美しき蝶 ①
幼き日々の記憶が、頭によぎってくる。
もう忘れたはずの記憶。
ずっとその記憶に浸っていると、ある声が現実に引き戻す。
「一禾。」
「え…?」
「どうした。さっきからボーッとしてる。」
その声の主は一個下の弟だった。あまり変わらない年と、あまり違いのない見た目。感性までほぼ同じといっても過言ではない。
「黒沢華のことでも考えてた?」
「考えるわけないだろ。」
「公私混同してると、親父に怒られるよ。」
怒られるのは嫌、なんて子供みたいなことを言ってみる。
でも、大学生にもなって、と言うのはこいつ。
「一禾、そろそろ。」
今日はお客さんがたくさん来る日。うちは華道の名家だから、たくさん来るんだ、ひとが。
綺麗な着物を着て、美しく、可憐な香りを漂わせて。
もちろん、自分も美しく、綺麗な着物を着る。
邪悪な、レモングラスの香りを漂わせて。
「二巳、その香り…」
「そう、百合の香り。こう言う時ほど使わなきゃ。」
何かを含む言い方。華道の家の人は、ほとんどが柑橘の匂いをつけるのにも関わらず。
でも、そこが二巳のいいところで。
「お待たせしました。」
「遅かったじゃない。何してたの?」
「着物の着付けに手こずってしまって。」
表は愛想よく、それが僕の中で決めてることで。これが崩れた時は、全てが終わる時。
綺麗な美しい花が並ぶ中、次々と挨拶を交わして、色とりどりの花を見つめる。
「一禾、二巳。」
「…なんだ、来てたのか。」
「あーれー? 俺には挨拶来てないよ?」
「…いつもお世話になってます、嵯峨一禾です。」
「二巳でーす。」
「こちらの可憐な美しい花を見て、心を清らかにしていってください。」
ニヤニヤしながら、見て来る桜雅は、茶道の名家である西園寺家の跡取り。昔から何かやるたびにかけつけて、あり得ないほどの腐れ縁だ。
「桜雅さ、いつお茶会やんの?」
「あー、あるけど俺出ないよ? 翼に呼び出されてるから。」
“ 翼に呼び出されてるから。 ”
その言葉だけがやけに大きく聞こえた。まさか、と思いながら二巳も目を大きく見開いていて。
「あれ、嵯峨兄弟も呼ばれてるのかと思ってた。」
「でも翼は…」
「わかってるじゃん。あいつは______。」
何も聞こえない。そう思えたらよかったのに。
その横を静かに蝶が羽ばたいていた。
「翡翠様。」
「どうされた。」
黒沢華がどうかした、何かをやらかした。そんなものは聞きたくないんだ。
今は目の前にいるこいつを。
『…私がっ、何をした…っ、』
「覚えてるくせに。」
絶対に教えるものか。お前が思い出すまでは。
「黒沢華のもとに誰か、派遣しますか。」
『…っ! やめろ!華には手を出すな!』
「黙れ!決めるのは僕だ!」
ガタッ、とイスが音を立てる。それと同時に絶望の顔。
そうだ、もうお前は何も出来ないんだ。
「黒沢華のもとには、真紅と橙が行く。」
『やめろ!』
「黒木ひなた。存分に遊ぼうじゃないか。」
その顔が、たまらなく好きだ。もっと見せてくれ。今まで見たことのない、その顔を。
完璧な黒木ひなたでも、ひーちゃんでも弱みがあるんだね。