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射撃訓練


 グレゴリオ歴 1793年 4月6日




 アントワープの外れでは、銃声がいくつも重なり合って響いていた。

 片膝をついてライフル銃を構えているのは第1大隊第8中隊の兵士達。

 午前中にいつもの訓練メニューを終えた軍人たちは、現在200ヤード先ある直径50センチほどの円形の的を射撃している。

 そこから離れた場所で、レイは中隊の射撃訓練を見つめていた。


「中隊長、時間です」


 その傍らに立ち時間を測っていたハバード軍曹が、懐中時計から顔を上げる。


「打ち方やめ!」


 レイの号令に従って、絶え間なく繰り返されていた銃声がピタリと収まった。


「各中尉は、射撃訓練の結果を報告せよ!」


 命令からしばらくあと――。


 下士官の報告をまとめた2人の若い中尉が近づいてくる。

 歳のほどは、どちらもレイと同じぐらいか。


「報告します!」


 最初に口を開いたのは、背の低い中尉であった。


「時間内にて5発全て命中させたのは8名でした!」

「そうか……報告ご苦労、クロネリー中尉」


 少し強張った声で報告したのは、新人将校であるノア・クロネリー中尉だ。レイより年下の16歳という年齢と低身長も相まって正直頼りなさげだが、上流階級出の士官としては特段珍しいことでも無い。

 今度はその隣へと視線をやる。


「我が小隊では9名でした。中隊長」


 クロネリー中尉とは対照的に落ち着き払っているのはルイス・ハーネス中尉だ。レイの後から入隊した新人士官だが、代々軍人の家系出身ということも影響しているのか、19歳いう年齢ほどに初々しさは感じられない。


「相変わらず、20人にも満たないか……」

「それも成功した者の大半は、古参兵のようです」


 レイの言葉に、ハーネス中尉が補足する。


「とはいえ、新兵たちの半数以上が5発中3発は命中するようになっています!これは2カ月前に比べれば新兵たちも目覚ましい成長といえるでしょう!」

「ベイカー銃でこの練度ではな……」


 中隊には全員分のライフル銃を揃えているが、その全てをベイカー銃で賄うことは不可能だったため、残りの半分はヤーゲル銃で代用しており、訓練時には射撃の腕が均一化するよう性能のいいベイカー銃は新兵に優先して貸し与えていた。


「まあいい。それで今回の報奨対象者は?」


 報奨対象者とは、全弾命中させた成績優秀者の中でも特にタイムも良かった上位5名のことだ。優れた射撃の腕を持つ兵士を称賛し物品(缶詰や酒)を与えることで、射撃訓練の効率を高めるよう動機づけることを目的とした中隊独自の報奨制度である。


「トム・メラーズ、ジェシー・マッカロー、チャド・グーチ、ベン・リグビー、デリック・パッカーの以上5名です」

「……相変わらずの面子か」


 彼らはこの二週間、常に成績優秀者として名を連ねている中隊の名手たちだ。


(成績優秀者が固定化され始めたために、中隊全体のモチベーションが低下しているのか?)


 そんな思考が脳裏をかすめる。


「だとしたら、何か新たな試みが必要か……」


 そう独りごちてから、レイは兵達を整列させると表彰式を開始した。






 翌朝。

 第1大隊第8中隊の兵士達が休めの姿勢で指揮官であるレイに正対していた。

 彼らは変わり者の若き中隊長が、また何かおかしなことを考え付いたのではないかと、不安と期待が交じり合った表情で此方をじっと見つめている。


「諸君」


 士官の列から一歩前に出たレイが、親しみを込めて語り掛けた。


「私はお前たちを、英国陸軍一の軽歩兵中隊――ライフル銃のエリート部隊として育成するため、様々な取り組みに尽力してきた」


 悠然とした雰囲気と表情で、レイは後を続ける。


「射撃訓練で優秀な成績を残した者に報奨してきたのも、その一つだ」


 真剣な顔で耳を傾けている兵士たち。


「しかし、ここ最近訓練の成果が芳しくなく思う」


 言い終えると周囲を見回し、レイが言う。


「代わり映えのしない成績優秀者たちには、どうやっても勝てないと諦めてしまっているのではないか?」


 心当たりがあるのだろう。

 レイの言葉に、少なくない人間が目を逸らした。


「そこで、だ」


 一度、そう言葉を区切る。


「これからは、私以上の成績を残した者全てに報奨を与える」


 一瞬の沈黙のあと。

 どこか歓喜にも似たどよめきが巻き起こった。


「それは真ですか?中隊長!」


 思わずといった様子で前列の若い兵士が声を上げる。


「ああ、嘘ではないぞ。エルマー」


 レイの言葉に笑みを深めたのはエルマー・カーンズだった。

 未だ10代のエルマーは猟師の息子で、幼いころから猟銃――施条式ライフルマスケット銃での射撃を習っており、射撃訓練を始めた当初は、古参兵に交じって成績優秀者に入り込んでいた。

 が、ここしばらくはライフル銃に慣れてきた他の古参兵の突き上げに合い、報奨対象者の対象外に押しやられている。


(古参兵と違い、家の財力で将校となっただけの若輩士官相手なら、敵ではないとでも思っているようだな)


 エルマー以外の兵士の顔を見ても、既に貰った勝負だという喜びを隠しきれていない。


(そうでなくては困る)


 だからこそ、やる意味があるのだ――。


「――それでは、早速始めようか」


 その口元は、不敵な弧を描いていた。




「――このような提案をして、本当によろしかったので?」


 ハバード軍曹がベイカー銃を手渡しながら、そう問いかける。


(そういえば、俺が狙撃するところを軍曹にも見せていなかったか……)


 不安げな眼差しのハバード軍曹を見て、そのことを思い出す。


「まあ、見ているといい」


 言い捨てて、200ヤード先の的に視線を移す。


「それより、5分間測っていてくれ」

「……了解しました。中隊長」


 そう言って、数歩ほど離れたハバードを尻目に、レイが背を向ける。


「始め!」


 軍曹の合図で、レイが弾込めを始めた。

 滑腔式マスケット銃と違い、銃腔にある弾丸を押える溝の抵抗にあいながら、槊杖で弾丸をむりやり押し込む。

 装填が完了すると火打ち石を起こし、荒野のはるか先にベイカー銃を向ける。


「……――ッ!」


 火花が散り、硝煙が周りを包む。

 白い煙が晴れると背後から、驚きの声が上がった。


 ――弾丸は見事に的の中心部を貫通している。


 そこからは、繰り返しの動作だ。



 しばらくして、五回目の銃声が鳴り響いた。


「終了です!」


 静寂の中、極めて冷静な声でハバード軍曹が告げる。


「5発中5発の命中を確認。タイムは2分45秒です」


 歓声は上がらなかった。

 その場にいる全員が沈黙している。

 しかし、それも無理もない。

 未だ二十にも満たない、上流階級出の将校が5発全て時間内に命中させるどころか、タイムに半分近く余裕を残したのだ。


 少しずつ、我に返った兵士達のざわめきのなか、レイがハバード軍曹に確認する。


「この成績を昨日の射撃訓練の結果に当てはめるとどうなる?」

「……昨日の一位であるトム・メラーズと同タイムです」


 レイはそっと、目を瞑った。


「――古参兵たちよ!」


 そして目を見開いて、兵士達に向き直る。


「自分の半分も生きていない若輩に敗北し悔しいとは思わないか!」


 ざわめきが、ぴたりと収まった。


「新兵たちよ!」


 呆然と前列に立っていたエルマーに視線をやる。


「紳士出身の将校に、射撃の腕で叶わず恥ずかしいとは感じないのか!」


 そこで再び一同を見回し、北の彼方を指さした。


「もし、これで何も思わない者がいるのならば、元の豚小屋のような世界に逃げ帰るがいい!」


 兵士達のなかには戦時という名目のもと、半強制的に軍隊へと徴集された浮浪者や犯罪者も少なくなかった。


「我が中隊に、只食われるだけの豚など必要ないのだ」


 故に、怒りに染まった双眸を向けている者が目立つ。


「そして、この結果を受け入れられない誇りある人間がいるのであれば、より一層努力せよ!」


 今までは、変わり者の中隊長でしかなかったレイの叱咤激励を、兵士たちは真剣な表情で聞いている。


「優れた射手には報酬が――」


 何か意志を込めた瞳で、レイが後を引き継ぐ。


「この先の戦場では貴様らの狙撃の腕が自身と仲間の命を救い、更なる名誉をもたらすであろう!」


 ベイカー銃を頭上に掲げて、レイは宣言する。


「励め!選ばれた戦士たちよ!」


 言い終えると、怒涛のような歓声に襲われた。



 レイが背を向けると、ニヤニヤと口元を歪めたハバード軍曹が立っていた。


「見事な演説でしたな、中隊長」

「よせ、ハバード軍曹」


 からかうような口調のハバードに、レイは疲れた様子で言葉を返す。


「我ながら慣れないことをやった自覚はある」

「そうですか?なかなか手慣れているようでしたが?」


 彼は首を傾げつつ、兵士たちに目を向ける。


「事実、中隊長のお言葉で中隊の兵士たちも、意欲的に取り組み始めたようです」


 ハバード軍曹の目線を追えば、兵士達が腕のいい射手を取り囲んでいた。


 ――どうやら、アドバイスを求めているようだ。


(どうにか目的は果たせたようだな)


 内心で安堵の息を吐いた。

 すると、今度は遠目に緋色の軍服を纏った軍人の姿が見えてくる。


「――アルフォード大尉殿」

「ああ。ボネット中尉、何か用向きかな?」

「ええ。アントワープでの会議が終わったようなので、その結果をお知らせしておこうかと」


 アントワープでは、連合軍としての方針を決定するため、同盟国の首脳陣たちによる利害調整が行われていた。


「そうか。ではイングランドによるダンケルク領有の承認はオーストリアに通ったのか?」


 英国は、1662年にイングランドからフランスに編入されたダンケルクを戦争の補填に望んでいた。


「最終的にイングランドが戦後、ダンケルクを領有することはオーストリアに承認されました」

「祖国からすれば朗報だな」


 フランス北端の海港都市ダンケルクは、英仏海峡に挟まれたイギリスと大陸を結ぶ要所で経済、軍事的価値は極めて大きい。

 その重要性は古来から注目され、17世紀にはルイ14世によってカレー、ル・アーヴルなどと共に要塞が築かれ防衛ラインとしての役割と同時に、英仏海峡や北海で活動しているフランス私掠船の一代拠点でもあった。


「それでどのような条件を付けられたのだ?」


 それほどの戦略的要所である――当然、ただでくれる筈もない。


「オーストリアは、イングランドのダンケルク攻略に手を貸す代わりに、先ずはコーブルク公率いるオーストリア軍の軍事行動を支援するように、と」

「軍事行動の支援というと?」

「コンデとヴァランシエンヌの攻略です」

「なるほど……」


 フランスと南ネーデルランドの国境にあり、エーヌ川とスヘルデ川という河川の流域に位置するコンデとヴァランシエンヌ。

 この両都市は、その地形的要因から堅固な要塞が建てられ、攻略にはフランス側の強い抵抗が予想されていた。


「コンデとヴァランシエンヌと順に攻略し、最後にダンケルクを、か」


 明確になった戦場を脳裏で思い描き、レイは兵士達の訓練風景を眺める。


 イギリスの長い戦いの歴史が、再び始まろうとしていた。


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