繰返す思い出
その手紙は、ナナちゃんの部屋に落ちていた。
がらんどうの、生活感の欠片すらほとんど何もない、あの子の私室。空っぽの段ボールだらけ。いつも一緒に眠っていたはずの、オオカミのぬいぐるみも、今はもういない。そんな場所に、アンティークのような焦げ茶色をした机があって、その上に、綺麗に折りたたまれ、置かれていた手紙。
あたしは、それを読んだ。
そして。
あの眩しいほどに明るい子が、どれほど変わってしまったのか、壊れてしまったのか、あたしは理解した。それこそ、あたしの心が壊れてしまうほどの、激痛を伴って。しびれが、全身を駆け巡り、空気の味にすら、嫌悪を覚えた。
自分の生きているこの世界が、心底嫌いになった。
読んだ後、いてもたってもいられなくなり、あの子の部屋を出て、そして少しだけ、考えたんだ。
これを、アイツに渡すべきだろうか。
答えはすぐに出て、あたしは手紙の存在を隠した。
アイツは隣の部屋で暴れていて、あたしは怖くなって、必死で腕にしがみついて、落ち着かせようとした。ようやく落ち着いたかと思えば、すぐにわけのわからないことをくっちゃべって、さっさと出てってしまった。なんなんだよ。そんなこんなで、あたしはナナちゃんの家に取り残された。
それでも、構わなかった。
あたしは、ナナちゃんが大好きだ。
悲しいことに、今でも。
愛してる。
あの子との思い出は、きっとこの先も、一生、忘れる事なんてできないだろう。
あの子が過ごした空間で、あの日々に、思いをはせる。
目を閉じれば、ほら、ね。記憶がよみがえってくるんだよ。
こうやって、思い出に浸る。
それを繰り返してきた、何度も、何度も。
あの子と離れてからも。
あの子とはじめて交わした、言葉たち。ぜんぶ、いまでも思い出せる。
中学の、2年目の、始業式。
新しいクラス。
新しい、クラスメイト。
その中でも、ひときわ目立つ、黒髪の、大きな瞳の女の子。クラス名簿から、必死で名前を探した。どうしても友達になりたかった。
「ねえ、あのさ、う……ヴォンカゼルさん?」
そうそう、あたし、あれはかなりバカだった。でもまあ、さ、仕方ないじゃない、中学生だよ。そして、そんなバカなあたしに、ナナちゃんは、優しく丁寧な言葉づかいで、返事をくれた。
「ええ、ヴォンカゼルでもよいのですが、母国では、すこしだけ、違う読みですね」
「あ、あの、あたしは」
〈三浦歌野〉
彼女に比べて、随分と平凡な名前だ。羨ましかった。あの子の、物語の登場人物のような、その名前が。
「三浦さん、なにか、わたしに?」
「ううん、特別な用なんてないよ、話してみたかったの。ていうか、ノノって呼んで」
「あ、はい、ぜひ!」
「敬語もいらないよ。クラスメイトなんだしさ、あ、でさ、本当はなんて、読むの」
「ナナで構いません。ナナとお呼びください」
「あ、ありがと。いやさ、だからその、ナナちゃんの、苗字は」
苗字じゃなくて、ファミリーネームでしょ。ばかだなあ、あたし。
「あ、そうでしたね、母国はオーストリアです。カンガルーもいますよ、いっぱい」
「あはは、それ、動物園の中にでしょ、ていうか、だから、敬語、ダメ!」
そうだ。結局、ナナちゃんの敬語は、直らなかったなあ。
そういう子だっただけ、なんだけど。
あたし達は、よく笑った。
「ま、いっか、これから、よろしくね」
「いいのですか、ノノ?」
「うんうん、これから、いくらでも教えてもらうチャンス、ありそうだし」
「今すぐは、ダメなのですか」
「うん、ダメだよお、そんなすぐに秘密をバラしちゃ、イイ女にはなれないわよ!」
「では、今すぐばらしてしまいしょう。イイ女になっても、その先どうしてよいのか、分かりませんから」
それが、彼女との出会いだった。
〈Nana von Kassel〉
那々・フォン・カッセル。
あたしの、ナナちゃん。




