言葉途切れて
あの子と同じ高校に合格するために、一時は完全に放り投げていた受験勉強に手を付けた。真面目にやってみれば意外と面白いもので、国語の成績なんかみるみるうちに上がっていって、最後にはナナちゃんに追いつきそうなほどだった。
勉強会なんて名目で、一度だけ、あの子の家に上がらせてもらえたりもして。ナナちゃんとお母さんは、いかにも高級そうな食材の手料理を振舞ってくれたんだけど。あたしはもう、対等なお返しがこの先もずっとできそうにない事を申し訳なく思い続けてて、料理の味どころではなかった。
まあ、特別高みを目指したわけでもなくて、結局は地元の、ふたりが歩いて通える距離の学校を選んだのだけれど。
同級生からの遠出の誘いは、たしかに魅力的ではあった。でも、あたしは躊躇せずにその場で断った。なぜならその日には、不動の先約があったからね。
ナナちゃんとあたし、ふたりきりの卒業旅行。
行先は、南の島だった。
飛行機の中で、ひとつのイヤホンを分け合って、音楽を聴いているとき、何か素敵な事が起こる予感でいっぱいだった。
実際、シーズンオフで泳げなかったけど、海も砂浜も息をのむほど綺麗で。お金持ちが持ってそうな凄い別荘にも、泊まらせてもらえて。ふたりでお風呂に入る時、脱衣所の入り口からもうのぼせそうで、あたしはずっと体にタオルを巻きっぱなしで、それはあの子も同じで、妙に間のある浮ついた会話しかできなかったり。窓から星を眺めながら、時間を忘れておしゃべりして、しゃべりすぎて疲れてしまって、気が付いたら二人ともソファで目を覚ましたり。裏路地のお土産屋さんで、おそろいのピアスを買ったり。
したんだけど、結局は。
あれが、一番すてきな事だったかな。
旅の終わり、帰りの飛行機から降りて。
くたくたになって、ふたりとも無言で。
でも、ある瞬間、目が合うと。
いつまでも、逸らせなくて。
少しずつ近くなる距離が、とても自然で。
空港のロビー。
流れる人ごみの中。
あの子とキスをした。
その思い出がある、という、ただそれだけで、人生が明るいものになる。
あの瞬間、あの感覚は、すべて現実で、確かにこの世界で起こった事で。
それは永遠に、変わらない。
あの頃、あたしはそう思っていた。
随分と身勝手に、そう思っていた。
「今日この日までの、すてきな思い出を、たとえ全部、忘れてしまっても」
帰りの電車の中、あたしには表情を見せずに。ナナちゃんはぽつりと言った。
窓べりに肘をついて、まるで、車窓を流れていく外の世界に向かって、囁くように。
「今のわたしが、ノノのことを、たしかに愛していること、忘れたくありません」
家に帰ってからも、その言葉の意味を、あたしはずっと考え続けて。結局、答えは見つからなかった。それはそのはずだ、あの頃のあたしは……いいえ、今でも……まだ子供なのだ。
少なくとも、あの子の両親に比べたら。
その話を聞いたのは、高校の入学式の前夜だった。
ナナちゃんのお母さんは、小説家だった。
「わたしも、お母さんと同じように、作家になりたいと、少しだけですが、そう思っていました」
お母さんが、自らの意志で夫と別れ、別の男の人と一緒になるまでは。
それからしばらくして、あの子の血のつながったお父さんは、亡くなったのだという。エンデ・カッセルさんは、今際の時にも、かつての妻である美穂さんと、娘のナナちゃんの名を、口にしていたそうだ。
エンデさんと美穂さんは、子供の前で口づけを交わすほど、仲睦まじい夫婦だった。
そしてナナちゃんは、そんな二人が大好きだった。
「大好きだったのに」
途切れ途切れに語られる昔話の最後を、あの子はそう結んだ。
聴いてる方が窒息してしまいそうな、声にならない声で。
暗く、冷たく、微笑みながら。




