同情と増長
呼び出し音が終わりを告げる。
創さんの電話の要件が気になったが、折り返しても出ないんじゃしょうがない。
俺は一人、駐車場にいた。大型バスが何台も入りそうなだだっ広い駐車場は、しかし何の変哲もないただの駐車場である。
「バカじゃないの、本当に来るなんて」
背後から、棘のある、しかし舌足らずな声がした。
振り返ると、闇夜に紛れ何者かが近づいてくる。
俺の脳裏にあの手紙の言葉がよぎる。
やらなきゃやられる!
だが死ぬのはキサマだ!
と、俺は先制かつ必殺の一撃を放つ。
「もはや手遅れ貴様の負けだ! 俺は昨日……」
お客さんの足が止まる。間髪入れずとどめを刺す。
「七穂と同じベッドで一夜を明かしたぞ!」
一瞬の静寂。
その直後。
「うああああああああ!!」
耳をつんざくような絶叫と、アスファルトを蹴りつける子気味のいいリズム。
瞬間移動のごとき速さで間合いが詰まる。
目の前が一瞬、真っ白になり、後から激痛が襲う。
反応する間もなく、俺は殴りつけられ、その場に倒れた。
今度は背中に衝撃。あばら骨から内蔵に振動がいく。
空を切る音。
縮こまり丸くなって体を守る。容赦なく蹴りが入る。
こいつ、ホントに殺す気だ!
「嘘だ! そんなのウソだ!」
鼻声だ。風邪? いや泣いてるんだろう。
「ごめんなさい! ころさないで! ひいい」
女は泣きながら俺を蹴り続けたが、徐々にその力が抜けていくのが分かった。恐怖は安堵へ、そして増長へと、俺の中で変化を遂げた。勝ったな。先手必勝だぜ。
「いやだ……イヤ、いやァ!」
その場にへたり込み、女はさらに叫んだ。号泣した。
それを知るや、途端に同情を覚えた。こんなにお人好しだったろうか、俺という男は。
ごめんな、ホントは、というかホントに、ただ単に、ベッドの上で寝ただけなんだ。
それを教えてやりたくなるほど、悲壮な叫び声だった。
「かえして」
首をぶんぶん振り回し、拳を固いアスファルトへ叩きつける。
逃げ出したい。ごめんなさい。
「あたしのナナちゃんをかえしてよぉ!」
◇◆◇
立っているのに疲れた俺が、傍らに腰を下ろすと、ようやく女は顔を上げた。
しばらく両手の掌を睨みつけ、視線だけを俺に向け、しかしこう言った。
「ごめんなさい」
ため息が出た。
しかし、どうやら俺は笑っている。
勝ち誇っているのではない。
よくわからないが、ひょっとすると、彼女に対する同情が、ちょっとした敬意へと変貌を遂げたのかもしれない。
「アンタは、きっと、ナナちゃんにとって、すごくすごく、大事な人なんだね」
「だといいんだが」
再び、睨まれた。
「あの子のこと、大事にしてあげてね」
掠れて、消え入りそうな呟き。
「あ、ああ、もちろん」
なにか、違和感を覚えた。
こいつ、この女にとって、七穂の存在は。
単なる仲良しとか、そういう次元じゃない。
「じゃあね」
立ち上がった彼女は、ジャージの汚れを払い、俺に背を向けた。
風の如く現れ風の如く去ろうかという風邪引き女を、しかし俺は呼び止めた。
「待てよ」
足を止め、鼻を啜る音。
「おまえ七穂の何なんだ」
振り返ったその顔には、不敵な笑みが浮かぶ。
それこそ、勝ち誇ったように、だ。
泣き腫らした目で見下すなよ。
いや、いやいや勝ったのは俺のはずだぜ。
なぜ?
「あたしはね……ナナちゃんの」
ああ、そうか。
とある花の名が、想起され。
女の言葉の前に、事情を悟る。
認めたくは、なかったが。
「彼女だった」




