雪の華 ②
「おかえり」
「ただいま、お父さん」
お父さんと呼ばれる彼は、リビングでお茶を飲んでいた。特に何をしてるとも言えず、ただコップの中のお茶を口に含んでいた。
「お父さん!お母さんは?」
「今日も仕事だよ」
その前に、みんな手足洗っておいで。
そう優しく言った。ただその瞳は、どこか切なそうで。
何かあったのだろうか、なんて思ってしまう。
人の情は移ってはいけない、この世界に入るときに散々言われたことなのに。
今になって移り始めているのだろうか。
「お父さん、洗い終わったー!」
「そうか、じゃあ玲たちとお風呂に入っておいで」
「うん!」
「私、お風呂は後で入る」
そう言って1人離脱した少女は、確か律、だった気がする。
私はその少女が気になってしょうがなかった。そう思うと、また後ろをついて行っているのだ。
少女は自分の部屋らしき和室に入ると、座布団に座り、読みかけの本を開く。
そこから、どれくらいの時間が経っただろう。また1人の少女が部屋に入ってくる。
「何」
「律、お風呂上がったから」
「わかった」
どこか冷たいんだけど、温かさもあるのよ、やっぱり。この子はどこか不思議。どこか、面白い。
本当、人間っていうのは馬鹿なものだ。
だからこそ、面白いって言うのもあるかもしれないけど。
「律は、華のこと嫌い?」
「何で」
「気になったから」
まるで、母親のような目。なぜだろう、見たことある景色で、私もどこかで言われたことある気がする。心配して、と思うけど私にしたらうざったるい。
「別に、普通」
きっと次に発せられる言葉は「別に嫌いってわけじゃないし、好きでもない」だと思う。
「別に嫌いってわけじゃないし、好きでもない」
「そっか」
当たった。やっぱりそう言うと思ったんだ。どこか、私と似てるから。この子は。
そう思っていると、読んでいた本を閉じて、そこからまた動き出す。
普通の人からしたら、つまらない光景だとは思うけど、私からしたら、こんなにも楽しいものはない。
少女はお風呂から上がると、そのまま一番奥の部屋に手を差し伸べようとしていた。
「何してるの、律ちゃん」
びくっとしながら振り向いた先にいたのは、年配の人。少女は顔を見るなり、顔が青ざめていく。
この人は誰なんだろう、なんていう私の疑問は打ちひしがれる。
「…ごめんなさい」
「私は謝罪を聞きたいんじゃないの。何をしていたか、が聞きたい」
子供相手にそこまで追い詰めるんだ。
すぐに思ったところは、そこだった。この少女は何をしてた、とかないのに。
そう庇ってしまう私は、まだ甘いのだろうか。
「黙っていないで、答えなさい」
冷たい視線で、子供の胸に傷を作る。精神的苦痛を味わってきたこの子は、今までずっと我慢してきたのかな、なんて思いながら。
「お母さん?」
「…雅」
「あら、律。どうしたの?」
また新しい登場人物。この人が、3人の少女の母親。
ということは、そんな人が「お母さん」と呼んだこの年配の人は、少女たちの祖母にあたる。
そんなことを考えていると、少女は走ってその場から逃げ出した。私の横を通り過ぎる時には、涙がこぼれ落ちていた。
「お母さん、律に何したの」
「律ちゃんがこの部屋に入ろうとしてて…」
「あの子が?」
入ろうとするはずがない。
それが偏見というものではないだろうか。そんなもので縛り付けられるこっちの身にもなってほしい。
私はその2人を睨みつけて、少女がいるであろう場所に足を運んだ。
縁側の池の近く。なぜかそこが一番に思い当たる場所だった。何の確証もないけど。
「なんで…、華ばっかり…」
当たり。膝を抱えて泣いている少女を見つけた。
ずっと妹に嫉妬してきて、これが最後のトドメ、だったのか。
絶対に悪いことはしない。いい子だっていうレッテルを貼られて、自分が思うように動けない生活。
唯一自由に生きているのは、妹の華だけ。それを端からじっと見ていたから、なおさらうざい。その一言で。
「もう、嫌…」
その一言を誰かが拾ってくれるわけでもなくて。少女のその一言は、そのまま宙に消えて行った。
『そうやって、本人たちに言えばいいのに』
少女の後ろ姿にボソッと呟いた。