風NACH声
ついに終わりが来てしまった。
七穂の家を出て、駅の改札を抜けると、そういう実感が沸いてくる。
俺はあの世界から帰ってきた。
つまり、契約は満了した。
俺たちを……俺と七穂を最初に結びつけてくれたものが、その役目を終えたんだ。
強い風の吹くホームで、電車を待つ。
後ろを向くと、七穂がいた。
「あれ」
彼女は微笑んで言う。
「お見送り、です」
そっか、と俺が呟くように言うと、アナウンスが響き、電車が流れるように近づいてくる。
扉が開き、まばらに人が下り。
しばらく人を飲み込もうと待ち構え、獲物の少なさに嫌気がさしたように、その口を閉じる。
そして、俺はいまだに、ホームに立っている。
七穂を見据え、言った。
「お前、いつだか言ってたよな」
『この世界は、人が人を、お互いに人として、正しく愛し合えるような場所じゃない』
なぜ彼女が、こんな考えを持つようになったのか。
それはいまだに、分からない。
「でもさ、それでも」
うまく言葉が出てこない。
でも、大事なのはそこじゃない。
上手い言い方を、頭のいい喋り方をする必要なんてないんだ。
大事なのは、俺のこの気持ちを、どう伝えればいいか、それだけなんだ。
「それでも、お前が好きだ」
何度口にしても、実に照れくさいセリフだ。
それでいて、妙に、すっきりする。
正しくまっすぐ前を向けるような、明日からもうちょっとだけ胸を張って、カッコつけて生きられそうな、そんな気がしてくる。
「この世界は、お前にとっては、人が人を好きになっていい場所なんかじゃ、ないんだよな」
彼女は俯き、また苦笑する。
その笑いを自覚すると、はっと息をのんで、口元に手を当て、また俺を見る。
悲し気だった。
「でも、だったらさ、変えていけばいい」
彼女の悲しみが、驚きに変わっていった。
「変えていけばいいんだ。この世界を」
拳を握る。
声がうまく出ない気がした。
彼女から、目をそらしてしまう。
「少なくとも、俺とお前の間だけでも、俺たちの周りの、ちっぽけな世界だけでも」
掌に詰めを食い込ませて。
勇気を振り絞る。
今度はしっかり、七穂を、そのきれいな瞳を、見つめながら。
俺は言った。
「変えていけばいいんだよ!」
七穂は、また苦笑する。
苦笑しようとする。
苦く、暗い笑いを浮かべようと試みて、何度も失敗して、それを飲み込んでいた。
眉間に皺を寄せ、両目をぎゅっと結ぶ。
「だって悲しすぎるじゃないか! 誰かが誰かを愛せないなんて、そんな場所はそれこそ、地獄じゃないか」
彼女の頬を涙が伝う。
それを拭って、世界に放り投げる。
俺達の周りのちっぽけな世界を、少しだけ、清めるかのように。
「俺を好きになってくれなんて言わないよ、だけど」
そうして気が付くのだ。俺は戻ってきた。振り出しに、戻ってしまった。
最初に抱いた、あの感情に、大回りして、俺は戻ってきたんだ。
「俺は、お前を救いたいんだ、だから」
七穂が。
彼女は自ら、一歩を踏み出す。
俺が手を広げる隙もなく、華奢なその体が、ぶつかってきた。
「だから、そばに居させてくれ」
両目を隠し、嗚咽する七穂を、俺は抱きしめた。
強く、強く、もっと強く。
七穂は息を荒げ、肩を揺らし、口をまごつかせる。
何か、言おうとしている。俺は耳を傾ける。
「ゆ……くん……」
額を俺の胸に擦り当て、俺の肩を掴んで。
たしかに、七穂は言った。
「有慈……くん……」
俺はその言葉を、聞き逃さなかった。
「たすけて、ください」
〈4章 了〉




