海とクルミ
かりかり。かりかりかり。
苛立ちを伝えるべく、二つのクルミを片手でいじくり回す。
小さな私の手では落とさないようにわざと音を立てるのは大変だ。
手の甲がひきつれそうだ。私の手でも握れるサイズのクルミは小さくて、一生懸命立てた音は広い空と海原に吸い込まれていく。
カリカリ。かり。
しかし私は人間達に不本意であることをアピールしなければならないのだ。
そのためにわざわざ殼つきのクルミをキッチンからもらってきたのだ。
カリカリ。カリカリカリ。
「手を痛めるぞ」
ほら。
隣に座ったカイくんがあっさり私の手からクルミを取り上げた。代わりにクルミソースのかかったチキンの皿を置いてくれる。
「質の良いオリーブオイルが買えたのだ~。にんにく少なめでもおいしいのだ~」
お腹が空いている訳ではないと言おうとした口を閉じる。
ドミーくんに気を使わせるわけにはいかない。
ドミーくんは匂いの強いものを避けたりうまくアレンジして調理してくれる。
私は前世の習慣だが、カイくんの好みでもある。
カイくんは味覚も嗅覚も草食動物並みに繊細なのだ。
ドミーくん、レイくん、シロくんが簡易テーブルに次々皿を置いてから着席した。
今日は海が穏やかなので、甲板でランチだ。
人間の割合が高過ぎることを除けば、良い日和である。
本当に、どうしてこんなに人間がいるのだ。
ただの人間ではなく、面倒な背景を持つ人間が。
「お、これは良い。故郷の香りがする」
離れた席で碧眼のオジサマが嬉しそうに声を上げている。
「ヨック、一昨日は違う料理に同じことを言っていたぞ」
相槌を打つカーライルさんと親しげにしている。
「私には訪れた土地の数だけ、第二の故郷があるのだよ」
「カッカッカッ。相変わらず薄っぺらいセリフだな」
今日も防御力の乏しい薄い装いのオジサマであるが、纏う生地自体は織りが美しい。
フランクさんと話が合いそうな着道楽とみている。
カーライルさんがヨックと呼ぶ彼は何故か船に乗り込み、しばらく同行することになっていた。
「やっぱり食事は食事で分けたい。短い人生の貴重な一食を、味のわからない立食パーティーとやらで潰すのはもったいない。ああ、この解放感で飲めるのは良い」
商人らしからぬ発言をする体格の良いオジサマは、今日もすでに酔っ払いだ。
「もう陸地で食事ができなくなりそうですね。誰の目もありませんよ。素晴らしい」
アレクサンドルさんがデザートワイン片手に、クルミソースにハチミツを足している。
「ここまで期待していなかった。今回は当たりだ」
アレクサンドルさんと和やかに会話するオジサマも、何故か同行が決まっていた。
アレクサンドルさんによると、このオジサマは、少し絡んでみて利害関係者として中から観察してから、手を引くか深入りするか決断する投資スタイルを取るらしい。
先の港町のプロジェクトでは、深入り希望なのだという。ここ二日間、自然に身内感を醸し出して、当然の如く毎食同席している。襟の高いシャツのボタンを外し、袖を捲り、エールをカパカパ空けている。
このオジサマの服は元は一番かっちりした仕立てなのだが、一番着崩している。元のデザインも、自身の体格も立派だろうに、もったいないことである。
「ああいうパーティーの場を避けるのは、毒物を警戒してかな。それとも警備が不安なのかい。ああでも、今日も少食だね。体調が優れないのかい」
私の向かいに陣取って質問を重ねる若者。
私は全て聞き流しているのに、めげない。
「イーサンは嬢ちゃんに興味津々だな」
揶揄するようにカーライルさんの声が飛んでくる。
「いろいろ窮屈そうじゃないですか。言葉数も少ないですし」
イーサンと呼ばれた若者も何故か船に乗っていた。
この若者は、爽やかさが特徴だ。ナリスさんがキラキラなら、この若者はサラサラ、だ。旺盛な食欲を見せる一方、どこか品のある所作をする。
ひとつだけ親近感を抱くのは、この若者もウィッグの愛用者であったことだ。
人目もないですし、暑いので。今日は地毛です。
そう言って現れた今朝、私は彼の髪色がカーライルさんに似た銀髪であることを知った。
「毒物は俺達が気付く。警備も何人か周りに付けば問題ない。ただ、俺達が一緒に参加することが歓迎されない食事の場にコーはいかない。調印式後の懇親会は、俺達を歓迎しない人間が一定数以上いた」
口を開かない私に代わって、カイくんが答えてくれる。
「それは・・・」
イーサンさんが言葉を探すように目をさ迷わせた。
「コーは『 』だ。コーにとって多くの場合、人間との交流は負担になる」
「そういうことですか」
「なるほどな」
「ああ」
三者三様に人間達が納得した。
どう受け止めたのか分からないが、説明を省ける便利なワードである。
出港時に、三人には私の立場というか、出生についてはカイくんが説明済みらしい。
ルーフェスさんが私の一番隠しておきたい部分をバラしてしまったので、半端に隠すよりはと、全て話しておくことにしたらしい。
何故かカイくん達がこの三人を受け入れているので、強く不満を口にできない私だったりするのだ。
私達は、最初の町を後にして、再び船に乗っている。
最初の町に時間をかけすぎたので、予定していた航路を大幅に変更することとなった。
昨日も今日も陸地がちらりとも目に入らない。
しかしながらアレクサンドルさんの優秀なスタッフ達は急なショートカットにも柔軟に対応したらしく、問題は発生していないという。
薄々気付いていたが、アレクサンドルさんが最初に示した寄港地の大多数はブラフだった。
出港時か先の町か、はたまた出入国時か、もしくはすべての時点か。
予定航路の情報を撹乱しているのだ。
ルール違反にならないよう事務方がうまく動いているというから、人使いが荒いにも程がある。
その点だけならば、こちらに迷惑をかけない限り好きにしてもらってよい。
しかしこのクセモノ達は、ヨックさん達となにやら通じていて、私と彼らとの接触をこれ幸いと利用したのだ。実に腹立たしい。




