決裂
「この世界に住む人達は、この世界に隷属しています」
静かに、独り言を呟くように、加瀬が言葉を漏らしていく。
「世界の与えるものだけに喜び、世界の与える苦しみから逃れられません。
おなじように、わたしはあの世界に、隷属しています。
そして、あなたにも、それを求めました。
描かれた物語を読み進むあいだ、あの世界に触れているあいだ、あの世界に、隷属していてほしいんです」
加瀬と、同じように?
「最初に、わたしが、あなたに、奴隷である事を、もとめているんですよ」
その対価として?
「だから、この世界では、わたしがあなたの、奴隷であるべき、なんです」
そうか。
「これは、対等な取引であり、契約、なんです」
理解できた、気がする。
「わかっていただけました……でしょうか?」
「ああ」
それだけ言うと、他に何も話せなくなってしまった。
今ここに流れている時間が、俺達を少しずつ引き離していくような、そんな気がした。
けれど、やはり、俺には、語るべき言葉が、見つからない。
「お疲れ様でした」
彼女はそう言いながら、にっこりと笑う。
「こんなつまらないおままごとに、付き合わせてしまって、ごめんなさい、そして」
頭を、深々と下げる。
まるで演劇の終わりに、客席へと礼をする、役者たちのお辞儀のように。
「ありがとうございました」
それは、一見すると感謝のような、別れの言葉だ。
黙っていられない。
悔しいじゃないか。
このまま終わらせたくない。
けれど。
俺は彼女を。
奴隷になんて、できなかった。
「なんで、なんで」
無意識に口が動く。
「なんで、俺なんだよ」
「それは、読んでいただければ、分かります」
「でも、俺はお前を奴隷にするつもりなんてないんだよ」
「では、お渡しできかねます、ね」
意地悪く、苦笑する加瀬。
「大丈夫です、わたしは、このとおり、若くて、健康そのもの、ですから、だからだいじょうぶ」
一瞬だけ、眉をびくつかせ、それから微笑んで。
震えながら微笑んで、喉を鳴らして。
加瀬は別れの言葉を告げた。
「さようなら」




