表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
78/126

VOLK


「お父さん……お父さんは」


「もういい、いいんだ」


この話を引き出したのは、ほかならぬ俺自身だ。

後悔はしていない。していない筈だが、罪悪感が、鋭利なナイフのように胸をえぐった。

暗闇の中でもはっきり分かるほどに、七穂は顔をひきつらせている。

両目を隠しながら、拳は赤子のように、大切な何かを掴むように、固く握られている。


「ありがとう、七穂」


放り出されていた方の七穂の掌へ、そっと、手を重ねる。

不安になるほど、冷たかった。

彼女が確かに息をしていると、確かめたくなるほどに。

顔を近づけ、吐息を確かめる。

確かめながら、しかし、湧きあがる衝動に、俺は打ち勝てなかった。

何度目かの、キスを交わす。


「お父さんがなくなった後、お母さんは、物語を書くのを、やめてしまいました」


七穂が、再び昔話を始める。

あんなに泣いていたのに、まだ、続けようとする。

彼女なりのけじめなのか。あるいは、誰かに聴いてほしかったのか。

俺は耳を傾ける。


「わたしたちは、生活に困っていました。わたしはまだ、小学生でしたが、中学生になったら、年齢を偽って、アルバイトをしよう、などと、そう考えていました。パートタイムの仕事を掛け持ちして、毎日夜遅くに帰ってくる母に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいでしたから。


そんな時、あの本が、大手の会社の、出版部門の重役のかたの目に止まりました」


ひょっとして。


「ユージーン・カッセルは、こう考えていました。自分の名前を世に残したいと。

いつか素晴らしい本を書きあげて、大衆を、多くの人々を感動させ、著者として、作家として、名声を得てから死にたいと。

母は、その人と再婚することを決めます」


そうか。

気が付いた。

あの物語は、そうして、始まったんだ。

『神さまのことば』未満。

あれは、やはり、実際に起こった出来事が、元になっているのだろう。


「くわしい内容はしりません。でも、わたしは気が付いていました。

あの二人の間で、なにか、契約が交わされた事を」


契約。

誰かが、何度も口にしていた。

あれは、俺と七穂の契約を指して言っているんだと、あの時はそう感じたが。

どうやら違ったみたいだ。

事あるごとに契約、契約と口にしていたあいつは……そう、ナナだ。


「わたしの眼には、母が、まるで、ユージーンさんの奴隷のように見えました」


ナナとシホ。

瓜二つの見た目を持つ、双子の姉妹。

彼女たちの正体は。もとになった、実在の人物は。

七穂と、彼女の母親なのだろうか。


「そこから先は、有慈くん、あなたが見た世界です」


それを耳にして、俺は悟った。

あれは、真実じゃない。

真実は、闇の中だ。

七穂は、いま、こう言ったのだ。


真実など、問題じゃない、と。


去り行く人々は、最後に幸せな日々を送ったのだと。

すくなくとも、残された者たちは、そう捉えてしかるべきなのだと。


「母の、まねごとです」


でも。


あの物語は、ハッピーエンドなんかじゃ、なかった。

理由の分からないまま、それが描かれないまま、突然悲劇が襲い、終わる。

幸せな日々の中心にあった、あのお屋敷は、炎に包まれて、無くなってしまう。


そうか。


だから、あれは、神さまのことばじゃないんだ。

神さまのことばに、なれなかったんだ。


「でも、わたしは失敗して、しまいました」


目を腫らしたまま、何事もなかったかのように、また、七穂は笑っていた。


「文才、ありませんから」


冗談めかして言うが、俺は何も言ってやれない。

せめて、そんなことないぜ、などと、返してやれば良かったのだろうか。

そんなのはどうでもいい、文才がどうの、という次元の話じゃない。

そんな考えにとらわれ、結局、俺は何も言葉をかけてやれない。


「それに、やっぱり、あれだけは」


わらったまま、突然、苦虫を噛み潰したように。

目尻に、目元に、皺を寄せて。


「あの出来事だけは」


顔を引きつらせ。

ふたたび両目から、ぽろぽろと。


「嘘には、できません、でした」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ