ボスライオンと打ち合わせ(現在)
こわい、こわい、こわい。
傍目にはこわい。厳つい。しかし私には今日一番のご褒美だ。
目の前にはライオンの獣人が二人いる。感覚サイズで縦ニメートル、横五十センチ。精巧な装飾が施された扉の両側に、ボルドーのお仕着せジレスーツを着て、二本足で立っている。
黒々としたたてがみが立派なお兄さんライオンはラスコーさん。ふわっとした首毛がスカーフのようなお姉さんライオンはシェーヴェさん。ボスの部屋を護る二人は、とても見映えのするセキュリティである。
か弱い人間の小娘である私が物理で突破できる可能性ゼロである。
威圧感いっぱいだが、それが良い。
ここはライオン獣人達の拠点である。見た目人間の小娘である私は、質実剛健な石造りの建物の入口をくぐり、受付をなぜか顔パスし、てくてくとボス部屋の取り次ぎ部屋までお供と一緒に上ってきた。
「ボディチェック」
ぶっきらぼうな一言とともに、ラスコーさんの大きなもふっとした手(前足)が、傍らの壁に設けられたくぼみから危険物探知機を持ち上げる。
「どうぞ」
上着を脱ぎ、ズボンのポケットを裏返し、靴を脱ぎ・・・としていた私はそれを見てガッカリする。
前はボディタッチだった。そのまま襲われるのでは、と怖がる人間が多々いた。それを見かねて、金属や武器・暗器の類を検知する機械をこの街仕様に特注したのは私だ。怖がる人間用に提案したものである。
もふもふタッチウェルカムな私に使うのはなぜだろう。
ラスコーさんが私の動きを手で制する。探知機を大きく振る。私の周りを囲むように動く。人間としても小柄どころかちんまりまとまった私など目線がお腹である。うむ、良い生地とボタンだ。成人して久しいのに、この大型獣人にはまったく近付いた気がしない。
仕立ての良いスーツのなかを触りたい。
獣人独特の、躍動感あふれる筋肉。露出した腕のみならず、衣服の上からでもわかる。
最近彼はボディチェックのときくらいしか近付いてくれない。この近距離は貴重な機会だ。
フラりとよろけてみる。大きなライオンの身体が同じだけ後ずさる。
「クックック」
私の後ろにいたはずの小さな(といっても百五十センチない私より大きい)少年ライオンが横で顔を背けて笑う。事務所からここまでのボディガードとして連れて来た、暗色斑の残るライオンボーイだ。
このライオン達の組織から私のところに派遣されている彼は、ラスコーさんとシェーヴェさんの弟である。お仕着せの半ズボンスーツ、そのジャケットのボタンは留められていない。波打つ毛並みが見えている。実に私好みの着こなしである。だがしかし、彼は私に謎の距離を保つので、見るだけなのだ。
「レイ!」
ガオッという副音声つきでシェーヴェさんが少年ライオン、レイくんを叱責する。露出していた彼の腹部を素早く蹴り上げる。レイくんは蹴られた勢いを利用しながら距離をとり、咳込みながらボタンを全部閉めた。
ボタンを留めていたら特殊素材が仕事をしたのに。
ところで、何がシェーヴェさんの気にさわったのだろう。
「今のはなしでしょー」
レイくんが不服そうな、でもちょっと情けなさそうな表情でシェーヴェさんを見上げた。
真ん丸おめめがかわいい角度だ。彼は日に日にこの手のスキルを磨き上げ、今や実姉にすら試してしまう。全く通じている気配はないが。
姉弟の非言語コミュニケーションを目に焼き付けていると、ボディチェックを終えたラスコーさんが口を開いた。
「よこしまな視線が隠せていないぞ。サッサと入り給え。そもそも鍵を受け取ればここを通る必要もないだろう」
呆れ顔で私に言う。
ラスコーさんは物理的にも、精神的にも、私から日に日に距離を取ろうとしている気がする。
「セキュリティは大事です。素性のはっきりしないものは毎回チェックすべきですよ。それに、私が襲われて鍵を奪われたら申し訳ないですし」
ここで話題にしている鍵とは、このライオンたちの拠点のマスターキーである。ボスの部屋への裏口も開けることができる。その先もボスとの直通インターホンでのやり取りさえクリアすれば、取り次ぎ部屋を省略できる。
真面目ライオンのセキュリティが面倒と思う多くの訪問者にとっては、欲しいと思う鍵なのかもしれない。
私は彼らの姿を見るのともふもふするのが楽しみなので、省略するなどもってのほかである。
ほらほらと両手を上げる。追加で触って危険物の有無をチェックしてよいですよー、とアピールする。
大きなライオン獣人は、私をフンと見下ろした。
「例え何を持ち込もうとコーに害される者などこの街にいない。コーが襲われる可能性を高めてはいけないとボスが言わなければレイをつけたときにとっくに渡したものを」
コーとは私のこの世界での呼び名である。この世界での親はいないため家名はない。孤児院育ちの街の子コー。非力で不器用な私をこの街で知らない者はもぐりである。
三人のライオン獣人と戯れることしばし。
「コー、早く来たまえ。紅茶が冷める」
ライオンセキュリティの先、扉の奥から、私の薄っぺらなお腹に響く声がした。
呼ばれたならお邪魔しなければ。
三人のライオン獣人に目配せし、扉を開ける。本来なら彼らのタイミングに従って入室すべきであるが、彼らの私への警戒心は著しく低い。依然後ろでガウガウ言っている。私の耳では言葉として拾いきれないが、何やら楽しそうなのは確実だ。
「こんにちは」
開けた扉の先は、ライオン達のボスの執務室である。
飾り立ててはいないが確実に質とセンスのよいスーツを着たイケオジライオンが大きな応接セットに腰掛けていた。
ラスコーさんより黒く、ふさふさしたたてがみ。ボルドーより濃い服地に、いっそまがまがしいほど映えている。
「好みの温度に近いと思う。小麦粉の菓子と一緒に腹に入れ給え。むむ、また小さくなったのではないか」
大きな肉球を上にむけて示されるに従い、山盛りのクッキーとティーセットの前に座る。肉球に見とれていたらソファーに埋もれた。
「アドバイス通り、適用金利を定めて周知した。一時的な減収はあったが、分かりやすいと事務方にも顧客にも好評だ。顧客の幅とリピーター数は拡大している」
穏やかな仕草で、せっかちに切り出されたのは良い知らせだった。
「信用と安心感は大事です。いざという時の後ろ盾になります」
「われわれに対して信用と安心感を積み重ねたコーは後ろ盾を欲しないのかね」
ライオン達のボスの目が細められる。人間くさい表情だ。
「十分後ろ盾として振る舞って下さっているじゃないですか」
「それでもちょっかいをかけているところがあるだろう」
「まだ敵対してませんよ。私、だからこの街にいるんです。みんな共存共栄」
アニマルパラダイス!
心中で叫ぶ。
イケオジライオンが苦笑した。どうもこのイケオジには私の幸せ生活を読まれている気がする。街の外から来る人間には不思議がられ、街のみんなには不憫がられているのに。知らない人間が、連れ出してあげると本気の善意で言ってくれることもある。
生まれも育ちも拠点もこの街、という人間は私しかいない。私は辺境の大型肉食獣人の街に突然「発生」した前世持ちの人間である。
「まあ、この街ではな。ただ、いつ外の騒動が持ち込まれるかわからない。その時にコーの立場はきわめて不用心だ」
この世界の人間たちにとって、獣人びいきの私の動きは理解できない。彼らにとってよろしくないことに、私はちょっとした影響力を持ってしまった。よりによって彼らが得意としていた金融分野で。
彼らが敵わない獣人の物理的力を後ろ盾に、ぽっと出の小娘が前世の知識を使ってハバをきかせている。そう見えていることを私は知っているし、いざという時の覚悟をしていることを目の前のイケオジライオンは知っている。だからレイくんを私に張り付かせている。
「街に迷惑はかけませんよ」
大恩ある街の足を引っ張ることはしないと決めている。
「融資事業が軌道に乗ったら街に利益を還元したい」
にまにまするだけの私に、ちょっとしんみりしたライオンフェイスである。今のやり取りはなかったことにするらしい。
「素敵な考えですね。いくつか面白そうな動きがありますよ。どの方面をお考えですか」
「この街には娯楽が少ない。過度なものは不要だが、あー、中央の方では食作りを趣味にしたり細工仕事を楽しむ仕組みがあると聞く」
確かに街のみんなが楽しみにしているのは狩りレースとか格闘技とか、私が参加したら死んでしまうものばかりだ。
新しく食のコンテストやクラフトイベントを導入したら一般的感性でいう日常に楽しみを見出だしてくれるかもしれない。技能五輪的な発展の目があるかもしれない。
ゆくゆくは職人さんの登竜門的な・・・。
リアルにはちみつを味見しつつスイーツに使うくまさん。木を彫るくまさん・・・。いいね!
「中央に出資を募りに行きましょう。いや、有名店のコースやシェフのお料理指導を賞品にしてレストランに広告効果を売り込みましょう。ほかの店もチラシに広告を載せてもらって費用を捻出して・・・。街道沿いの店にも売り込みましょう」
「話が飛び過ぎだ。まずは小規模に始めて様子を見るのだろう」
おおぅ、デフォルメくまさんにのこのこ付いていってしまった。
「もちろんです。しかし Win-Win に持っていくのも私のやり方です」
はちみつくまさんスイーツ、確実に私がwin!
「収支予測を立てますので外せない点をあげてください」
これだから肉食獣人の街の気楽なアドバイザーはやめられない。
これは、大型肉食獣人の街に前世知識を持って突如ベビーとして登場したアニマル大好き金融人が、本能にしたがってアニマルたちのために金融面でちょっとだけ頑張る物語である。
肉食獣人たちから見れば、ちょっと引くレベルでスキスキオーラを出す圧倒的弱者の、観察記録である。