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現を急かして

長い長い冬が開けるころの、ある朝、洗面台に立って、ぎょっとした。

なんてひどい顔なの。

目の下の隈が、今まで見たことが無いぐらい大きくなっていて、鳥のように頬がこけていて。髪の毛は枝ばって、毛先はぱさぱさで、前髪で両目が隠れそうで。

そして、決意した。

新学期が始まったら、ちゃんとしよう。

また明るく笑って、あの子と話せる日が来るように。

その日が、いつ来てもいいように。

たとえ……たとえ、あたし達が元の関係に戻れないのだとしても。

あたしはあの子に笑っていてほしい。

あの子に笑ってもらうために、あたしは笑っていなきゃ。

ちゃんと、しなきゃ。


そうして迎えた新学期の、最初の日。

桜の咲く通学路。

あたしは再び、声をかける。


「ナナちゃん、おは……」


あたしの声は震えていて、それに自分自身でびっくりしてしまって、言葉は途中で途切れた。

あの子は振り向いて、目を丸くして驚いて。それから、眉間に皺を寄せて、とてもとても悲しそうに、ゆくりと俯いて。けれど、あたしは諦めなかった。


「ナナちゃん、おはよう!」


二度目は、ちゃんと言えた。

あの子は固まってしまった。あたしは返事を待った。返事を待つ間の一秒一秒が、耐え難いほど重くて、苦しかった。それでも、負けないように、精いっぱい、あたしは笑った。笑顔を作り続けた。ほんの少し気を緩めたら、いつかのようにまた、泣き出してしまいそうだった。


「おはよう……ございます」


確かに、あの子は言ってくれた。目を見てはくれなかったけれど。

ただその一言で、目の前が明るくなった。飛び上がってしまいそうなぐらい嬉しくなった。あたしの前に、この世界に、光が差した。その日は一日中、みんなから、何かいいことあったの? って、聞かれ続けたんだ。


「どうしたよ、いつになくニヤニヤして」


そう。その日、夕にもそう聞かれた。廊下ですれ違うとき、軽く手を振ってきた。

あいつも何だか嬉しそうにしていたから、あたしも同じ言葉をオウム返しした。


「なんでもねえよ」


いつも通りそっけなく、あいつは言った。

そのまま去っていく夕の背中を見ながら、あたしは考えた。思い出していた。夕とナナちゃんが、部室で交わしていた会話。あの頃は嫉妬心で心が曇っていて、バカみたいに負の感情だけを募らせていたけれど。それももう、懐かしい思い出だった。たった一年前の事だけど、大昔の出来事のように思えた。夕の事が、なんだか、長い付き合いのある友達に思えた。事実、あいつはあたしにとって、ナナちゃんのあの笑顔を知っている、あの景色を共有できる、数少ない相手だった。


だから、呼び止めた。

そして、打ち明けた。


あたしとナナちゃんの間に、なにがあったか。

あの子が変わってしまった事が、どれほど苦しかったか。

あたしの中に留まっていた淀みのような感情が、洪水みたいに流れ出てきて、まあ相当に早口だったと思う。でも、あいつは親身になって聞いてくれた。

つらくて、と、ひたすら呪文のように唱え続け、しまいには呂律のまわらなくなったあたしの頭を、ぽんと叩いて、励ましてくれたっけ。

そして、こう言ったんだ。


「俺が何とかするから」


そうだ。

あの言葉が、始まりだった。

ここ数か月間、いくつかの奇妙な事件が起きた。

あまりにも混沌としていて、追いつこうとすればするほど、理解しようと努めるほど、頭がおかしくなりそうな。悪夢のような。そんな日々。

でも、これは紛れもない現実だ。

あたしは知っている。


ナナちゃんと夕。

ひととき、あの二人は、空想の世界に行ってしまった。帰ってこれないほど、遠くへ行ってしまっていた。


新学期が始まってしばらく経つ頃、うわさが流れた。

ナナちゃんと夕は、付き合っているのだという。


最初にそれを聞いた時、あたしは動けなくなった。

世界が急に色を無くしたような、むなしさ、喪失感を覚えた。

けれどあたしにとって、それは単なる苦しみではなかった。


噂は、あくまで噂に過ぎないのだけれど。

もしそれが真実であったのなら、きっと、あの子は夕に救われたのだ。


あたしは考えた。

自分は何を願うべきなんだろう。

決まってる。あたしの願いは、ただ一つ。


あたしが愛した人に、幸があればいい。

ただ、それだけ。

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