上陸
グレゴリオ歴 1793年 4月5日
アントワープの城門から、馬や野砲を引き連れて行進するオーストリア軍人たちの姿が見えてきた。
すると城門から伸びる石畳の上で、大音量を響かせていた馬の蹄や車輪の騒音を掻き消さんばかりの大歓声が沸き上がる。
――彼らは先日の会戦でフランス北方軍に勝利し、この街に凱旋してきたのだ。
レイは通りに面した宿舎の窓から、外に目をやり凱旋している軍隊を見下ろしていた。
先月、フランドルに派遣された英国陸軍は、2月に先行して上陸していたフランダース遠征軍司令官ヨーク・オールバニ公フレデリックと合流し、同盟国(第一次対仏同盟)であるオーストリア領アントワープの宿営へと辿り着いていたのだ。
しばし眺めていると、騎兵隊に囲まれた雰囲気の異なる集団が見えてくる。
(あれは……フランス革命軍か?)
しかし、捕虜にしては随分と丁寧な扱いだ。
目を凝らすと、中央には高級将校らしき一群。
そういえば――。
荒々しいノックの音が耳を打ち、レイの物思いに沈んだ意識が現実に返った。
「中隊長」
「入れ」
振り向くことなくレイが許可を出すと、静かにドアが開かれ壮年の男が入ってくる。英国陸軍の象徴ともいえる緋色ではなく緑色の軍服に軍曹の階級を付けた、歴戦の風格が漂う壮年の戦士だ。
「どうした?ハバード軍曹」
ハバード軍曹と呼びかけられた軍人バイロン・ハバードは、アメリカ独立戦争の当初から従軍していた経験豊富な下士官であり、現在は未だ実戦経験のないレイの様々な補佐をしていた。
「中隊の整列が完了しました」
「そうか。ご苦労」
一度目を合わせて返答したレイが再び外に目を向ける。
「何を見ているのですか?」
レイの様子に興味を持ったのか、ハバード軍曹も窓の外に視線をやった。
「あれは……ネールウィンデンの戦いで敗軍の将となったデュムーリエ将軍とその部下たちですか」
3月18日、ブリュッセルから57キロ東に位置するネールウィンデンで大規模な会戦が勃発。
この戦いはオーストリア軍40000名に対し、フランス革命軍45000名という両軍4万を超える大規模な戦闘となり、フランドル方面の戦局を左右する重要な一戦となった。
「たしか、オーストリア軍に亡命したのでしたね」
「あれだけの大敗を喫してはな……」
ネールウィンデンでの激しい戦闘の結果、デュムーリエは自軍の左翼が崩れた事をきっかけに戦場から撤退を始めたのだったが、敗戦で脱走者が相次いだこともあり全面降伏を避けるために行ったオーストリア軍との交渉の末、占領していた南ネーデルランド(ベルギー)を放棄する代わりに撤退を妨害しないという条件でまとまった。
「ましてや、彼は隠れた王党派で、交渉の後には革命政府に対する反逆を企てたのだと耳にした。それが本当ならば、尚更フランスに居場所はないだろう」
もともとデュムーリエは、ルイ16世が処刑されたことと終わりの見えない中央の政治情勢に絶望を感じており、急進派(ジャコバン派)による軍指揮官への介入にも辟易していた。
そんな中、自らも大敗したことで進退が窮まり、かねてより考えていた反逆の計画をオーストリアとの交渉が終えた直後に決行したのだ。
「反逆ですか……詳細は定かではありませんが、デュムーリエ将軍がパリへ進軍して革命政府を打倒し、憲法(1791年憲法)の回復に務めるつもりだったと噂されていましたが……」
「まあ、何にせよ企みは失敗したようだがな」
貴族将校が多く元から正規軍であった歩兵と騎兵連隊は大人しくに従ったが、革命精神あふれる第三身分(平民)で構成された志願兵と砲兵は革命政府(国民公会)を支持し、クーデターが失敗したことを悟ったデュムーリエは、側近の将軍といくらかの騎兵と共にオーストリア軍への亡命を選んだ。
「ですが、反逆や亡命のことは別としても、戦局が大きく我々の有利になったのは間違いないでしょう。今度はフランスの西部で大規模な反乱も起きているようですし」
「ヴァンデの反乱か」
ヴァンデ地方では、2月24日に制定された30万人募兵令(志願兵の不足分を各市町村に割り当てて強制徴募する法律)の反発から、地方農民が蜂起。
「あれは2月に制定された強制徴募の制度が、農民たちに旧体制(絶対王政期のフランス)時代のくじ引き兵役を思い起こされたのだろう」
くじ引き兵役とは、ルイ14世の時代に創立された国民民兵制の俗称で、裕福な市民は免除や代理が可能だったことから、実質的に貧しい農民にのみ課された不平等・不公平の象徴の一つである。
(何より元々、ヴァンデ地方などのフランス西部は聖職者民事基本法(聖職者は協会ではなく人民に選任される立場になり、聖書以外にも憲法を順守する宣誓を義務とした)に対する不満が渦巻いていたからな)
国王処刑の一件からも反感を抱いていた宣誓拒否聖職者が反革命を説いて回ったため、ヴァンデ地方は反革命を支持する下地が出来ており、王党派の指導者のもと瞬く間に各地に反乱が飛び火したのだ。
「ネールウィンデンでの勝利とヴァンデの反乱から、わが中隊の兵士たちも、終戦が見えた、と軽口を叩きあっていますよ」
「終戦か……」
たしかに先月スペインに宣戦布告したフランスは、まさに内憂外患に四面楚歌という絶望的な状況だ。
(俺も史実さえ知らなければ、滅亡末期の国家としか思えなかっただろう)
これから起こるであろう歴史を思い返す。
「……ハバード軍曹も、もうすぐこの戦争が終わると思うか?」
「そうですな……フランスが旧体制のころであれば和睦の選択肢もあったのでしょうが、国王を殺してしまいましたからな」
国王の処刑は、国王・皇帝を頭に戴くヨーロッパ諸国との和解の道が閉ざされた事を意味していた。
「革命家たちの退路が既に断たれている以上、このまま終わるとは到底思えない、というのが正直な感想ですな」
ハバード軍曹はレイに視線を返しながら、こう告げた。
「戦場で退路のない兵士ほど怖い存在もないですから」
「……なるほど、最もな言い分だな」
そう言って、レイは窓の外に視線を向けつつ、ゆっくりと立ち上がった。
「では、お気楽な部下の気持ちを引き締めに行くとしようか」
街外れの広場では、分厚い曇り空の下緑の上衣を着た兵士達が腕立て伏せをしていた。
数は100人には届かないぐらいか。それぞれ分隊ごとに別れ、ベテランの下士官たちによって監視されている。
ほどなく、腕立て伏せを終えたのか、その場に倒れ込んだ兵士達が目立ち始めた。
「よーし。終了した者は二人一組で柔軟体操を始めろ!」
少し前は、柔軟体操に戸惑っていた兵士達も、今となっては慣れた様子でこなしている。
「――終わった分隊から次のランニングに移れ!」
矢継ぎに指示を出したハバード軍曹が、少し離れた場所を指さす。
そちらに目をやれば、地面に線を引いただけの簡易的なトラックが存在していた。
「モタモタするなよ!最も遅かった分隊には罰則があるのを忘れたのか!」
のろのろと立ち上がっていた兵士達に檄を入れたハバードは、隣に佇んでいるレイに目を向けた。
「多少は兵士達もこの訓練に慣れてきたようですね」
「その様だな」
レイが第1大隊第8中隊の中隊長に就任した当初より、明らかに訓練メニューの消化が早くなっている。
「しかし、こういっては何ですが中隊長は面白い方ですね」
「何がだ?」
「腕立て伏せにランニング、何より柔軟体操でしたか?この様な訓練をするのは中隊長ぐらいでしょう」
18世紀の軍隊における訓練は、体力を重視する体育よりも統制や規律を重視する規律教練が一般的だった。
レイはその事実を認識しながら、冷静な口調で言う。
「将来を見据えれば、規律を重視した訓練より体力に比重を置いた訓練の方が合理的だからな」
「どういう意味でしょうか?」
「フリードリヒ大王の輝かしい勝利以後、祖国を含めた欧州各国でプロシア式の戦術を取り入れたが、これからの戦い――特にこのフランダースでの戦役では、七年戦争の時代によく見られた両軍がガッチリとした横陣を並べて戦う、というような会戦が行われることはないだろう」
ハバードはほんの数秒、その意味を考え込んだ。
「それは……相手がフランス革命期の軍隊だからですか?」
「その通り。義勇兵との混成軍であるフランス革命軍に貴族の作法など通用せず正規の軍事原則に倣った戦闘など困難なことはヴァルミー以降の戦いでも証明されている」
革命運動に情熱を抱き、数日前にマスケット銃を操作した者も少なくない義勇兵の青年たちが貴族将校に不満を抱いているなかで、一糸乱れず前進する必要のある横陣戦術など机上の空論でしかない。
「これが只の烏合の衆であれば全く恐れるに値しないのだが、敵には優れた野戦砲と砲兵による支援がある」
フランスでは、グリボーヴァル・システム(ジャン・バティスト・ヴァケット・グリボーヴァルが導入した砲兵システムにより、既存の大砲と変わらない射程を保ちながら命中率の向上・軽量化・均一化を可能とした技術革新)が導入されている事に加え、革命前から騎兵や歩兵の部隊と異なり数学の技能さえ備えていれば、平民でも砲兵将校として昇進することが可能だったため、革命後も経験豊富で練度の高い砲兵士官が数多く残っていた。
「何の工夫もない既存のままの密集陣形では、手痛い反撃を受けることになるだろう」
「その対策がライフル銃と緑の軍服ですか?」
「正確には、それらを活用した軽歩兵だが」
軽歩兵とは、基本的に独立的に運用され、正規歩兵が陣形を整える最も脆弱なときに襲撃を仕掛けたり、敵の補給線や連絡線を脅かすか、逆にそれらから味方を防護する正規歩兵にはない柔軟性を持つ兵科の事である。
「軽歩兵ですか……たしか、オーストリア継承戦争(1740年~1748年)で目覚ましい活躍をしたのもクロアチア人の軽歩兵でしたか……」
軽歩兵という概念そのものは真新しいものではなく、古代ギリシャの時代から存在していた。
そして、18世紀の欧州で再び日の目を見ることになったのは、オーストリア継承戦争の間にマリア・テレジア(婚姻政策による外交に定評のあるパプスブルク家歴代の君主の中でも、特に優れた外交感覚を持っていた女帝)がプロイセンとフランス同盟軍の対抗手段の一つに、狩人独特の緑色の上衣を纏ったクロアチア民兵を軽歩兵として運用したことがきっかけだ。
「あれ以来、欧州でもプロシア軍やフランス軍が軽歩兵大隊を採用したのでしたね」
「ああ。その両国の後に続いて欧州の各国でも軽歩兵が広がっていった」
1770年代以降、欧州で軽歩兵中隊と擲弾兵中隊(手榴弾を投げて突撃を先導する兵士)が正式に大隊編成に組み込まれるようになっていた。
(アメリカ独立戦争の民兵も分類的には軽歩兵に当てはまるのか)
頭の片隅で考えていると、ハバード軍曹が疑問の声を上げる。
「ですが、軍の主兵とはならなかったはずでは?」
軽歩兵を取り入れたものの、革命前のフランス以外で軽歩兵を主力として捉える軍は存在せず、既存の集中射撃に信頼をおいていたのは変わらなかった。
それを証明するように、プロイセンで採用された軽歩兵大隊も最終的には解散されている。
「実際、現在の祖国でも正式な軽歩兵は殆ど採用されていません」
当初は同じ傾向に走った英国陸軍も、保守派からの反発で改革は進んでいない。
理由は至極単純だった。
(柔軟性に優れているといえば聞こえはいいが、正規軍から独自に動くさまは規律を欠いていると見られても仕方ない部分があるからな)
軍隊として規律を何よりも重要視するこの時代では、まるで山賊の如き軽歩兵の戦い方は欧州諸国の君主や貴族たちには受け入れがたかったのだ。
「しかしよくもまあ、古典的な保守派である連隊長に軽歩兵の運用を認めさせることが出来ましたね?」
「連隊長には今回の戦役に際してアルフォード家から様々な援助をしているからな」
中世の欧州において、連隊長は半ば独立した企業家だった。国家や司令部から支度金が降りると、兵士の徴募、給与の分配、装備の武装、将校の任命など数多くの権限と責任を有していた。
それから近代に近付くにつれ連隊長の権限も縮小されたのだが、欧州の中でもイギリスだけは未だに多大な独自裁量権を所持している。
(官売制もその名残といえるか)
支度金で賄えない経費は連隊長が自腹を切っていたため、連隊を維持するには莫大な維持費が不可欠。
だからこそ、将校任命辞令を競り売りにかけて一番高い値を付けた者を任命する制度――官売制という制度が横行したのだ。
「付け加えると中隊の装備一式を此方で負担するという条件で、我が第1大隊第8中隊の軽歩兵としての運用を認可して頂いたのだ」
「……なるほど、そういうことで」
レイの言葉に、ハバードは頷き納得の表情を浮かべる。
「それに、たしかに中隊を軽歩兵として運用するのであれば、密集陣形を想定した〝回れ右〟などの訓練よりは、こちらの訓練の方が適していますか」
そう言って、レイと揃ってランニングをしている中隊の兵士達に視線を移した。
息切れで苦しそうな面々を見ながら、レイはこれからの事を考える。
(この軽歩兵中隊としての構想も、アルフォード家の財力で認めさせただけで、連隊長が元々軽歩兵の運用に後ろ向きである事実は変わらない)
もし仮に、中隊が大きな失態を犯せば、軽歩兵中隊としての運用は徒労に終わり立身出世の道も前途多難となるだろう。
「……そういった意味でも初陣が重要になってくるか」
小さく呟いて、レイは空を見上げる。
太陽の見えない曇り空が、先行きの見えない自身の心を暗示しているかのように思えた。