名前のない怪物 ⑧
『…戻りたい、です』
「どこに。何しに。何のために」
瞳孔が開いて、目で殺される。そう思うほどだった。これ以上何も言ってはいけない。
自分の中でそう叫んでいる。
『抜けさせて…、ください…』
「それは、自分を消してくれって?」
今までにないほど楽しそうに笑っている。こんなに表情がコロコロ変わるのは初めて見た。
何が楽しいんだろう。ここには愛も何もない。
「今、お前が抜けても、誰も必要としない」
『…っ、いるんです!何人か!』
必要としてくれる人はいる。この人だけに執着しなくても、真紅たちといなくても、自分は必要とされている。
もう、自分があの人たちの場所を壊しちゃいけないんだ。温めて、普通に暮らす、それを叶えてあげないと。
「それが黒木ひなたと黒沢華か」
『あの人たちは思っているのと違う!』
あのときの気持ちが鮮明に蘇ってくる。
そろそろやばい、と思った頃。
『抜けたい、って言ってるんだから好きにさせればいいのに』
「…やっぱり来たか」
呑気に座っていた。ソファーに。
この人の瞳は、恐怖に屈しない、そんな瞳をしていた。真似できないその威圧感に、こっちがびくっとするほど。
「よくもまあ敵の陣地に乗り込んできたな」
『そっとこそ、勝手に支配してくれちゃって』
そんな会話が行われている中、何もできずにその場に立っていた。
『精神的苦痛を与え、自分が生きている意味をなくさせ、静かに消す』
「そっちの方が楽しいだろう」
この人の楽しい、は狂っていることを知っている。全てのネジが一本ずつ消失しているんだ。
でも、まだ知らなかった。この二人がどんな関係なのかを。
『こいつはもらっていく』
「いつ騙して戻って来るか、分からないぞ」
その一言で黒木ひなたは一瞬肩をビクッとさせて、自分を見る。まだ信頼されていないんだ、って考えてしまう。
『こいつは絶対に裏切らない』
「その根拠は…」
『お前は知らなくていい』
黒木ひなたは俺の方に手を当てて、姿を消した。
静かに目を瞑って思ったこと。
それは、
「生まれ変わるよ、真紅、冷淡。さよなら。」