RUHE
創さんが亡くなっていた。
この2か月余りの間に?
俺の、知らない間に?
最初、俺はそういう驚きを抱いた。
そんな風に、認識した。
だが、部屋に入ってきた野乃詩の言葉は、俺をさらに混乱させた。
『この人、知ってる、ナナちゃんのおじいちゃんでしょ?
エンデさん、よね、たしか』
エンデさん。
創さん、ではなく。
そして。
『あたしたちが中学生の頃、死んじゃったんだ』
野乃詩の言葉に、そして笑う創さんの、白黒の遺影に、その存在に、動揺するあまり。
俺はその場から逃げ出した。
理解が追い付かない。
考えを巡らせる。
電話が鳴る。
野乃詩のコールだ。
それを無視し、駅の改札に駆け込み、電車に飛び乗る。
じっとしていると体が震えるので、歩き出す。
ガラガラの電車が走り出す。
グラグラと、あたりが、世界が歪み、揺れる。
頭が回らない。
そうだ。
そろそろ、帰ろう。
実家に戻るんだ。
ここしばらく、両親に顔を見せていなかった。
とにかく、どこかで落ち着かなくては。
落ち着きを、取り戻さなくては。
「なんなんだよ」
小さな、小さな悪態が零れ出た。
車両を、進行方向とは反対に進む。
車内の人々の目が俺に集まった。
「なんなんだよ、クソ!」
今は、野乃詩には会えない。
俺の知っている事実が、現実が。
また壊されてしまう気がした。
けれど、一人でも過ごせない。
静寂に耐えられる自信が無い。
こんな時は、やはり、我が家に帰ろう。
すり減って衰弱した意識の中、体を左右に振って。
俺は歩く。
事実が怖い。
逃げ出したい。
なにも、考えたくない。
けれど、思考は働き続けた。
俺の望みとは無関係に、頭が回りだす。
考えは、止まらない。
創さんは、本当なら、俺とは出会うことなどなかった。
俺が七穂に出会う前に、そうなる前に、とっくの昔に、死んでしまっていた。
俺は幻を見せられていたのか?
それじゃあ、七穂は?
彼女も、彼女すら、幻だったんじゃないのか?
それとも。
それとも……ひょっとしたら。
幽霊?
そんなバカな。
あってたまるかよ、そんな話。
幽霊と奴隷ごっこ?
幽霊と恋人ごっこ?
はじめから、全部、俺の妄想だったのか?
何も信じられない。
もう、逃げ出したい。
全部から、逃げ出したい。
俺の感情をかき乱す、すべてから。
俺を不安に陥れる、この世界から。
見慣れた道が、まるで別世界のように思えた。
それでも、とにかく逃げ込める場所を求めて。
我が家へと、一歩一歩。
無理を言って一人暮らしをさせてもらっていたのだが、たった2か月でホームシックだ。
根性のない息子でごめんよ。
そんなセリフを頭に浮かべながら、最後の角を曲がる。
そして、強烈な違和感が襲う。
ここじゃない。
この家は、ちがう。
俺の家じゃない。
屋根の形も、壁の色も、門の作りも、止まっている車も、何もかも違う。
表札の名前は、辰巳ではない。
何処へ行った?
ついこの間まで、俺が住んでいた、あの家。
あの家は、消えてしまった。




