ZIEL
野乃詩が泣いている。
泣きながら、俺の腕を掴んでいる。
座椅子を持ち上げて、振りかぶったその腕を、われに返った俺は、静かに下ろした。
当たりを見回せばぐちゃぐちゃだ。
黒い扉は割れ、破片が畳の上に飛び散っている。
蝋燭や、線香の束、鉢の形をした鐘が畳の上に転がっている。
写真立てが、その中身を隠すようにうつ伏せで倒れ、ガラスの破片を飛び散らせていた。
俺はその場にへたり込み、誰に対してでもなく、ぼそりと言った。
「ゴメン」
肩を抱えられ、七穂の部屋のベッドの上に座る。
そのまま仰向けになり、窓から差し込む光を、左手で遮る。
「あたしが片づけとくから、あんたは休んでて」
「いや、俺が」
「無理しないで!」
少しだけ強い調子で、俺を諭す野乃詩。
「おまえ、本当に良い奴だな、野乃詩」
「勘違いしないで、ナナちゃんのためだから」
か……勘違いしないでよね。これは。
ツンデレの典型のようになってしまったために、いまやギャグとしてしか言われなくなってしまったセリフだ。彼女はそれを知っているのか。
「あ、今のギャグだから、ツンデレごっこだから」
俺は少しだけ、無理をして、クスリと笑った。
野乃詩のため息が聞こえた。手をどけて彼女を見ると、笑っていた。
「ここに来た目的、覚えてる?」
「ああ」
俺達は、確かめに来た。
ここに来れば、何かが分かる気がした。
あの日、バスタブの中で血まみれになっていた七穂。
七穂は、自分で自分を傷つけたのか。
それとも、あれはただの事故だったのか。
結局、分からずじまいのままだった。
でも、それだけは、確かめなきゃならない。
知っておかなきゃ、納得できない。
知ったところで、状況がよくなるわけじゃない。
七穂が返ってくるわけでもない。
だけど、少なくとも、俺だけは。
俺達だけは。
確かめに、来なければならなかった。
この家に遺された、遺されているはずの、何かが、永久に潰えてしまう、その前に。
テープで止められていない、開封済みの段ボールのひとつを、野乃詩は開けた。
ああ、そいつは見覚えのある箱だ。
「うわ、ゲームだ」
目を丸くしてすぐに蓋を閉じ、それからまたゆっくりと、怖いものを覗くように、蓋を開ける野乃詩。
たぶん、お前の持ち物、入ってるぞ。それを言おうとした刹那、ピンクのゲーム機を手に取る。
そして、両目を潤ませる。
「こんなの、捨てないでくれてたんだ」
「あいつって、やっぱちょっと、オタクなとこあったのか」
うん、と首を縦に振り、それからまた、両目が赤くなる。
頬を引きつらせ、声を殺して、鼻を啜り、野乃詩は肩を震わせる。
彼女のまるい顎の先に、水滴が溜まる。
俺は彼女の頭を撫でながら、肩を叩き。
「こっちの部屋は、頼む」
それだけ言うと、俺は立ち上がり、隣の部屋へと足を延ばす。
確かめなきゃいけないのは、こっちが先だ。
部屋を見回す。
床には、もともと仏壇にあった、あの写真立て。
俺が暴れたせいで、うつ伏せになり、ガラスが割れてしまった。
あれは、見間違いだったのだろうか。
部屋の隅に、四角い紙片が散乱している。
名刺の束だろうか。
そこに、誰かの名前がある。
〈ENDE KASSEL〉
知らない名前のはずだ。
でも。
なんとなく、予想が付いた。
エンデ。
終わりを意味する、ドイツ語だ。
俺は写真立てを起こし、そこに写っている人物を見つめる。
どういう事だ。
何が、起こっている?
写っていたのは、仏壇に祭られている、その人物。
七穂の祖父、加瀬創だった。




