別LEFT離
(飛行機なんて、中学の修学旅行以来だな)
エコノミークラスの席は、新幹線のそれよりも小さいくらい、だった気がするのだが。
今自分が腰かけている窓際のそれは、自宅のソファよりもずっと広く、何なら横向きに寝そべってしまえそうなほどだ。
左隣には、シホと呼ばれた少女が、犬のように大人しい狼を抱え座っている。
ここが空飛ぶ乗り物の中……つまり最も高価な空間なのだと考えれば、随分広い部屋だった。
まあ、あらためてそう思った、というだけの話だ。
彼女に促され、シートベルトを締めると、加速を感じた。
(そういえば、前乗った時って、結構怖かったな、離着陸)
しかし、気が付く程度のGだけで、難なく機体は宙に浮いた。
窓の外へ目をやると、地表は少しづつ遠ざかっている。
座席の境界で、手を握られた。
ふと、ある事が気になった。
(七穂はどこに居るんだろう。
この少女は、やはり七穂とは違う。
ナナと呼ばれたあの双子の片割れほどではないが、どこか、あか抜けているというか、含みのない感じだ。伸び伸び生きている、とでも表現すればいいのか)
「あ、お屋敷が見えます!」
その言葉に反応して、窓の外へ目をやる。
一瞬だった。
俺たちは恐ろしく低い高度を、恐ろしくゆっくりと飛んでいた。
それでも、あの大きな敷地の上を通り過ぎるのに、言葉を交わす余裕さえなかった。
黒い、かなり角度のついた屋根。
尖塔のような飾り。
庭では、3人が手を振っていた気がする。
一人はたしか、創さんだ。その隣に佇む二人の男女。
(ひょっとして)
「今のが、ご両親?」
「覚えていらっしゃらないのですか」
不安げに上目遣いをするシホ。
(覚えていないんだから、しょうがないだろう)
「ご主人さまの、ご両親ですよ」
俺の、だったか。じゃあ、そうか、俺があの屋敷に住んでいるのは当たり前なんだ。
(でもそれじゃ、双子は?)
「そして、わたしとナナちゃんは」
(ひょっとして、まさか)
「ご主人さまのおうちに雇われた、ハウスメイドです」
俺はそれを聞いて、なぜか胸を撫でおろす。
「というのはお偉方を黙らせるためのお題目で、本当は許嫁です!」
「本当のことを言ってくれ、本当は何なんだ」
「ですから、婚約者です! 本当に、覚えていないのですか」
「おいおい、仮にシホがそうだとして、ナナは」
数多が……いや頭が、数多の疑問に揉まれに揉まれて混乱してきた。
どういう事だ。
さっきの光景は何だったんだ。ナナは上浦と愛し合っているんじゃなかったのか。
「もちろん、ナナちゃんはもうお嫁さんですが」
「婦婦仲の円満なところをこれでもかって見せつけられたもんな」
「はい!」
ぽん、と、シホは柏手を打った。
「わたしとご主人さまも、いつかは、人目を忍ばずイチャイチャと」
「で、できるといいな」
急に、恥ずかしさがこみあげてきた。
目の前の可憐な少女と、そうだ。
俺は、将来、彼女を……。
考えれば考えるほどに、現実じゃないような気がしてくる。
これは夢なんじゃないか、と頬をつねって、痛みが確かに走るのを確かめる。
「わたしも、たまに頬をつねってしまいます」
ツァウベルは、じっとこちらを見ている。
関西弁は喋らないのだろうか。
喋るわけがない、オオカミだぞ、こいつは。
では、危険はないのだろうか。
もうどうでもいいや、と数多の疑問を投げ捨てるように、俺は窓の外に目をやった。
雲海の下には、広大な海が広がっている。太平洋を進んでいるのだろうか。
(この世界は、なんなんだ)
好奇心も沸くが、同時に恐怖も沸いてくる。
「あの、ご主人さま、お尋ねしてもよろしいですか」
握られた手に、少しだけ力がこもった。
「今朝から、なんだか、どこか具合が悪そうです」
「ああ、正直に言うが」
(記憶が、どうも、おかしいんだ。
途切れ途切れで、まるで自分のものじゃないみたいだ)
それを口に出そうとした途端。
ピアノの音が聞こえてきた。




