教会の少女
グレゴリオ歴 1783年 12月7日
早朝。
レイは使い古された子供服に袖を通していた。
この高級感溢れる派手な服装に抵抗があったのも今となっては懐かしい。
着替え終わったところで僅かに眉をしかめる。
「サイズが合っていない……よな?」
袖が僅かに短くなっていた。
今年に入ってすぐに仕立て直したのだが――。
「まあ、このぐらいの年齢は成長が早いからな。一年もすればサイズも合わないか……」
ふと声に出したことで実感した。
「そうか……気付けばもう今年も終わりだな」
6月のラキ火山噴火、9月のパリ条約、12月の小ピット首相就任。
今年は本当に激動の一年だった――。
無言になってこの一年を振り返ってしまう。
そのとき、ドアがノックされた。
「はい」
返事をしながら歩み寄りドアから顔を出す。
「レイ兄さん」
「ティナ」
頭の下で金髪が揺れていた。
「着替え終わったなら早く降りて来てください!もう皆、礼拝に行く準備はできて客間で待っているのですから」
「分かってるよ」
今日は日曜日で礼拝の日。
レイはモーニングコートに袖を通すとティナに手を引かれ慌ただしく自室を後にした。
廊下を進んで階段を降りると客間が見えてくる。
開けっ放しになっているドアから、中を覗き込めばレイとティナ以外の面々が揃っていた。
戸口で立っていたイザベラと視線が絡む。
「あら、レイ」
「お待たせして申し訳ありません。姉さん」
挨拶替わりの毒舌が飛んでくる前に先手を打って謝っておく。
「それで体調でも悪いのかしら?」
「いえ、体の調子はいいですが」
イザベラが神妙な顔を作る。
「そう。あまりに遅いから体調でも崩しているのかと思っていたわ」
「ご心配には及びませんよ」
「そうね。貴方がただの不敬虔な者だっただけの話だものね」
「……」
レイの顔が引き攣る。
相変わらず言葉の端々にある棘が痛かった。
「……全く貴方たちは……」
エミリアが頭を押さえて首を振った。
その様子を眺めていたヘンリーが苦笑いしながら懐中時計を取り出す。
「皆揃ったようだな。では教会にいくとしよう」
外に出ると空気の冷たさに身震いする。
まだ雪こそ降り出していないが、気温は氷点下に達していた。
寒さから少しでも早く逃れるため、レイは玄関前に停められていた四頭立て四輪馬車に乗り込む。
馬車が動き出すと、ほどなくして上流階級の証ともいうべき広大な前庭を抜けた。
高い塀に囲まれた屋敷を離れ、教区の教会に向かう。
そして数十分後。
優美な姿を誇った尖塔が遠目に見えてくる。
ドーム状の屋根と改装されたばかりの純白な外壁が特徴的な聖堂。
雲の切れ目から陽日が出たようで、ステンドグラスが色鮮やかに煌めく。
馬車から降り、一行は慣れた様子で足を踏み入れる。
室内では規則正しく並べられた椅子に腰かけ、すでに多くの領民が祈りを捧げていた。
最奥の祭壇には純白の聖服を身に纏った一人の男性。
レイたちは彼の元に歩み寄った。
「エイムズ氏」
「これはミスター・アルフォード」
ヘンリーが声をかけると彼は軽く頭を下げる。
彼こそがこの教区の牧師であるコリー・エイムズであった。
「ここ最近の信徒たちの様子はどうか?」
「相変わらず夏の一件以来、熱心に祈っていますよ」
「夏……そうか、やはりあの噴火の影響は未だ根強いか」
1783年6月――アイスランドのラキ火山が大規模な噴火を起こした。
アイスランドで起きたこの噴火は、一か月も経たないうちにヨーロッパ全域に広がり、このイギリスでも大きな被害をもたらしている。
事実、この町でも火山灰が降り注ぎ、何度も雷雨が襲ってきた。
いつもは年齢の割にしっかりした気の強いティナもこの時ばかりは、不安がり何度か泣きついてきた――それを慰めたのも記憶に新しい。
「ええ。噴火の一件で、今年は例年以上に教会を訪れる信徒が増えました。この夏は灰や小石が降り積もり、独特のもやとくすぶった霧も多発しましたので、領民は皆不安を抱いていましたし、神に縋らずにはいられなかったのでしょう」
「できる限り外に出るなと勧告していたのだが……先行きの見えない不安には勝てなかったか」
その言葉に、ヘンリーが眉根を寄せた。
火山ガスに含まれる流黄化合物のガスを吸い込むと、肺の柔組織が腫れ上がり呼吸困難となる。
実際にベッドフォードシャー州、リンカンシャー州などの東部沿岸を中心に中毒死で亡くなった死者数はすでに2万人を超えていた。
そのことをレイの知識で前もって知っていたヘンリーはラキ火山が噴火した直後、不要な外出を控え、どうしても外出が必要な場合は布などを口に巻くように領内に勧告していたのだ。
「ミスター・アルフォードのおかげもあり、この町で中毒死した者が出なかったのは不幸中の幸いでした」
「まだ予断を許さない状況は続いている」
ヘンリーは真剣な表情を崩さない。
「この寒さでは凍死する者が出てもおかしくないのだからな」
ラキ火山の噴火は北半球に大規模な寒波をもたらし、例年とは比べものにならない寒さをイギリスにもたらしていた。
当然、アルフォード家が治めるこの町でも気温はどんどん下がり続け、ここ最近はゼロ度を下回ることも少なくない。
「この異常気象では来年以降、肉、野菜、小麦などの高騰は避けられないでしょうね。下手するとこの国でも無視できない規模の餓死者がでることになるのでは……」
「少なくとも私が治める領内で餓死者や凍死者など出しはしない」
「ええ。私もそのような心配はしておりません」
エイムズは深く頷いた。
「この町にはアルフォード家の執事であったフレッドさんの瓶詰め工場がありましたので、領民は充分な保存食を買い込んでいますし、防寒着や焚き木なども他の地域に比べ、かなりお安くお売りになって下さいましたから」
ヘンリーが高騰しそうな商品を予め買い揃え、噴火後に放出していたため、領内で冬の生活必需品や食品が高騰し過ぎるは抑えられていた。
「この教区に……いや、この国に貴方のような人が居たことは神の思し召しでしょうな」
「……それは言い過ぎだ」
「何を仰られる!天災に襲われた際、領民が不安がる必要はないと教会に多大なる寄付をされ聖堂を新しく建て替えるように申したのは貴方ではないですか!?」
特別敬虔な信徒ではなかったヘンリーだが、領民の不安を払拭する手段として一か月前に精神安定の役割を果たしていた聖堂をより新しく煌びやかなものへと改装していた。
「それに来年、フレッドさんが政府機関に保存食などを寄付するつもりらしいのもミスター・アルフォードの指示という噂も」
「……よく知っているな」
異常気象の影響が出始めるであろう来年以降に向けて、フレッドに指示し各地の保存食品製造所で少しずつ瓶詰めを増産している最中であった。
それらを聞き及んでいたのであろうエイムズが尊敬の瞳でヘンリーを見つめる。
レイは内心で苦笑いしていた。
それは何も純粋な慈善活動というわけではないからだ。
(むしろどちらかといえば、保身の意味合いが強いな)
アメリカ独立戦争やラキ火山噴火の情勢不安で莫大な富を築いたアルフォード家。
それゆえに多方面から嫉妬が集中しないようにする宣伝工作だった。
ふとエイムズから目を逸らし、レイが周囲を見渡す。
「あれは……」
ひと際熱心に祈りを捧げている少女を見つけた。
歳はレイと同じほどか。
――見たことない顔だな。
敬虔な信徒ではないレイだが、教会にくるのはこれが初めてではない。
元より記憶力には自信がある方だ――。
この小さな町の住民で教会に通っている面々の大抵の顔は覚えている筈であった。
「ああ、イヴですか――」
目ざとくレイの様子に気付いたエイムズ。
「彼女は私の娘ですよ」
「娘だと?しかし、エイムズ氏の子息に女の子はいなかった筈だが……」
エイムズの返答に、ヘンリーが疑問の声をあげる。
それもそのはず、エイムズは妻を早くに流行り病で亡くなって以来、新しい妻を迎えていない。その妻が生前産んだ子も男子ばかりで今は大きくなり独立していていた。
「ええ、イヴは養子ですから」
「養子……」
「元々私の妹が彼女の母親だったのですがイヴを産んですぐに亡くなってしまい、父親の方も先の反乱に従軍していた結果、2年ほど前に戦死してしまいましてね」
「それは……」
思わず絶句してしまう。
何故なら、彼女と前世での自身の境遇があまりに似ていたから――。
高橋黎一の母親も黎一を産んだ直後に死亡し、父親も彼が亡くなるちょうど1年ほど前に交通事故で亡くなっていた。
(前世の自分の境遇を例に出すまでもなく、この時代ではよくある話だといえばそれまでの話だが……)
憂いを帯びた表情のエイムズが目を伏せた。
「今までは私の両親が引き取って世話をしていたのですが、先日、私の母が寿命で亡くなりましてね。父もいつお迎えがくるのか分かりませんから、この機に私が面倒をみることにしたのですよ」
エイムズの言葉で何となく彼女の事が気になり、自然と視線がそちらに向いた。
するとイヴも視線を感じたのか、垂れていた頭をあげる。
自然と目が合う。
「……――ッ!?」
彼女が驚いた様子で肩をビクつかせた。
レイはしばらく悩んだあとゆっくりと歩み寄る。
「おはよう」
柔らかな口調でそう告げた。
「あ……あう」
「隣に座っても?」
「え……あ、はい……」
どこか怯えたような眼差し。
人見知りするタイプなのだろうか――だいぶん警戒されている。
ひとり分ほどの隙間を空けて彼女の隣に腰掛けた。
「私はレイ・アルフォード。君は?」
「……イヴ・エイムズ、です」
かすれて消えそうな声で口にした。
「あの、叔父さ……お義父さんと何かお話しているようでしたが、私に何か御用ですか?」
「この教区の牧師であるエイムズ氏の娘さんに挨拶をと思ってね……あとは敬虔な信徒ばかりのこの教会でもひと際熱心に祈っていたのが気になったからということもある」
一呼吸置いて、こう尋ねる。
「何を祈っていたのか聞いても?」
「……お祖父さまと神の国で再会できるようにって」
イングランド国教会の思想に天国や地獄という概念はない。あるのはただ神の国での永遠の生命か永遠の死滅か――。
「君のおじいさんはやさしい人だったんだ」
「はい」
「ならば君が敬虔な信徒であったなら、再会できるというわけか」
イヴは深くうなづいた。
前世の自分であれば、このようなロマンチックなことは嘘でも口にしなかった。
(だが、今はこうして転生しているあたり、神だか仏だかの超常的存在という奴は案外存在しているのかも知れないな)
そこでふと、新たな疑問が思い浮かぶ。
前世は日本で暮らしていたが、特別ブッタを信仰した覚えはない――そもそも自身の境遇からか無神論者だった。
(しかし、こうして輪廻しているあたり、自分は仏教徒に当てはまっているのだろうか)
だとすると悟りをひらくまで永遠にループしてしまうわけだが――。
「……これほど栄達を強く望んでいるあたり悟りをひらくのは無理そうだな……」
「え、何か言いましたか?」
「――いや、何でもないよ」
そういうと立ち上がってイブと向き合う。
「君のお義父さんのところに行こう。紹介したい女の子たちが居るんだ」
二人とも個性的だが、悪い奴じゃないのは保証するよ――そういってレイは彼女に手を差し出す。
イヴは微かに躊躇ったあと、おそるおそるレイの手を掴んだ。