完ENDE遂
シホの額におはようのキスを済ませる。
彼女の表情はあの剥製のように微動だにしないが、とりあえず済ませる。
俺は身支度を整える。
食堂の真ん中に鎮座している、赤いテーブルクロスのかかったあいつは、いかにも金持ちぶってて好きになれない。故に、朝食は自室で済ませた。昨夜こっそり買ってきたジビエだ。正直、この家で出される病院食のような飯より……まずいな、こりゃ食えたもんじゃない。
暇そうにパイプから煙を吹かしている場合じゃないと、急いで玄関を出る。
あの島から帰ってきてからというもの、俺の中には一種の、謙虚さにも似た気持ちが芽生えた。
今日も今日とて、歩いて向かうのだ。
我らが、自由ヶ原高等学校。
その1年生が、我が家には居るのだ。
「おはようございます、有慈さま」
道行く生徒たちと、一人残らず皆と、明るく挨拶を交わすのだ。
「あの、シホさんは?」
特殊な一家だからと、それっぽい挨拶をでっちあげる生徒もいる。
だが、まあ、それはそれで面白く、少なくとも気分が悪くなったりはしない。
「シホは、今日は具合が悪いんだ」
ふと、ある生徒が気にかかった。
昨日の、例の、クソつまんない件の生徒だ。
まあでも、彼の事はどうでもいい。
◆◇◆
そして、家路に着くのだ。
今日は独りで歩くのだ。
並木道を彩っていた紫陽花の花は枯れ。
季節はもうすぐ、夏になる。
なんだか、日を追うごとにどんどん寒くなっているような気もするが。
しかし、夏はまだ訪れてはいない筈だ。
楽しみだなあ、夏休み。
海に山、お祭り。
シホの浴衣姿は見られるだろうか。
そして、田舎に帰って、墓参りに行かなきゃ。
そう、死んでいった者たちに、会わなければ。
飛行機で、遠い遠い所まで。
あの冷たい雪の降る、森の国を超えて。
国境の先の、音楽の都へ。
それにしても、昨日は本当に楽しい一日だった。
シホの誕生日を祝ってやるために、シュトーレンと、それから狼の剥製を用意した。
以前からずっと、寂しくて眠れないと、言っていたから。
彼女は泣いて喜んでくれた。
俺も嬉しくなって、甘いデザートワインをがぶ飲みした。
それから、彼女と踊った。
思いのまま、気の向くままに。
腰を振って。家じゅうを駆け回りながら。
楽しくて仕方がなかった。
このまま死んでもいいとさえ思った。
人生の目的を、完遂した気分だ。
シャンパンの蓋を開けると、彼女の顔にかかってしまった。
俺はそれがおかしくて、ゲラゲラ笑った。
チョコレートの雨も降って、なんだか神さまが、二人を祝福してくれたみたいだった。
俺はシホを愛している。
彼女の他には、なにもいらない。




