阿吽の呼吸?
とぼとぼ。とぼ。とぼ。とぼ。
朝靄の中を、人間の少年が元気なく歩いて来る。力ない歩みでも、その手は優しく鞄を抱き締めている。鞄からは、チラチラと小さな帽子が見え隠れしている。
しょんぼり歩くのは人間リュートくんで、かわいらしい帽子頭はフクロモモンガ獣人ヒューイくんである。二人の身体の揺れ方からするに、何か話しているようだった。話題は明るいものではなさそうである。
ナリスさんの家の窓越しに気付いた私は、隣に座る白オオカミを見上げた。
「リュートくんとヒューイくんはどうしたのかな」
カイくんが抑揚のない声で言う。
「バルドーさんがいない。何かあったのだろう。リュートとヒューイならここでは危険もない」
「そうだよね」
バルドーさん一家は自由人達の身内である。英雄達の街の出身者が複数巡回(縄張り確認?)をするこのエリアでは万が一の事態も起こり得ない。
「だが、バルドーさんがこんな時間にあの状態の二人から離れるとは思えない」
「そうだよね」
バルドーさん一家には中央にすみかがある。バルドーさんが単身時代から住む立派な人間の家である。そちらに帰るでもなく、こんな朝方に二人だけで街の飛び地に来る理由はなんだろう。
今、私達はナリスさんの家にいた。ナリスさんがカイくんパパから借りている中央の家である。なぜか私とカイくんとナッジくんは、ナリスさんとオナガとヒッグスくんとともにいる。
ざわめく闘技場から馬車で離れ、黒毛馬と人間の馭者に身を委ねたらこうなった。馭者はフランクさんの家人であった。
アレクサンドルさんもフランクさんも行き先について特に何も言わなかった。カイくんとナッジくんと一緒で安心しきった私はおしゃべりしたりうとうとしていた。
「着いた」とのカイくんの声がして覚醒したら、中央にある英雄達の街の飛び地に運ばれていたのだ。扉が開くとナリスさんとヒッグスくんがいて、二人の自然な誘導によってナリスさんのお家にお邪魔することになっていたのである。
私とカイくんをおろした馬車は、アレクサンドルさんとフランクさんを乗せてどこかに去っていった。
「おや、お二人もお越しですね。お疲れでしょうから、少しお休みいただきましょう。その後、お二人からもお話をうかがいたいものです」
ナリスさんの言葉を受けて、ヒッグスくんがすたすたと部屋から出ていく。
騒動の現場から離れて数時間たっているが、ナリスさんは昨夜の騒動の記録や報告らしきものを興奮気味に作成していて寝る気配もない。
一応私も時折、証言なのか補足なのかを付け加えて付き合っている。自発的ではなく、求められて、である。といっても私達は自由人だ。ナリスさんがヒッグスくんと盛り上がっているときは勝手をしていた。カイくんとナッジくんと窓際のソファーでうとうとしたり、オナガの動きに驚いたり、街出身の獣人の帰宅を見守ったりしていた。
外の自由人達がある方向に意識を向けだしたので、私は出窓によじ登り、カイくんは私の落下防止のために出窓に座っていた。
「何があったのかな」
窓から見ていると、ヒッグスくんがリュートくん達に近付いていった。寝ていないとは思えない機敏さである。両者は少しのやりとりで合流した。周りで気にしていたらしい自由人達がウンウンと頷いて去っていく。私は窓越しにトラのお姉さんに手を振った。
「さっきぶりだね。大丈夫かな」
私はソファーに落ち着いたリュートくんとヒューイくんに声を掛けた。ナリスさんの邪魔にならないよう、別室を用意してもらっていた。私とカイくんは二人と向かいあって座った。
「バルドーさんが怪我をしたんだ。僕がうまく動かなかったから」
リュートくんがしょんぼり言う。
「あれはタイミングの問題だ。リュートだけのせいじゃない」
ヒューイくんが励ますように言う。
「バルドーさんが怪我?」
仕事柄、小さな傷は気にしない人だし、周りもそうだ。リュートくんがわざわざ「怪我」というからにはよほどのものだろうが、自由人達はそんな気配していなかった気がする。ケインくんと一緒に街出身のみんなが闘技場に入っていったからには、バルドーさん一家に何かあったら伝わりそうなのに。
「バルドーさん、僕達に何か合図してくれたんだ。でも、僕には何を伝えようとしていたのかわからなかった。それぞれ身の安全は確保したけど、連携出来なかった。バルドーさんはそれで身体の動きにムダができて、多分どこかを痛めたんだ。動きがおかしかった」
リュートくんが言うと、ヒューイくんが付け加える。
「僕達をランさんに預けて、自分は闘技場に残った。騒動の後始末を手伝うと言って。あれは、動くのが辛いからだ」
ランさんとは、さっき私が手を振ったトラのお姉さんである。街の警備員をしているトラのお兄さんの、お姉さんである。街に引きこもる弟と違い、街の外でも人間とでもやっていける活発なお人である。
「バルドーさんも年だからね」
ぎっくり腰とかかな。そう受けとった私がからりと言うと、二人から大変に嫌そうな顔をされてしまった。
こほん。
「大丈夫だよ。バルドーさんは自分の身体の癒しかたはわかっているから」
「そうじゃない」
「僕達は、ただでさえバルドーさんのコブなのに。意も汲み取れないなんて。気を散らせるだけだったんだ。僕達の存在はマイナスでしかなかったんだ」
えぇぇ。
「落ち込むの、それで。あんな乱闘の場でとっさの合図なんてそんな、ドラマか強襲隊みたいなこと無理でしょ。私なんか合図されていることすらわからないよ、多分」
まあ、私は乱闘の場を見てはいないけれど。
「それに、リュートくんとヒューイくんはバルドーさんの護衛仕事に同行してきたわけでもないのでしょ」
二人は行商の心強いアシスタントだと聞いている。
ねえ、と見上げたカイくんは大きく頷いた。
「街の獣人達とバルドーさんが連携しているようにみえるのは、あれは、バルドーさんが獣人の動きを予測して動くからだ。獣人達は好き勝手しているだけだ。通じあっているわけではない」
「コーは闘技場の部屋で、普段一緒にいない隊長やラスコーさんとも阿吽の呼吸で動いていた。一緒にいるナッジさんとはもちろん。僕達は、バルドーさんとあんなに一緒にいて、お世話になっているのに」
何、何。何でこんなにネガティブなの。ナッジくんとは、うーん、なんだか辛そうだったからだ。ライオン達とは、何となくだ。これは言わない方が良いかな。
カイくんが私の頭にぽふ、と手を置いた。
「俺はコーの合図がわからない。何かを訴えられている気がするときもあるが、わかった試しがない。同じように、俺の合図がコーに伝わった試しもない」
え。
衝撃である。
え、二人を励ますための優しい嘘だよね。
見上げたカイくんの表情からは、何の合図も受け取ることが出来なかった。
え、こういうこと?




