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熱帯魚の餌

明かりを消した途端、気が付いた。

なんで俺はまた、この家で寝ようとしてるんだ。

いや、終電はとうの昔に終わっていて、ネットカフェに入るほどの金も持ち合わせず、最早ここで寝るぐらいしか選択肢はないのだが。


そして、思い出す。

七穂のベッドの真横に敷かれた布団の上で。

とてもとても大切なことを。


土曜日の朝、意識が朦朧となるまで走り回って、ついに七穂を見つけた後、俺は創さんの車で七穂の自宅へ送ってもらった。


『辰巳君、七穂と一緒に暮らしてくれないか』


そこで、創さんに提案されたのだ。


『いやなに、最初の電話の要件だよ』


俺はそもそも半分眠りかけていたので、あの時は重大な要求であるという事実を受け止めるので精いっぱいだった。

俺は、なんて答えた?


『僕は、色々と忙しくてね』


いーっすよ、お任せください!


いかにも信用のおけない感じの、調子のいい返事。

そんなやり取りだった気がする。

思い出したぞ!


「七穂、起きてるか」


「はい、なんでしょう」


「俺、ここに住むことになってんだよな」


「ええ、ご主人さまが、そうおっしゃってくださいました」


さて、どうしたものか。

冷静になって考えてみる。

快諾、一択である。

両親には適当に旅行に行きますとでも言っておけばいい。

定期的に連絡さえすれば、あまり息子の行動について、とやかく口を挟む人たちではないのだ。

良い親を持ったものだ。

いやしかし、それにしても……


「創さん、なんでまた」


「たぶん、おじいちゃんは忙しいんです、いろんな事をしている人ですから」


「仕事とか、なのか」


「いえ、盆栽とか、山登りとか、ダイビングとか、ケイビングです」


趣味やら遊びじゃねえか。

ていうかとんでもないアクティブさだな。


「御殿には兎や亀や、九官鳥に梟、熱帯魚もいますし、エサやりが大変です」


御殿と来たか。しかも身内にそう呼ばれてやがる。

さぞかし金持ちなんだろうな。


「使用人とかいないのか」


「おりません、天は人の上に人を作らず、というのが、たしか、座右の銘でした」


「ひょっとして、七穂も、まったくお金に困ってない」


「はい、おかげさまで」


この家は、ひょっとして七穂の趣味によって選ばれたのだろうか。

だったらネット回線ぐらい引こうよ。

いや、待てよ。いいこと思いついた。


「なあ、七穂」


はい、なんでしょう、と、いつもなら直ぐに返事が来る。だけどこの時は、少しだけ、彼女の反応が遅かった。俺の悪だくみがバレているのだろうか。


「もし俺がさ、海外旅行に連れて行ってくれ、とか命令したら」


「かまいません、正式なご命令であれば」


やったー! と心でガッツポーズをとる俺。

どこがいいかな。ヨーロッパ? 東南アジア? アフリカ? 南北アメリカ縦断とか。

何処だっていいのだ。傷心旅行さ。フラれて傷ついた心を癒すためにフラれた相手と旅に出るのさ。

そしてさらに傷ついて帰国するのさ。これがほんとの傷心旅行だ。

フラれた。そうだ、俺はフラれたんだった。


「でも、今日はもう、ダメです」


「わかってるよ、ただの」


思い知る。俺は七穂が好きだ。

今でも、まだ。


「ただの、夢だよ」

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