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前哨戦

 

 グレゴリオ歴 1793年 5月13日





 アントワープを出発してから一週間が過ぎ、レイたちは軽歩兵独特のはやい歩度で西南へと軍を進めていた。コンデを包囲している同盟軍の援軍として、先行して出発したヨーク公率いる先遣隊の近衛歩兵連隊と合流するためだ。


 一見すると心が癒される、ひたすら緑の広がる田園地帯。

 耕地が柵や生け垣に囲まれた美しい牧歌的な田園風景から、危険を連想する者は少ない。事実、大部分の兵士たちの間には弛緩した空気があった。


「――生け垣や溝を重点的に索敵するよう兵士たちに伝達せよ」


 兵士たちとは対照的な顔で、レイが伝令に告げる。


(田野を区画している生け垣や溝の影は、敵兵が潜む絶好な場所となる)


 何よりもうすぐ国境だ――いつフランス軍と遭遇してもおかしくなかった。


 レイはふと一同を見回す。


 伝令が伝わったのか兵士たちの顔には先ほど異なり、緊張や不安の色が浮かび上がっている。


(……もうすぐ初陣か)


 その光景を眺めていると、改めて自覚する。


 胸中にじわじわと込み上げる、戦いへの恐怖と興奮を。




 30分後。


「止まれ!」


 中隊に号令がかかった。


「――小休止に入る!時間は10分だ」


 そう言ってレイが、歩哨を立てるよう指示を出す。

 ほどなくして、ハバード軍曹が見覚えのない顔を引き連れて歩み寄ってきた。


「中隊長、本隊から伝令が届きました」


 中隊が所属する第53歩兵連隊は、何マイルか後方にいた。

 第1大隊第8中隊は軽歩兵中隊として、本隊から先行し索敵する役割があったからだ。


「それで本隊からは何と?」

「はい、大尉」


 伝令兵に詳しく聞けば、5日前にコンデとヴァランシエンヌにほど近いレスムで大規模な会戦が勃発したとのことだ。


「包囲されたコンデの救援に駆けつけたフランス革命軍40000とそれを阻止したい同盟軍37000の激突か……」


 コンデ包囲戦は4月8日、ヴュルテンベルク公(1)率いるオーストリア軍とフランス亡命軍の同盟軍分隊6000人により開始された。

 そこから、コーブルク公(2)の本隊(オランダ軍6000とオーストリア軍15000)含め、アントワープの会議により援軍として派遣されたクノーベルスドルフ公(3)率いるプロイセン軍8000とヨーク公率いるイギリス軍2500の増援により、最終的に37000という戦力になっていた。


「戦闘はフランス革命軍が攻勢を止め、夜に紛れて撤退したことで同盟軍の勝利となりました。そして現時点では断定出来ませんが、フランス北方軍司令官であるダンピエール大将が戦闘で負った傷により死亡したという噂も……」


 4月にオーストリア軍に亡命したデュムーリエの代わりに、ダンピエール(4)がフランス北方軍司令官に任命され、レスムの戦いにおいてもフランス北方軍40000名を率いていた。


「前回に続いて、今回の敗戦だ……仮に生きていたとしても、処刑されるだろうな」


 5月1日にも、コンデの包囲を解こうとしたダンピエールは、キエヴランに軍営を構えていた同盟軍を攻撃したが、激戦の末に多大な損害を出して撃退されていた。


「そうなると、フランス北方軍の司令官はどちらにせよ交代ですか……」


 と、ハバード軍曹が複雑そうな顔をする。


「……わずか一ヶ月の間に軍司令官が3人も交代するとは、狂っているとしか思えない状態ですね」

「それが、革命というものだと言ってしまえばそれまでだが……フランス北方軍が崩壊寸前なのは間違いないだろう」


 西の地平線に視線を向けながら、レイはそう呟いた。





 2週間後の早朝。

 レイ率いる第1大隊第8中隊は、南ネーデルランドとフランスの国境沿いにある森の中を索敵していた。

 あれからダンピエールの戦死により、新しく任命された暫定指揮官のラマルシェ(5)は、ネーデルランドにおける敗北の連続で崩壊寸前に陥ったフランス北方軍をファマールの陣地とヴァランシエンヌの要塞へと撤退させた。

 一方、それを見て英国陸軍本隊の増援を受けた同盟軍は、コンデの包囲に僅かな戦力を残し矢継ぎ早にヴァランシエンヌの包囲に取り掛かるべく、先ずは目障りなファマールの陣地に籠ったラマルシェの撃退に動き出す。


 そして、その攻撃の先鋒として選ばれたのが、ヨーク公率いる英国陸軍であった。


 陽射しが木々に遮られ、深い影の落ちる細道。

 行く手にはだかる枝葉を避けて進んでいると、先頭を歩くハバードが振り向きもせず呟いた。


「しかし意外でしたね、中隊長」

「何のことだ?」

「今回の、ヨーク公爵閣下に先鋒が任された件ですよ」


 ハバードの言葉に、レイも内心で同意する。

 もともと、ジョージ3世の第二子であるヨーク公が、フランダース遠征軍司令官として任じられたのは、政治的配慮によるものだ。

 18世紀のイギリスは大陸にも領地を領有し、その最もなのがハノーファー選帝侯領であった。

 イギリスとハノーファーは英国君主ジョージ3世のもと人的同君連合(二国間の政府はそれぞれ独立した主権を持っており、君主のみが同一人物)を形成しており、今回のフランダース遠征でもイギリス・ハノーファー連合軍を組織していた。

 それぞれが独立した主権を持っているため、ただ実績のある将軍というだけではフランダース遠征軍司令官として相応しくない。

 そういった経緯で、実戦経験が皆無であるにも関わらず26歳のヨーク公が遠征軍司令官を務めていた。


「オーストリアとプロシアの軍隊も連戦続きで疲弊しているとの理由だっただが……」

「だからといって、この局面で先鋒を任せる必要はないのでは?」


 ハバード軍曹の疑問に、レイも思わず押し黙る。

 フランドルの戦局を左右するであろう今回の会戦に、わざわざ重要な先鋒を任せる理由には弱い気がした。


「口さがない兵の間では、ヨーク公爵閣下に対する嫌がらせだという噂も流れていましたが……」

「まさか!その様な無責任な噂を信じているのではなかろうな?」


 思わずレイの視線が鋭くなると、ハバードが慌てて否定する。


 とはいえ、同盟軍上層部の間に生じている不和の話はレイも聞き及んでいた。

 レムスの戦いでは、森の中に急造された防衛陣地の存在をイギリス近衛歩兵連隊に教えずに戦闘に向かわせたとして、少なからず損害が出ている。


 ――その責任の所在を巡って不和が生じているのだ。


(そういった背景を考慮すれば、今回の先鋒にも裏があるように思えて仕方ない部分もある)


 ヨーク公が大きな失態を犯せば、オーストリアやプロイセンが戦後の講和会議を有利に進められるのは間違いなかった。


 そこでふと、レイは心中で自嘲する。


(それが真実かどうかなど関係なくこのような噂が既に流れている事が、この上なく連合軍の脆さを露呈しているか)


 連合軍といえば聞こえはいいが、実態は各国がそれぞれ利害関係の元に対仏戦争に参戦しているだけだ。


(フランスの潜在能力が発揮されれば、その脅威の前にもう少し結束するのだろうが……)


 目を伏せて、レイがぽつりと独白する。


「……敵が脆すぎ勝利が見えたばかりに、纏まりを欠くというのは何たる皮肉だ」


 周囲が思っているより先行きが明るくない現状を再認識していると、


「中隊長!」


 先行していた中隊の少年が駆け寄ってきた。


「どうした、エルマー?」

「この先に敵影が!」


 緊張で張り詰めた口調のエルマーが、森の奥を指さした。

 詳しくは向かいながら、とエルマーを促し、レイは周囲の兵士たちを引き連れて先を急ぐ。


 そして数分後。

 森の輪郭がはっきりと見え始めた。

 直後、パッと森が開けて淡緑の草地がレイたちを出迎える。草地には緩やかな傾斜と丘があり、隅には細長い川が流れていた。

 腰に吊るした望遠鏡を引き抜き、レイが西の稜線へと向ける。


「どこだ……」


 ゆっくりと望遠鏡を左右に動かし、丘の尾根に意識を集中した。

 そのとき、尾根に沿ってフランス歩兵が一列に並んで姿を見せる。

 距離は約半マイルで、数は400人ほどだろうか。


「軍旗は確認出来ない……ならば半個歩兵大隊か?」


 中隊というには多すぎ大隊というには少なすぎる、それらを見てレイはそう当たりをつける。


「どうされますか、中隊長?」


 左隣に並んだハバード軍曹が、此方に視線を向けてくる。

 反射的にレイが口を開こうとした。

 刹那――。


「――ッ!?」


 辺りに銃声が鳴り響いた。


「何処の馬鹿だ!?」


 新兵が逸ったのか、暴発なのかは分からない。

 ――ただひとつ確かなのは、敵に此方の存在が知られたということだった。


「――応戦するぞ」


 敵の指揮官が、こちらを指さしているのを確認してレイは言う。


「エルマー、後方にいるハーネス中尉に第2小隊をこの場に伏せ、射撃準備をしているように伝えろ」

「はいっ!」


 エルマーはレイの意図を察し、繁みを掻き分けて森の奥へと走り去る。


「此処にいる第1小隊は、散開隊形を取れ!それからゆっくりと前進する!」


 教え込んでいた散開隊形を取らせ、銃剣を輝かせながら横隊はじわじわと前進した。

 レイは森の縁から、200ヤード先まで進ませると片膝をつくように手を振る。

 フランス軍の半個歩兵大隊は横陣を並べて、ようやく丘のふもとまで下りてきた。

 連戦での損耗により新兵が多く混ざっているのか、規律のない歩みだ。


「ライフル銃兵、構えろ!」


 敵が中隊から300ヤードの距離で接近すると、レイが号令をかける。

 すると、此方が素人とでも思ったのか歩度を速めて寄ってきた。


「まだだ、まだ撃つなよ!」


 目測では200ヤードを切ったが、新兵たちに訓練ほど精度の高い射撃は期待できない。

 フランス歩兵の怒声が聞こえるなか、レイはどうにか逸る気持ちを押し殺す。

 相対距離150ヤード――。


 ――今だ!


「――ッ撃てぇ!」


 レイの合図で斉射の轟音ではなく、間をおいた慎重な発砲音が響く。

 前列の指揮官や兵士が狙い撃たれ、バタバタと次々に倒れた。

 想像より遥かに遠い距離からの射撃に、敵軍が浮足立つ。


「第二射用意!」


 二人一組を基本としていた第1大隊第8中隊。

 仲間が殺され怯んでいる敵軍に向けて、間髪入れずに発射する。


「撃てぇ!」


 轟音と共に、必殺の弾丸を浴びせかける。

 要所に配置された下士官たちが狙撃され、横隊後方の兵士たちが中々前進しようとしない。


 一方的な攻撃に戦意が低下しているようだ――。


 どうにか敵指揮官が曲がりなりにも部隊を纏めたのは、第三射の準備が出来たときだった。

 それからも、フランス軍は高い命中率を誇る鉛玉の雨の中へと前進を続ける。

 中隊の第四射が終えた頃、遂にマスケット銃の有効射程に入った。

 片膝を突き始めたフランス歩兵たち。


「よし!下がれ!」


 それを見計らって、レイが後退の指示を出す。

 一目散に森の中へと逃げ帰るイギリス兵。

 逆襲の時がきたとばかりに、フランス軍は斉射を中断し銃剣突撃に移行した。

 意気揚々と突撃し、両軍の距離が詰まる。


 敵軍は数の利を活かし、このまま森の中で乱戦するつもりなのだろう。


 森の縁から、フランス軍まで150ヤードの距離。


 怒声を発しながら進むフランス歩兵の頭が次の瞬間、肉片に変わった。

 突如として崩れ落ちた仲間に、周囲のフランス兵は動揺を隠せない。

 だが、そんな彼らの元に逆襲の銃撃が続けざまに浴びせかけられる。

 思わぬ伏兵に再び浮足立つフランス兵士たち。


 そして、第2小隊の第二射が発砲されたとき、堪らずフランス半個歩兵大隊は撤退をはじめた。


「……勝ったか」


 退却していくフランス歩兵を見送りながら、レイはそう呟いた。

 草地をぐるりと見回せば、放置された多数の亡骸。

 その数は100を超えるだろうか。

 自分が成した光景を見つめていると、ハバード軍曹が駆け寄ってくる。


「追撃しますか、中隊長?」

「いや、追撃はしない」


 ハバードの言葉に、レイはしっかりとした口調で否定する。


「軍旗は確認できなかったが、あの部隊が大隊という可能性もある」


 だとすれば、近くに軍旗を持つ本隊がいる筈だった。


(それに可能性は限りなく低いが、此方と同じことをしていないとも限らない)


 一兵の損失もなく4倍のフランス軍を撃退できたのは、常にアウトレンジを保てたからだ。


 欲をかいた結果、誘引でしたでは目も当てられない――。


「何より、我々の目的は敵部隊の殲滅ではないのだ」


 結果的に威力偵察のような形になってしまったが、軽歩兵中隊の役割はそれだけではない。


「このような前哨戦で損耗するなど論外だ……ましてや明日にでも大規模な会戦が始まろうとしているのだからな」


 そう呟いたレイの瞳には、何万ものフランス兵の姿が映っていた。

1 ヴュルテンベルク公(フェルディナント・フリードリヒ・アウグスト・フォン・ヴュルテンベルク)

2 コーブルク公(フリードリヒ・ヨシアス・フォン・ザクセン=コーブルク=ザールフェルト)

3 クノーベルスドルフ公(アレクサンデル・フォン・クノーベルスドルフ)

4 ダンピエール(オーギュスト・マリー・アンリ・ピコー・ド・ダンピエール)

5 ラマルシュ(フランソワ・ジョセフ・ドルーオ・ド・ラマルシェ)

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