになる。
黙って、または否定してやり過ごすこともできたが、兄妹と呼びあっていた貴族の末子にも疑いが向かうところでヒロインがうつむいていた顔を上げて高々と述べるのが件のセリフである。
ここのモノローグは、仲間の名誉を守るため、恩義に対するせめてもの返礼、身分差故に秘めた想い人の未来を守るため、等々いろいろなバージョンがある。
各国で各国の現状にあわせて編集されたため、自分の身に置き換えて「言ってみたい」「言われてみたい」セリフとして、また訳ありだと多くを語らなくても通じる表現として広く認知された。
言うまでもないが街の獣人たちには不思議がいっぱいの劇である。どの地域のどのバージョンを観た獣人に聞いても「よくわからなかった」と言う。
個を見る街の大型肉食獣人には、においですぐ分かる出生や血縁をながなが探る手間が謎だ。さらに好悪や謀略もすぐ「分かる」から、物語が成立しないのだ。
私は人間作の原作小説を読んでようやく全貌がわかった。
そうそう、コーさんには通俗小説を持ち込んでくれる人脈があるのだ。
えっへん。
「いや、立ち入ったことを聞いてしまいました。実はコーさんが飲食店に詳しそうなので少しお手伝いをお願いしたいと思いまして」
よろしければあたたかい飲み物と場所をご紹介願えませんか。
アレクサンドルさんが言い、私達はワニのマダムが営むカフェへ移動した。
ワニ的適温な室内で切り出されたのはビジネスだった。人間でも問題なく食べられる飲食店や料理を紹介してほしい、できれば別に、実際食べながら案内する業務を請け負ってほしい、というものだ。
アレクサンドルさんは、マップを売る中央の商人によるこの街への説明が酷すぎると思っていたらしい。そしてこの街に三度目に来た今日、私がマップにない屋台のものを食べているのをみて、例の商人による風評被害を確信した。肉まんのまとめ買いから、需要を確認した。
こうして私は、気鋭の中央商人の知己を得ることができたのである。