黑GRAU白
シホの唇におはようのキスをする。
明日も、明後日も、ずっとずっと、続けていく。
この幸せが、いつまでも続きますように。
未来永劫、いつまでも。
「有慈さま」
シホは、言葉をしゃべった。
久しぶりだ。
俺は飛び上がって、朝の支度どころではなくなる。
「うふふふ、あはははは」
声を上げている。
こんなにはっきりと、激しく、感情を表してくれるのは。
何か月ぶりだろう。
「気・は・済・ん・だ?」
声を上げている。
これは、でも、何かが違う。
彼女は違う、彼女じゃない。
目の前にいるのは、ナナだった。
くっくっくと、息の詰まりそうな声で、しかし笑っている。
暗く、冷たく、水の底を覗くように、絵画の中の静寂のように。
「わたしは、ただ、契約を履行してほしかった」
契約?
はて、何のことやら。
「あなたには、ただそれだけを求めていました」
うるさいな。
「でも、もう終わりです」
ナナは、抱きしめていた剥製を、ベッドの上へ下ろす。
窓をあけ、足をかける。
風が、彼女の前髪を揺らす。
白いカチューシャは無いけれど。
同じぐらい白い彼女の額を、黒い髪が撫ぜる。
俺は、彼女に駆け寄り、両手を掴む。
「いかせてください」
「ダメだ」
「お願い」
「許さない」
彼女を窓べりから引きずり降ろし、そのまま引っ張る。
廊下を渡り、階段を抜け。
俺達は暖炉の前までやってきた。
長椅子に、ナナを縛り付ける。
本棚から、一冊を選び出し、手に取る。
俺の手が触れただけで、勝手に火が付く。
こいつは、よく燃える。
黒い表紙を灰色に変えていくその本を、炉の中に放り込んだ。
オレンジの明かりが、あたりを照らす。
「俺の奴隷になれ」
「なんで、わたしが」
「そういう契約だったろう?」
「わたしじゃない! それは」
ナナの頬をひっぱたき、服をはぎ取る。
暖炉に放り込む。
いや、いやだと泣き喚く。
さらにはぎ取る。下着一枚、糸切れ一本残さず、暖炉にくべてやる。
嗚咽は止まない。
足をばたつかせ、何事か、意味の分からない言葉を叫ぶ。
怒りを撒き散らしたかと思いきや、今度は許しを請う。
俺は再び階段を登り、彼女の部屋をあさる。
大切そうなものを片っ端から箱に詰める。
ふと、あの剥製が目に留まる。
これは、シホへのプレゼントだ。
残しておこう。
階段を降り、持ってきたナナの私物を、片っ端から。
「やめて! やめてやめて!! やめてよ!! やめてください!!」
顔をぐちゃぐちゃにして泣き叫んでいる。
鼻水が垂れてみっともない。
箱の中が空っぽになる直前、彼女は言った。
「奴隷になります! わたしを奴隷にしてください!」
そう。
それでいいんだ。
炎は勢いを増す。
振り返ると、暖炉から、モノがあふれてくる。
パチパチ、いやバチバチと音を立てながら、ぬいぐるみや、ゲーム機や、楽器や、ノートが、ボロボロと零れ落ちてくる。
こりゃあマズイ、火を消さないと。
たしか、消火器は。
本棚の、裏側だったかな。
棚に手をかける。
その指先に、熱を感じた。




