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REDO

エレベーターの階数表示が、少しずつ、下っていく。

数字が、減っていく。

それを見ているうち、違和感を覚える。


あれ。


さっき、どうやって、部屋を出た?

金を払って、だ。

痛い出費だった。


そもそも、あの部屋に入った時点で、財布の中身はすっからかんだったのに。

そう。


金なんか、無かったはずなのに。

七穂に負担をかけないために、後で支払うために、こんな場所で一夜を明かしたはずだったのに。

おかしい。


背筋が凍る。


「なあ、七穂」


彼女の顔を、見られない。

腕に感じていたはずのぬくもりが、なんだか空虚な、錯覚のように思えてくる。


「あれは、俺が読んだあの本も、遺書の代筆なんだろ」


エレベータの数字が、1に近づく。

1になる。

扉が開いた。


「誰の、遺書なんだ」


外の世界の、明かりが差し込む。

けれど、俺は歩き出さない。

行っては、いけない気がする。


「お前のお母さんなのか、ユージーン・カッセルなのか、それとも」


俺は手を伸ばし、10階のボタンを押す。

扉は、再び閉じた。


「それとも」


その先が言えない。

言ってしまうと、取り返しがつかない気がした。

体が震える。

エレベーターの数字が、今度は大きくなる。


「それとも」


けれど、言わなきゃいけない。

聞かなきゃ、いけない。

七穂の真意を。


「お前の、なのか」


それを言い放った後、後悔で胸がいっぱいになる。

だけど、もう遅い。


絡めた腕が、解かれた。


「いいえ」


俺は七穂を見た。

さっき部屋を出た時と、何も変わりはない。

にこやかに、悲し気に、笑っている。


「あれは」


彼女に向かって、手を伸ばす。

届かない。


「わたしたち家族の、遺書です」


そうだ。

今度は、勘違いじゃない。

校庭で屋上に向かって叫んだあの日を思い出す。

あの時感じた焦燥は、ひょっとしたら、俺の勘違いだったかもしれない。

けれど、今度は違う。


「あの物語は、神さまのことば未満」


神さま。

神さまとは、何か。


「なぜなら、未完成だから、でも」


本物の、『神さまのことば』。

その著者は、彼女の両親はどうなった?


神さま、とは何か。

どうすれば、神さまになれるか。


あの、墓参りの日。

カッセルと掘られた墓の前で。

俺は七穂に、何と言った?


『お前が、死のうとしているんじゃないか、って、思ってた』


その時、彼女はどんな顔をした?


『そんなこと、思ってもみません』


そうだ。

確かに、思ってもみなかっただろう。

俺が、それを、そのアイディアを、妄想を。

彼女に、教えてしまうまでは。


あのとき、七穂は気が付いたんだ。


七穂のなかに、もともと存在していた、けれど彼女自身、おそらく気が付いていなかった、願望。

それに、気が付いたんだ。


「もうすぐ、完成します」


俺が、教えてしまったんだ。



  ◆◇◆



108号室の扉を開け、中に飛びこみ、何かを探す。

何やってるんだ、俺は。

何を、探しているんだ?


……この部屋には、何もない。


道を引き返し、エレベーターの前に立つ。

扉は閉まりかけている。

手を伸ばす。

指先すら挟み込めないまま、閉ざされる。

ボタンを押す。何度も。

何度も何度も、連打する。

バカみたいだ。


顔をあげる。

赤いデジタル表示の、その数字が、増えていく。

10、11、12。

18、24、57。

おい、おい。

そんな高いビルじゃない。

冗談も、いい加減にしてくれよ。

怒るぜ。

キレるぜ。


扉を叩く。力を込めて、何度も。

数字は増え続ける。加速度的に、スピードを上げて。

110、245、687。


999になり、カウントは終わる。

それから000になって。

そのまま、表示は消えた。


俺は叫ぶ。

わけの分からない、意味のない、感情の表出。

恐怖の奔流。



 ◇◆◇



そして、目を覚ます。

全身を、濡らして。


「知ってたよ、そんなの」


悪夢だってことぐらい、な。

独り言ちる。


『悪夢は、しあわせの証拠だそうですよ』


七穂の言葉を思い出す。

にしたって、あんまりだろう。


時計の針を見る。

見るまでもなく、朝は訪れている。

あたりを見回す。

ベッドの上に、七穂はいない。

脱衣所に、寝間着が脱ぎ捨てられている。

しかし。

物音ひとつ、聴こえない。


血の気が引く。

まだ、夢を見ているのだろうか。


夢であってくれ。


ゴミ箱の中に、チリ紙が何枚か見える。

七穂の涙を、拭ったのだ。

ついでに、少し垂れていた鼻水も。

あの会話は、夢ではなかった。

だとしても。


体を起こす。

バスルームに近づく。

その扉の、曇りガラス越しに。

鮮烈な、赤い色が見えた。


駆け足で近寄り、戸を開けて、中に入り。

バスタブを見た。


七穂は、確かに、そこにいた。


バスタブの中。

目の覚めるような朱色に染められた、液体に、浸かりながら。

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