偽LIED曲
目を覚ますと、窓から朝日が差し込んでいた。
体を起こし、あたりを見回す。
積みあがった段ボール。
その隙間から覗く、置時計。
そして、手製の本の山。
そこに埋もれるように、俺は眠っていた。
ベッドの下に目をやると、彼女がいた。
ナナでも、シホでもない。
七穂だ。
加瀬七穂。
俺の……
俺の、何だろう。
七穂は、すやすやと静かに、寝息を立てている。
「ななほ」
小さく、声に出す。
呼びかけている、わけじゃない。
起こしちゃ悪い。
「ななほ」
もういちど、声に出してみる。
心の中に、灯がともる。
「ななほ、ななほ」
おかしな奴だ、俺は。
そう思った。
それでも、声は止まらない。
「う……ん」
七穂は寝返りを打ち、目をこすった。
起こしてしまっただろうか。
俺は声を止め、体を強張らせる。
「あ、ご主人さま」
ダメだったか。
起こしてしまった。
「おはよう、ございます」
「ああ、おはよう、七穂」
その額に、口づけたい衝動に駆られる。
あのお屋敷の、朝の日課のように。
顔を近づける。
七穂は、目を閉じる。
俺は顔を引っ込め、ベッドに胡坐をかく。
背筋をピンと伸ばして、姿勢よく。
「キスして、くださっても、いいんですよ」
いいのか。
だって、あの世界の迎えた結末は。
「ええ、してください、あの世界のように」
俺は再び顔を近づけ、七穂の額に、唇を押し付ける。
髪から、少しだけ汗のにおいがした。
少しも不快じゃない。むしろ、とても心が落ち着く。
このまま、ずっと、唇を放したくない。
ガタン。
無理な姿勢だった。
俺はベッドから転げ落ち、七穂に覆いかぶさっていた。
「いててて」
「た、たた」
顔を上げると、七穂が頭を摩っている。
「すまん、大丈夫か」
「ええ、平気です、頭を打ってしまいました」
「なあ」
そのまま、彼女の顔を見つめる。
そして、思い出す、あの双子の姉妹を。
「ここは、現実なんだよな」
「はい」
「あの世界から、俺は戻ってきたんだよな」
七穂は、にっこりと微笑んで、言った。
「はい、おかえりなさい、ご主人さま」
その言葉を聴き、俺は安堵する。
帰ってきたのだ、俺の、あの日常に。
この昭和風民家に。
上浦や璃子さん、創さんのいる世界に。
……今なら、分かる気がする。
どうして、俺が、あの物語の読み手に選ばれたのか。
俺は、結局、赤ん坊のようなものなのだ。
普段から、というか、昔からほとんど本を読まなかった。
それこそ、教科書すら。
小説というものをまともに最後まで読んだのは、ひょっとするとこれが初めてかもしれない。
それゆえ、物語の世界への没入度が、その感性が、他の人間よりも圧倒的に高いのだ。
あの世界での経験は、まるで現実の出来事のようだった。
俺は体を起こし、ベッドに眠っている、アイツを見た。
黄色い目が、こちらを見ている。
一度だけ瞬きし、目を閉じ、丸くなる。
……良かった。
「ただいま、七穂」
その言葉に、目を細めて。
ほんの少しだけ、なぜだか、悲し気に。
彼女は再び、こう言った。
「おかえりなさい、有慈くん」




