ZAUN
スイッチを押すと、バスタブが七色に発光し始めた。
なんつう下品な仕掛けだよ。
夜中、天井の明かりを消してこれを点けたなら、多少は印象も違うのかもしれない。
しかし窓から明かりが差し込む中では、なおさら滑稽なものに見える。
これまた、子供は喜びそうだ。
「そろそろ、時間がきてしまいます」
七穂が、ドア越しに呼びかける。
俺は湯船から上がり、軽くシャワーで体を洗い流し、バスルームの戸を開ける。
彼女と目が合った。
「ひあっ」
ハダカで出てきた俺を見て、七穂はリスかネズミのように声をあげ、顔を手で覆い、しかし指の隙間から、チラリとこっちを覗く。
不便な部屋だ。
急いで腰にタオルを巻き、バスルームへ引き返し。
体を拭き、服を着て、またバスルームを出ると、七穂はソファに腰かけ、湯呑に茶を入れていた。
隣りに腰かけてそれを戴く。
「お茶、好きだよな」
「有慈くんは、違うのですか」
「実はブラックコーヒー派なんだ」
俺の答えを聴くや否や、そのまま、固まった。
視線は湯呑に、指先はその飲み口をつまんだまま、左手は添えるように、ちょっとだけ優雅な、その仕草を捉えた、等身大の写真のようだ。
そして、カタカタと震えながら、テーブルに湯呑を戻して。
「み……み……みとめません!」
テーブルに手をついて、勢いよく立ち上がる。
ガタンと音が立った。
「あれは泥水です! 百歩譲って墨汁です! いえ精製前の原油です!」
俺が目を丸くしそうだった。
「あんな苦くて、苦くて、ひたすら苦いだけの、しかもなんだか焦げ臭いにおいのするものが、お茶の代わり扱いされているのは、わたしには我慢なりません!」
「そりゃ言いすぎだろ。世界中のバリスタがキレるぜ、そんなこと言ったら」
バリスタの淹れるコーヒーを飲んだ記憶はないが。
というか、インスタントでない、ドリップオンすら、ごくたまに店で飲むぐらいだが。
「ていうか、俺らのクラスの奴らだって、たまにスタバとか行ってるじゃねえか、付き合ったりしないのか、そういうのに」
ぼっちの俺には縁のない話だが、七穂の顔の広さから考えて、そういう誘いぐらいはありそうな気がする。
知らないが。
「あれは、お砂糖とクリームが一杯だから、許されているんですよ」
ソファにすわり、やや気まずそうに下を向いて小声になる。
ああ、やっぱり。
スタバでコーヒー頼んだこと、あるんだな、七穂。
そして、実は結構おいしいと感じたり、したんじゃないだろうか。
「あれは、デザートみたいなものです、だから、ちょっと話が違うというか」
両手を合わせ、人差し指をつんつんと付き合わせながら、さらに声が小さくなっていく七穂。
「じゃあ、今度行こうぜ」
「いきません!」
眼が合う。
俺は笑いかける。
目を逸らされる。
「仕方ありませんね、ま、まあ、ええ、有慈くんとなら」
「今度と言わず、今からでもいいぜ、明日から学校、始まっちまうしな」
再び、目が合う。
再び、俺は笑いかける。
彼女はムキになって、一瞬、俺を睨みつけようとしてから、ぷっと吹き出し、笑いかけてくれる。
七穂も、こんな些細なことで怒るんだな。
コーヒーか、お茶か。
些細なすれ違いだった。
でもそれが、なんだか妙に愛おしく感じる。
俺達の間に横たわっているものが、そんな些細な垣根ばかりであってほしい。
そんな思いが、頭に浮かんだ。
「いけません、そろそろ、出ないと」
「おう、そうだった」
急いで立ち上がり、荷物をまとめ、財布を開け、入り口の横にある仰々しい装置に万札を突っ込む。
エレベーターのボタンを押すと、すぐに扉が開いた。
「なあ、思うんだが、心配のし過ぎかもしれないが」
「はい、なんでしょう」
「知り合いに、出てくるところ見られたら、どうしよう」
さすがに、可能性がゼロに等しい事は分かっている。
学校のある自由ヶ原までは、そこそこ距離がある。
しかも、未成年にとって後ろめたい……後ろめたくも嬉し恥ずかしい出来事は、別に起こっていない。
単に、同じ部屋で寝ただけだ、いつも通りである。
しかし、可能性はゼロではない。
直ぐ近くの繁華街は、うちの生徒もよく訪れる場所だった。
警戒するに越したことはない。
「別々に、時間ずらして、出たほうが」
言い終わらないうちに、七穂の手が、俺の腕を取る。
俺達は腕を組んでいた。
「いいえ、必要ありません」
ノリノリで、七穂は言った。
「そのときは、見せつけてあげましょう!」




