クロコダイルと両替
ふるふる。プルプル。ぶるり。
さむい、寒い、冷たい。
服の袖から冷たい空気が忍び込む。
伸ばした手の分だけ冷気が染み渡るようだ。
不器用コーさん四歳は、ただいま湖のほとりで腹這いになっている。湖面に現れた岩に引っ掛かった投棄物の塊を掴もうとちびっこい身体を震えながら伸ばしている。
今こそ成長のとき!
ぶるるっ。
ちょっと感覚がまずいことになってきたので、一旦身体を戻す。
かじかむ手に息を吹き掛けながら、立ち上がる。
湖のすぐそばにある小屋に入る。
やむなし。
ごそごそして、街の一斉清掃のときに使うタモを手に取る。
湖に戻り、狙っていた塊をタモでえいやっとさらう。
これを使うときれいに洗って返すときに手が凍るので、今時分は使いたくなかったが仕方がない。
しゃがみこんで、かじかむ手で回収した塊をほぐす。
枯れ葉、何かの繊維、小動物の骨、枯れ枝ときて、あった。
薄く精巧な印刷が施された薄い紙。
遥か遠くの共和国、その象徴たる議事堂と架け橋が濡れて歪んでいる。
破れないように慎重に紙ばさみにしまう。
この国は周りを海と、未開の森と、人間優位の王国に囲まれている。この街は国の端のはしに位置するので、隣国といっても王国は遠い。王国のさらに向こうに、獣人蔑視の強い共和国がある。
ふん、ふふふ~ん。
成果があがったので、テンションもあがる。
どうせ洗うなら徹底的に掃除してしまおう。
華麗なタモさばきを見えない観客に向けて披露する。
正面をすくって手首を返して右をすくい、水面を薄くさらって左へ。
脳内で観客が褒めてくれる。良いスナップだ!
「あらあら、お掃除してくれたの~」
後ろからのんびりした声がかけられた。
見える観客が現れた!
恥ずかしい!
巨体に似合わない薄い気配はクロコダイルのガロンさんだ。二足歩行で身長三メートル。するーりと近づいて、その大きな身体を縮めて、小さな私に目を合わせようとしてくれる。コートが映える長身のクロコダイル獣人は、もうほとんど四足歩行になってしまっている。
腹筋凄そう。
「お家を勝手にごめんなさい」
最近ようやく回るようになった口でまずは謝罪する。
「良いのよ~。どっちみち今の季節は冷た過ぎるから、陸の家にいるもの。ちょっと様子を見に来ただけ」
「それにしてもダメよ、あなたの手が傷んじゃうわ」
ガロンさんは首に巻いていたスカーフで私のかじかんでいた手を包んでくれた。
「素敵なスカーフが、」
汚れてしまう、と私は慌てた。
ガロンさんは大きな口をちょっとだけ開けて笑った。
私を丸飲みできる大きな口も、噛み砕ける鋭い牙も、私に意識させないようにしてくれるのだ。
ゴツゴツした外見のガロンさんは、内心がとてもまろやかな獣人だ。
私はこのガロンさんの大きな口が好きである。
この口に挟まれ護られ子ワニ達が運ばれていく様子を見るのが大好きだ。最初はそのまま飲み込まれないのかとハラハラしたが、今ではくわえられた子ワニ達と手を振りあうくらいである。
ガロンさんがゴツリとした手で私の手をぽんぽんとした。
ふんわりしたスカーフから優しいぬくもりが伝わってくる。
「人間の店でお釣り目当てで買ったら巻いてくれたのよ。でもすぐ破けそうでね。コーにあげるわ」
立派な手と爪をふってみせる。
「良い人間のお店を見つけたのよ。硬貨が多く戻って来るように値付けしてるの」
ガロンさんはご機嫌のようだが、果たしてそれは適切な価格なのか。本来の需要には応じているからよいのか。
街の獣人は主に硬貨を使う。
紙幣は破れそうだし価値がわからない、と言う。
硬貨は最悪鉱物としての価値が残るが紙幣にはそれがない、と言う。紙幣をすぐ硬貨と交換したがる。
それは一見、兌換性の問題にみえる。
しかしこの国発行の硬貨が獣人にとって額面程の価値があるかと言えば、そうでもないのだ。
街の獣人の店はやはり紙幣を好まない。お互いわかっているので街の獣人達は、紙幣を手にすると人間の店で買い物をしてお釣りの硬貨を受け取ることを選択する。
つまりは外から来た人間達に稼ぎを提供している。
大型肉食獣人の中でも強者が集まる街は、未開の森を開拓しながらすみかを造り広げてきた。そんな辺境の地にも出稼ぎ商人が各国からやって来るのだ。稼ぎと「ハクをつける」ために。
街の獣人達が、両替を選択しないことには理由がある。
この世界の両替商は免許が必要で主に人間の商人が営む。この免許の交付を受けるためには、商人の力が強い商業大国、通称「共和国」の商慣習について習熟が必要とされている。つまりは共和国人が有利で、当然の如く両替商人はこの共和国人とその関係者が多い。
街では主に人間商人の間で各国通貨が交換され使用される。
そのなかでも、共和国の両替商は人間向けの商売だと言ってはばからない。
分かりやすく表面に現れ、よく口にされる理由はこれだ。
獣人達としても自分たちだけに適用される高い手数料と不快な思いを避ける。避けた結果、両替の代わりに共和国人以外の店で小物を買い、硬貨を受け取ることになる。
共和国以外の商人は、この街の価値観をうまく利用する。少額の小物をたくさん持ってきて獣人に売り、紙幣を受け取る。稼いで去って行く。
目に見える動きはそうだが、共和国との確執はさておき、街の獣人達に関して言えば、本能的に紙幣の発行体そのものを信用していないのではないか。そう私は考えている。が、確かめる機会はまだ訪れていない。
「コーちゃんは今日、何をしていたの」
「いろいろなものが浮かんでいたから。あとこれ」
端にまとめていた回収物を指したのち、懐から紙ばさみを出して共和国紙幣を見せる。
「ガロンさんの落とし物?」
「うーん、いつかお掃除に使って飛んで行ったものかしら。汚れてるわよ」
「もらってもよい?」
ガロンさんは何を言っているのかわからないという顔をした後、共和国のシンボルに目を落とした。
「共和国に行きたいの? ここはいや?」
「とんでもない。大好き、大好き。ただ、役に立つときが来るかもしれないから」
ガロンさんはちょっと考えるような仕種をして、かばんからそっと紙幣を一枚取り出した。
「それも、これもどうぞ。お掃除してくれたお駄賃よ。共和国商人が支払いに押し付けて行ったの。釣りは要らないって。こっちだってこの紙幣お断りなのに」
優しいクロコダイルは事情を語る。
「でも護衛を二人も付けて後ずさりながら言うものだから断れなくて」
魚介類を扱うガロンさんのお店は、素材そのものの質も、鮮度もよいから人間にも好評だ。
「タモとゴミの始末はやっておくから早くカイくんのところに行くと良いわ。そわそわしてたわよ。匂いがしない、どこまで行ったんだって」
心配性のオオカミを安心させるべく、早く帰ることにしよう。
「ガロンさんありがとう」
二枚に増えた共和国の最高額紙幣を大事にしまう。
スカーフで包んでもらった手を振って、湖をあとにする。
たいして歩かない内に、白い毛並みが見えてきた。
よし、もふもふダイブしよう、と走り出す。
すぐに、思いに身体がついていかず足がもつれた。転がりかける。
そこに、四つ足で駆けたカイくんがすごい形相で滑り込んできた。
結果、私は敷物の如く四肢を広げた白オオカミの上に、ポトリと落ちた。
とても暖かかった。