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虚VOID無

甘い、濃密な花の香りが、この家の外の世界から運ばれてくる。

窒息しそうな気がして、思わず息を止めた。


「なにビビッとんねん」


玄関の引き戸に手をかける。

曇りガラスの向こうに、何かが蠢いている気がした。


「さっさと開けえや」


俺は眼を閉じ、思い切り、その扉を開け放つ。


灰色の……濃い霧が、入りこんでくる。

両手を交差させ、身を屈める。

眼を閉じ、一歩を踏み出す。

そのまま、前へと進む。


……だめだ。

この先には、きっと何もない。


体を翻し、戻る。

しかし。


七穂の家は、そこにはない。

恐怖が忍び寄る。


霧の中を進む。


只やみくもに。


涙がこぼれそうなほど、不安が襲う。


只進む。


迷子の子供のように。


そして、霧は晴れ。


眼前に現れたのは、城だった。

中世の古城。

いや。


城に見えるほど、巨大な屋敷。


建物の入り口に、俺は辿り着いた。


黒い鉄柵と、草花を象った装飾の施された門。


手をかけ、強く押すと、あっさりと開いた。

錠はかかっていない。

門には重さが無かった。


歩を進める。

庭がある。

正確には、庭のような空間。

何もない。

ただ、そこには何かが生えていた跡があるだけだ。


やたら高い、黒々とした半円の玄関扉の前に、辿り着く。

白い壁。その隣りの窓から、中の明かりが見えた。

いくつかの影が、なんだか楽し気に揺れている。

どこかの家族の、夕食だろうか。

団欒の時間。


そこに交じってみたくなる。

きっと暖かく、迎え入れてくれる。

そう信じて。


扉を押す。

重さはない。

開け放つ。

その向こうには。


ただひたすら、闇が広がっていた。

虚無の世界。

団らんはない。

家族も、どこにも存在しない。


闇の中、鐘の音が鳴る。

あまりに広い空間。

そこに、冷たく響き渡る。


どこかで聞いた音。


あの、置時計だ。


俺は身を投げるように、闇の中を。

進んでいく。溶けていく感覚。


置時計の、鐘の音。

ただそれだけを目指して、まっしぐらに、一直線に。

進んでいく。


少しずつ、光が見えはじめた。

あれは。


七穂のベッドだ。


走る。


全力で。


全力を超えて。


なによりも早く。


遠ざかる明かりを、追いかけて。


鐘の音が鳴る。


そして、追いつく。


ベッドに、誰かが眠っている。


俺だ。


辰巳有慈が、そこに居た。


そして。


俺は目を覚ました。

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