表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
86/126

NÄHE

静かに横たわる七穂の、その前髪を直した。

穏やかな表情からは、しかし何の感情も読み取れない。

話しかけたい。話しかけても、いいだろうか。

何を、話すべきだろうか。

どんな言葉を、かけてやれるだろうか。


「七穂」


名前を呼ぶ。

ただ、それだけしか、出来なかった。


「七穂」


もう一度、名前を呼ぶ。

彼女の頬を撫ぜ、額に口づける。


静寂の中、音が鳴る。

機械的に、時間の流れを伝えるように。

七穂を置きざりにしたまま進む時間を、俺に残酷に、突きつけるように。


「俺、ようやく気が付いたよ」


クスリの匂い。白い壁。

黒い花瓶に飾られた、白い蘭のような花。

心電図の表示。


「気が付いたんだ」


あの日、七穂は病院に運び込まれ、一命をとりとめた。

手術を終えて、集中治療室から出てきた彼女を見て、俺は声をあげて泣いた。

嬉しかった。

助かったと、思った。

彼女を救ってやれたと、おこがましくも、そんな気になっていた。

だが、それは間違いだった。


七穂は目を覚まさなかった。


俺が毎日、花を買って、病室を訪れて、その日の出来事を話しても。

野乃詩が同じように、毎日、この部屋を訪れても。


だから、俺はここを訪れるのを止めた。

頭がおかしくなってしまいそうだったから。

希望が、潰えてしまったから。

でも。

それも、今日でおしまいだ。


昨日、七穂の家で見た、あの遺影。

影も形もなくなっていた、俺の実家。


二つの、あり得ない、現実離れした出来事に直面して、ほとんど眠らず、考え続け。

俺はある結論を出した。


「なあ、もう終わりにしてくれよ、こんなこと」


窓の外から、茜色が差し込んでいる。

黄昏時。

人影の見分けがつかなくなり、昼と夜が交差して。

そして、あの世と、この世が、交わる時間だという。


「ここは、今俺がいるこの場所は、まだ、あの世界なんだろう?」


今にして思えば、何もかも、幻だったように思える。

七穂が好きだと言ってくれたこと。

ショッピングモールでのデート。

あり得ないバカバカしい出来事が、案の定、何度も繰り返し、夢オチに終わった事。

現実と幻が交わりすぎて、手が付けられない、とでも言えばいいのか、そんな世界。


「俺はまだ、お前の書いた物語の、その中に居るんだろう?」


ベッドで横たわる彼女の傍らには、いつもそいつが居た。

今も、七穂を守っている。

黄昏時には、本物の金色に輝く、黄色い目をした狼。

ツァウベルという名は、魔を意味する。


「そして、お前はまだ、迷っているんだろう?」


俺は、話しかける。

言葉を、投げかけ続ける。

目の前の少女に。

そして、ここではない、現実の世界の何処かで、何かを迷い続けている少女に。


「本当は、ハッピーエンドが良かったのにな?」


七穂の手を握る。

俺は決意を固める。

飛び起きなければ。

書を捨てて、部屋を出なければ。

今すぐ、この世界から、飛び出さなければ。


「この物語を、幸せな形で、終わらせたかったのに、それが出来なかったんだろう?」


だって、それは。

七穂、お前が、まだ迷っているからだ。

俺を……現実の俺を置き去りにして、お前は、神さまになろうとしているんだ。


なあ。

この世界の俺がどれだけ幸せになっても。

この世界の七穂が、どれだけ幸せになったとしても。


現実の俺が、救われるわけじゃあない。

そして。


現実のお前だって、それは、同じなんだぜ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ