逃亡
体育の授業をサボりにサボっていたので、走るという行為をここ半年ばかりやっていない。
うまくリズムを刻めない。階段が、昇降口の段差が、校庭の砂利やアスファルトの微妙な凹凸が、普段の何倍も大きな起伏となって俺の邪魔をする。ゲーマー故か反射神経だけは絶妙に冷静で、反応速度と機転だけでなんとか、それら障害をかわしつつ。
俺は、ひたすら走り続けた。
「頭おかしいよ、アイツ、絶体ヤバイ」
風を切りながらそう独り言ちる。
何が、私を奴隷にしてください、だ。
究極のド変態、ニンフォマニアのマゾヒストか、さもなきゃクスリでもキマってるんだろう。
ああ駄目だ、酸欠だ。頭がぼうっとする。
肩で息をしながら、額の汗をぬぐう。俺は小さな公園の入り口に居た。校門から優に1キロは離れた、住宅街のど真ん中にある場所だ。さすがに、ここまでは追ってこないだろう。
「待って、待ってください!」
追ってきた。
加瀬は小走りを止め、息を荒げることもなく、透き通った声で言う。
「お願いします、話を聞いてください」
「ごめんなさい! すんません! 許してください!」
対して俺は、たいした理由もなく土下座を開始した。
最早逃亡を試みる体力も残されてはいない。
コミュニケーションの通じない相手に取るべき対応その1、逃げる。
その1が失敗した場合は、対応その2、謝る。
「なんで謝るんですか? むしろ、私がごめんなさい、するべきです」
見上げると、加瀬が深々と頭を下げていた。
意図せず仰ぐような角度になってしまったが、彼女のスカート丈は長めで、下着が見える事はなさそうだ。
チッ。いやいや、どうでもいい。
「ごめんなさい、突然変なこと言って、驚かせてしまって、本当にごめんなさい」
加瀬が妙に小さく見えた。普段の彼女は――遠巻きに見る限りでは――大人しくも、時折屈託のない笑顔を見せてくれる、明るい女の子だった。それこそ眩しいぐらい。
それが今日は、今は、全く別人のようだ。
「まあ、なんだ、その」
俺は立ち上がり、見下ろす少女に向けて言う。
「顔上げろよ、話ぐらいは、聞くよ」
流れに身を任せよう、とりあえず。
なぜなら身も心も限界だからだ。頭がパンクするほどショッキングな出来事の直後に全力疾走したのだ、最早自主的に行動を起こす気力など残ってはいない。この際、彼女が本物のヤク中だったとしても。
どうにでもなれ、だ。
ふたりで公園のベンチに腰掛け、体を休める。
「物語を、書いたんです」
「はあ」
「読んで、いただけませんか」