ワシミミズクお母さんと一緒
コー、コウ。こう。
小さな腕を精一杯開いて、閉じる。
こうやってそのふわふわの羽で抱きしめてほしい。
ワシミミズクのお母さんに音と動きでお願いする。
「あらあら抱っこかしら。あなたの肌が傷ついたら大変よ。これで我慢してくれる?」
ふんわり翼の羽の先が触れるか触れないか。
フェザータッチなでなでいただきました。
翼を広げると横ニメートルくらい。その大きな翼が近付いている。
黒と褐色の羽、それから鋭い爪で私の視界はいっぱいだ。
猛禽類の眼差しと相まって、傍からみると近くをとことこしているワシミミズクベビーのエサ(=人間の赤ん坊)捕獲、の図である。
人間の赤ん坊である私は、思いのほかワシミミズクお母さんの羽の感触が硬くてあれっと思う。
赤ちゃん肌にはちょっと刺激が強いかも。
ふわふわというよりちくちくかな。
でもやっぱり翼でつつまれてみたい。
翼のある動物に翼で抱きしめて欲しい。
大きなもふもふ動物に体全部で抱き着きたい。
大型爬虫類に乗ってみたい。
夢はいっぱいある。
前世でかなわなかった夢が、今世なら頑張ればかないそうだ。
とりあえず今は翼抱っこの実現に向けて全精力を傾ける。
私は生後半月位だろうか。
まだはっきりとした発音ができないからジェスチャーするしかない。
こう、こう、こー。こうやってー。
どんな状況かって?
簡単に整理しよう。
アラサーな金融関係勤務の大人女性が、ちょっとした危機に直面し意識を失った。
意識が戻ったときには、生後数日っぽいベビーになっていた。
周りにはとても強い猛禽類として有名なワシミミズクとその二人の子どもがいた。
凛々しい顔の猛禽類お母さんは外見に似合わないのんびり声で「あらあらびっくり」と言っていた。
アリゲーターやトラやオオカミがわらわらやって来て「この子はサルのナナさんの小さい頃に似てはいるが種族が違うぞ」「これは人間の匂いだ」と騒ぎだした。
動物好きの私は、幸せな夢か最期のご褒美かと思ってキャッキャした。
どの動物も肉食っぽかったが、こんなシチュエーションあるだろうか。
肉食獣たちの言葉がわかって、囲まれて、ふわふわスリスリ触られて、うれしいと思っていたらお世話されてしばらくたった。
こんな顛末である。
断言しよう。ここは私の生きていた現代日本ではない。
人間社会ですらない。
満たされた肉食獣人たちの生活圏だ。
肉食獣人たちは二本歩行して衣服を着用しており、とても穏やかである。
私のスキスキオーラが分かるのか、好意的だ。
食べられる、という心配は今のところしていない。
みんなこわごわそっと触りはするが、明らかに傷付きやすそうな人間の肌を恐れて持ち上げすらしない。
基本私のいた世界の基準よりみんなふたまわりくらい大きい。爪も、牙も。
まあ、うっかりで大惨事が起きそうでは、ある。
自我と大人の記憶をもつ身としては精神的にきつい局面も多々あるが、ワシミミズクお母さんにもう身を委ねている。
ふわふわのワシミミズクベビーと一緒に寝て、起きて、お世話されています。
ありがとうございます。
「人間は毛皮がないから怖いわねえ。どうすればよいのかしら。バルドーさんはいつ来てくれるの」
私は突然ぽんとワシミミズク母子の間、子ども二人の間に割り込むように現れた。
その場にはいろいろな肉食獣人がいたが、人間はいなかった。
不思議な現象にみなびっくりしたが人間についてよく知らないため「人間は突然発生するんだなあ。知らなかった」ですまされた。
私も知らなかったよ!
でもきっとちがうよ!!
バルドーさんという人間が時折訪れるらしく、私の今後はその人待ちである。
自己分析によると私は前世知識と多分成人レベルの消化器官を持っている。喋れないが、周りの言葉は理解できる。
しかしそれ以外、この世界でのこの身体の今後についてはわからない。
ハチミツやナッツ、離乳食ではない普通の食事が最初からできるし、周りの話の内容が日本語として理解できた。消化器官は本当に助かったが、それだけである。
肉食獣人達の食事は時々ワイルドで、私にとっての選択肢は限られる。
生肉とか、生き餌とか、本能的にダメだと思うものをウーウー言って拒んでいたら素朴な食事に落ち着いた。
ナッツ美味しい。
葉物野菜もいける。名前はわからないけれど、野菜のカテゴリーだと信じて食べている。多少のえぐみは大人の味だ。
良い子は真似してはいけません。
前世に最初は未練があった。
しかし今はこの世界を楽しむ気満々である。
孤児で周りに人間すらいなくて、普通の幼子では衛生的にも育たない環境だが、なんだか体が小さくなっただけで頑丈さはそのままっぽい。
意味のある言葉はまだ出ないけれど。
先が楽しみだった投資先やプロジェクトがあった。正直未練はそれだけだ。
事業に二度も失敗し、二度も自己破産した父はとっくに故人だった。
お金はどこかから降って来ると思っていそうな母には億単位の私の財産と保険金が入るだろう。
現預金は大してなかったが、いざという時有価証券と債権の処理は弁護士に頼むよう言ってあったので大丈夫だろう。
んん、ちょっとよくわからないって?
これも簡単に整理しよう。
私は前世血筋的に金銭的センスのない生まれだった。
悔しかったから両親始め親類縁者を反面教師に金融力を磨いた。
集団生活が苦痛な一族で、小金ができると事業を始め、そして失敗する血筋である。
周りが失敗例しかないので、年長者を見習うと当然成功しないのである。
何をするにも元手がいる。
私は手元に資金がない、むしろマイナスからスタートであった。
幼少期から学業と睡眠以外の時間を小遣い稼ぎとバイトで埋め、社会人になってからも同じペースで仕事と資産運用に精を出した。
一日一食でも気合いで動ける身体を頼りにしていた。
人生の中で食事にかける時間と手間と費用を節約すると、結構なものになるのだ。
勿論そんなことをしていれば身体は十分につくられない。
長生きはできない。しかし生まれながらのマイナスは代償なしに埋められない。
短い期間でよいから、お金の心配がいらない生活というものを味わってみたかった。
正確にいえば、富裕層といわれる人々の世界に入ってみたかった。
世に溢れる「セレブ」ではなく、本物の世界。
周りとWin-Winの関係を築き、豊かな知識、経験、人脈を活用し、精神的な余裕をもって生きる。
高額化していく医療も、才能ある子の将来も、会社の資金決済と引き換えに断たれる命も、諦めなくてよい世界。
明日の衣食住が安定しても、不労所得が勤労所得と同程度になっても、幼少期から続く強烈な飢餓感がまだまだだと背を押した。周りを見ないようにしたのはこの先の世界を見る為だと。
最終的にお金に困った知り合いが「金持ちの知り合いが貸してくれる」と危ない人たちに私の情報を差し出し、対応に時間を取られているうちにうっかり死んでしまったのであるが。
怖い人たちに張られていたので外に出られず、疑わしいので宅配業者の声にも戸を開けられず。食料が尽き数日、空腹を寝て紛らわせようと飲んだ睡眠薬がまずかった。
やっぱりコンシェルジュ付きのマンションにすべきだった。
元凶の知り合いが、かつてちょっとビジョンを共有した思い入れのある相手で、結構のっぴきならない先に追い詰められていたので、彼の再起の芽を残しつつソフトランディングできないかと警察を呼ばずにコネを使おうとしたのがそもそもの間違いだった。
方々に連絡し、一息着くつもりだったのに。
慣れない感傷は持つべきではなかった。
ただ、そのあとのボーナストラックがこの転生である。
私に不満はない。
家にいない時間が多いので飼えなかったが、私は大きな動物が好きだ。
哺乳類も鳥類も爬虫類も両生類も。
大きな犬と海辺の家に住む。
大きな亀や生き物が時々近寄って来てくれたらうれしい。
満足するまで資産を整えたあとに時間が残っていたならと、考えていた生活だ。
あそこが私の限界だと、神様が諦めさせてくれたのかも知れない。
ということで、私はこの生活を享受するのに忙しい。
湿った話と感傷は前世に捨てて来たのだ。
コー、コー。こう~。ダッコシテー。
「あなたはコー、コー言うわねえ。名前はコーにしたらどうかしら?」
ワシミミズクお母さんが名前をつけてくれました。