ドーベルマンと環境
こぽこぽ、こぽ、こぽ。
ルーフェスさんが給仕を買って出ていた。
ソファや椅子に思い思いに凭れたり座ったりする面々にコーヒーを追加して回っている。黒髪の彼は再びのジレ姿である。もう寡黙な飲食店店員の道を極めた方が良いのではと思うが、嗅覚も味覚も鈍いことを身を持って知ってしまったので、なんとも言えない。
「ハースさんとは会わない方が良かったんですね」
「例の役者だよ。最初にうまく立ち回って今は商人達からのアガリで暮らしている」
「そのアガリは有限です。コロンくんの街は現に、狩り場を荒らしています。根こそぎ奪い切る前に、次に着手しているはずです」
あのタイプは、前世で会社員時代に付き合いがあった。
反射的にいくつかの顔と取引が浮かんだほどだ。
商売の仕方が生理的に合わないタイプで招き子猫がそっぽを向くのだ。
「よくお分かりですね。コーさんが言う通りだと思います。一緒にいたのはおそらく共和国の一団です。獣人は共和国から連れてきた番犬でしょう」
今世では耳慣れない言葉が出てきた。
「番犬?」
「そういう文化があるんですよね?」
聞いた私に質問が返ってきた。
ご同類がまたでてくるのか。
「文化、なんでしょうか。まあ、不審者を撃退したり威嚇したり、といった役割を強く期待された存在はいました。ただ、さっきのような振る舞いはしませんよ」
番犬注意。猛犬注意。
一戸建住宅に掲げられていた文字を思い出す。
「向き不向きも、パートナーの思いもいろいろでしたからね」
前世の知り合いが飼っていたドーベルマンはとても人懐こかった。
耳もしっぽも切られていなかった。垂れた耳とくるんとしたしっぽが可愛かった。
人間嫌いな資産家の彼は、警備犬として生み出されたドーベルマンを飼いながら、番犬としての役割をパートナーに求めていなかった。
思えばあの一人と一匹の家族を知ったことが、動物好きになるきっかけだった。
「共和国で獣人は主に、雇い主以外を強く警戒し、威嚇し、命じられれば攻撃する仕事を求められるのです。共和国の人間がこうあれ、と思う番犬の役割です」
つらつらとアレクサンドルさんが語り出す。
いつの頃からか、共和国の要人が獣人を連れ歩いている、と噂が流れてきたと言います。
そして不思議がるこの国にも来ました。
中央の住人はもうびっくりしたと言います。
その獣人が病気なのではと心配し、医者も手配しました。
共和国の人間に聞くと、そういう役割として雇ったと言うんですね。
診察した医者が言うには、呼吸器系と精神が心配だと。
特に精神的な均衡を崩しかけていると言うんです。
あの国は人間と特別な契約をした獣人しか出入国できませんから、その獣人も理由があるんだろうと、秘密裏に事情を聞こうということになりました。
要人側は共和国の派遣会社と契約しただけというので人間の有名な護衛を引っ張ってきて、威嚇しなくても適切な対応をしていれば安全ですよ、ご体感ください、とやりました。
そうして獣人、中型の犬とコヨーテだったそうですが、二人を共和国側と引き離して事情を聞いたんです。この国に戻ってきて、混乱しかけていたんでちょうど良かったんでしょうね、断片的にいろいろこぼしてくれたそうです。二人とも若くて、それぞれ別の街から見聞をひろめようと家出気味に中央に来たそうです。中央で、自分たちの生活圏とは違う生活様式を知った。貨幣の力に気付いた。そこでひとつ大きな稼ぎをしてその先が見てみたいと思った。仕事を探して回って、ある商人に声をかけられた。
いま新しい試みをしている。新しい仕事だ。不確実なところが多いから契約内容は幅広くとっているが、難しいものではない。報酬は大きい。さらに最新の文化発信地、共和国で生活できる。
「彼らは望んだ生活が共和国でできていたのですか」
「わかりません。共和国には獣人の居住区があり、話を聞いた二人は普段そこで日常を送っていたそうです。仕事内容の判断をつけるには経験が足りなかったようですね。あと少しで契約期間が終わるので、こちらに戻りたいとその時は言っていたそうですが、今もこの国の入国記録に名前はありません。商人の間にもそういった経緯で連絡のつかなくなった若い獣人達について、出身地域から依頼が来ています。名前を変えて逃げてきたりしたら知らせてくれと。国も気にしているのですが、正式な被害の訴えがあるわけでもないので、動けないようです。もう最初の二人から、二十年以上も経っているはずです」
「本人に目的があって、納得しているなら他人がどうこういうことじゃない。が、見ていてツラい」
「初めて共和国の奴らが連れて来た獣人と会ったとき、絡んで来てるのかと思った。一緒にいた団長に止められなかったら一騒ぎ起こしていた」
「今日はカイが目をつけられていた」
「さすがにこちらが相手にしなければ大丈夫だろう」
チーター兄弟の会話に、カイくんがさらりと言った。
「母さんが共和国育ちなんだ。俺を見てオオカミの番犬を思い出したのかもしれない」
「あの話は本当だったんですね。英雄達の街のエピソードは多すぎて真偽のほどがわからないのです」
アレクサンドルさん達は知っていたようだ。
「母さんは、今回みたいに代表者会議にオブザーバー参加の共和国代表団の護衛として中央に来て、父さんに保護されたんだ。自分の意思で共和国に行ったと判断するには若すぎたらしい。国と地域とそれぞれから問い合わせて、抗議して、向こうの非を突いて、今後手出ししないと非公式な場で認めさせたと聞いた」
あちらは獣人の国民がいない。出入国に自由がなく、契約に基づかない獣人の住人はいない建前だ。
わが国のオオカミ達から身元照会があって、行方知れずで誘拐された親類の子じゃないかと言っているが、そちらの契約はどうなっている、とやったら、居住区で育ったらしいが親もわからないと回答がきた。そこで、それはお互いよろしくない、と持ち込んだんだ。
本人は保護されたとき、混乱して、錯乱して、記憶を失った。真相はわからずじまいだ。
父さんの推測は、大戦のときこちらに合流できなかった群れの生き残り、その末裔、だ。
カイくんがとつとつと話し続けるので、私は一度止めた。
「話して良いの。かなり繊細な話なんじゃ」
「アレクサンドルさんが言ったようによく知られた話だ。それに人間と違って俺達は生まれにあまり関心がない」
そうだった。だから私も仲間に入れてもらったんだった。
「母さん自身も話のネタにするしな。ただ、この時期の中央には来ない。共和国の人間が何かを思い出して、迷惑な事態になるかもしれないと、そこは気を使うんだ」
カイくんの両親は基本一緒だ。仲良し夫婦姿は街でもよく見掛けるし、カイくんパパの仕事に二人して出掛ける。そのためカイくんが、維持が面倒で一人が淋しいお屋敷を閉めて私のいるの孤児院兼寄合所に頻繁に来てくれたのだ。
「初めて見たがキツい」
口を止めたカイくんがあまりに辛そうで、私はソファの上をずりずり移動して、毛皮にポスっと埋もれた。ちょっとしっとりしたしっぽが私の体に巻き付いてくる。




