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墓碑銘の疵

車窓を流れる景色が水滴に集まり、色とりどりの光が、暗い灰色を彩る。

気付けば眠ってしまっていた七穂の頬をつついて起こすと、次の駅で降りると言われた。


駅を降りると、霞がかった山が見えた。だいぶ田舎の方まで来てしまった。

長い坂道を、また二人で進む。


墓、か。

まさか二人で遠出する……最初の場所が墓地になるとは。

デートと呼びたかったが、初デートが墓というのは何ともやりきれない感じだ。

なのであえて遠出と呼ばせてもらう。


「ここです」


七穂の声に顔をあげると、漆喰でできた小さな塀と、門が見えた。

くぐると、右手には瓦屋根の大きな寺社殿。

いや、墓があるのだから神社ではない、寺だろう。

左手を行けば、卒塔婆や、石畳、そして黒や白、灰色の墓石がどこまでも並ぶ。


七穂の足が止まったのは、少しだけ開けた、青々とした芝生の手前。

芝生の真ん中に、四角く白い石が埋められ、天に向けて顔をのぞかせている。

日本人の墓ではない。そこに、いくつかの傷がある、いや。

傷のように見えたものは、文字だ。アルファベットだった。

こう刻まれていた。


〈KASSEL〉


カッセル?


加瀬。カッセル。

七穂には、どこか遠い国の血が流れていたりするのだろうか。


「ひょっとして、お前の」


別におかしくはない。むしろ納得がいく。

彼女の整った顔立ちを横目に見ながら、そんな事を思う。


「私のおうちの、お墓です」


俺は墓を見つめた。

それなら、彼女の両親もまた、ここに眠っているのだろうか。


「そうか」


それきり、俺は何も聞けなかった。

静かに、表情なく。どこか冷たい目をしながら、七穂もその石を眺め続けた。

俺の知らない、たぶん七穂のよく知る人の、死者の、眠るその場所を。

死者。


「なあ、俺さ、ずっと思ってた」


七穂は振り向く。

その目に、光はない。いままで何度か目の当たりにした、彼女独特の、暗く冷たい瞳。

俺は一瞬だけ、臆し、身を引きそうになる。


「あの日、お前に呼び止められた、契約の話をされた時から、お前が、お前がさ、ずっと」


その先を言うのは躊躇われた。

しかし、この場の沈黙もまた、耐え難いものだった。

目をそらしながら、俺は言った。


「死のうとしてるんじゃないか、って」


恐る恐る七穂を見る。

彼女は驚いていた。これまでにないほど。

しかし、茫然と見開かれた瞳からは、あの冷たさは消えている。

光が、戻っていた。喉を鳴らす。


「そんな、まさか」


にっこりと笑う。

いつもの七穂だ。


「思ってもみません、そんなこと」


「だよな、俺の妄想だよな」


彼女は傘を下ろし、空を仰ぐ。

止みかけの小雨が、俺の頬を濡らす。


「ご主人さま」


「なんだ」


今日一番の、明るい声だった。

なんだか、希望とか未来とか、そういう墓場に似つかわしくない形容すらできそうだ。


「わたし、有慈くんを、ご主人さまに選んで」


彼女の声は、浮かべた表情は。

それこそ。


「本当に、本当によかったって、思います」


恐ろしいほど、希望に満ちていた。

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