煉HELL極
暑いぞ。
何かと思えば、シホは暖炉に薪をくべていた。
パチパチと音を立てるオレンジの炎が生み出すその熱が、煙に乗って煙突を通り、家全体を温める。
この建物は、そういうセントラルヒーティングな思想に則り設計されている。
冬場なら、この上なく有難いのだが。
「昨日は、楽しかったですね」
「ああ、そうだな、暑いぞ」
「久しぶりに、思いました、こんな日がいつまでも続けばいいのに、って」
「続くさ、ずっとずっと、この先も、それより熱いんだが」
雪が降ったり木枯らしの吹く季節なら、それは天の恵みなのだろう、きっと。
今は地獄の業火に思える。
「なあ、クソ詰まらないって言われたんだ、あつい」
「学校で、あの生徒さんが、おっしゃってましたね」
「あつい、そうそう、あの生徒」
「気にされる事ありませんよ」
気にするも何も、中身が分からないんだ。
分からないんじゃない、触れたくないんだ。
そうだ。
あれは、タブーだった。
「まるで天国のようですからね、神さまは、天国にいらっしゃるのでしょう」
「天国?」
「ええ、天国のように、何一つ、悪いことが起こらない世界の、物語です」
知ってるさ。
あの本の中では、恐ろしいほど、物語が物語として成立しないほど、すべての登場人物にとって、都合のいい事しか起こらない。
「人によってはつまらないだろうな、それ」
「ええ、まれに、あの本に救われない人も、いらっしゃいます」
「あつい、あいつにとっちゃ、天国の出来事なんて、地獄のようにクソつまらないんだろうな」
俺は知っている。
それが、普通なのだ。
あいつが、あの生徒が、むしろ普通なのだ。
この世界は天国ではないはずだ。
良い事も起これば、悪い事も起こる。
悪い事の方が、多いかもしれない。
どんなに毎日が素晴らしくても、それに慣れてしまうと、今度は今まで気にならなかった些細なことが、悪い事のように思えてくる。人はそういう生き物なんじゃないだろうか。
知らないけどさ。俺みたいなガキには、まだ分からないのかもしれないけどさ。
「わたしも、あの本は嫌いです」
シホは、静かに笑っていた。
その笑みは、どこか暗く、冷たいものだ。
「あれ、あの本」
シホが俺を見る。気づかれている。
俺は、今から、タブーに触れる。
「お前が書いたあの本、どうして読めないんだ、俺だけが」
シホは笑う。
にっこりと、朗らかに。
希望に満ちて。
何処かで見たことのある、笑顔だった。
「お読みになりますか?」
ツァウベルが大きな声で吠え立て、そっちに視線を奪われる。
振り返ると、シホは、そいつを胸に抱えていた。
闇よりも深い、光沢一つない、黒一色の装丁。
『神さまのことば』
俺は、手を伸ばす。
彼女は、それを差し出す。
指が触れる。
その時、小さな光が、そこに見えた。
熱を感じる。
本を手に取り、ページをめくる。
ただ一言、こう書かれている。
た す け て
文字を眺める。
殴り書きされたように、グニャグニャに歪んだ、誰かの手書き文字。
熱い。熱を感じる。
顔を上げる。
この家じゃない。
指先から、熱を感じる。
視線を下ろす。
本には火がついていた。
それはやがて本全体に広がり、あっという間に。
真っ黒な炭になる。




