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パリ


 グレゴリオ歴 1790年 8月28日





 太陽が天頂を通過したころ。

 レイはパリの中心部である革命広場に佇んでいた。

 当初パリは、往路の休憩地点ではなかったのだが、歴史的転換点の舞台をこの目で見ておきたいと思い、御者に無理を言って立ち寄ったのだ。


「――ここが元ルイ15世広場か」


 前世の名残からすれば、コンコルド広場という名称の方が馴染み深いが――。


 この革命広場はルイ16世やマリー・アントワネットの処刑地として有名な後のコンコルド広場であった。

 現代ではひと際目立っていたあの柱――クレオパトラの針――も今は跡形もない。


 広場の一角では街人が集まり、拳を掲げ口々に叫んでいた。


「国民と国民の議会に、万歳!」

「愛国者とラファイエットに栄光あれ!」

「両世界の英雄よ!」


 革命の熱気にあてられているのか、異様な雰囲気だ。

 とてもではないが部外者の居場所はない。

 この場から離れようと、レイが踵を返した。


 直後に聞こえたのは、ひときわ大きい怒涛のような叫び声。


「フランス人の王、ルイ16世に栄光あれ!」

「自由の再興者!国王の鑑!」


 思わず足を止めた。


 そして数秒の沈黙の後、再び歩き出す。


 そうして今はまだ血塗られていない、後のコンコルド広場を後にした。





 大通りに出て、パリの街並みを眺める。

 道の両側には背の高い家屋が立ち並び、窓からは三色徽章の旗が靡いていた。

 道路の端には露店も出ている。

 露店の周囲には活気があり、フリジア帽をかぶっている人も少なくない。

 全国連盟祭は一ヶ月も前に終わった筈だが、革命というお祭りムードの雰囲気は完全に無くなっていないようだ。


 次にレイが目を向けたのは街ゆく人々。

 その中に、浮浪者が交じっているのが目についた。

 他の者も決して裕福とはいえない身なりの者が多かったが、その表情に暗さはない。

 誰もが世直しによって生活が豊かになる、と信じ切っている様子だ。





 ほどなくして、隣地区のテュイルリー宮殿前に辿り着く。

 茶色と灰色を基調とし、派手な装飾が見られないゴシック建築。

 レイが一目見た印象は、フランス国王の住居とは思えないほど地味だな、というものだった。


(しかし、考えてみればそれも無理もない話か)


 1683年にルイ14世がヴェルサイユ宮殿に移り住んで以来、このテュイルリー宮殿は管理不足で浮浪者が住み着いていたぐらいだ。

 そのような状態だったテュイルリー宮殿に再び国王が移ったのは、去年のヴェルサイユ行進以降。

 つまり、まだ一年少ししか経っていなかった。

 革命の真っ最中なこともあり、修復が精一杯で拡張する時間も財政的な余裕もなかったのだろう。


(何より比較対象で無意識に思い浮かんだのが、絢爛豪華の極致ともいうべきヴェルサイユ宮殿だったことも大きいか)


 朕は国家なり、という名言を残した太陽王ルイ14世の手で造営されたかの壮麗な宮殿は、当時ほかの国々の君主たちを羨ましがらせ、欧州各地に模倣した宮殿が建てられるようになったほどだ、といわれている。

 そんな絶対王政最盛期の象徴であるヴェルサイユ宮殿と、長らく放置され革命期に修復されたテュイルリー宮殿を比較すれば地味という評価に落ち着いても仕方ないものと思えた。



 歩みを再開し、レイはセーヌ川沿いに東に向かう。

 少し道を外れてると、裏路地の入り口にさしかかった。


 薄暗い狭い路地。

 崩れかかった壁際には、乞食と娼婦たちがもたれかかっていた。

 空を仰ぐと乾燥場でもあるのか、空中に洗濯物が干されている。

 視線を戻すと、娼婦の一人が声をかけてきた。


「お兄さん、気持ちよくしてやろうか?」


 最初、それを無視して表通りに引き返そうとする。

 が、僅かな逡巡と思考の後、レイは静かな口調であることを尋ねた。


「そういうのはいいが、時間があるなら去年のヴェルサイユ行進について聞かせて貰えないか?」

「ヴェルサイユ行進?あの十月の?」

「そうだ。もちろん金は払う」


 せっかくフランス革命期のパリを訪れたのだ。


(あの歴史的事件を当事者から聞ける貴重な機会というもの)


 妙齢の女はそっと目を細め、口端を吊り上げる。


「ヴェルサイユ行進、ね。あんた外国の人かい?」

「ああ」

「なら、アレが当初から計画されていたものだってことは知っているかい?」

「なんだって?」


 驚きを隠せぬ表情でレイが問い返す。


「あれは近衛兵が三色徽章を踏みつけたという偶発的な出来事によって、パリに住む人々の不満が爆発した結果ではないのか?」

「違う違う。もともと国王と国民議会をパリに迎えることで、パリの商業に活気を取り戻して飢えをしのごうと、裕福な商人ブルジョワジーが企てたのさ」

「裕福な商人ブルジョワジー、が……」

「だから、近衛が国民を侮辱した、という噂そのものは本当みたいだけど、仮にそれが嘘だったとしても近いうちに似たような噂は流れただろうね」


 女の嘲るような口ぶり。


「実際、近衛が侮辱したかどうかなんて、当時は誰も気にしていなかった」

「……そうか」

「ただ不満はいくらでもあったから、商人ブルジョワジーの手先以外にも私を含めた主婦や娼婦たちがパリ中の女を片っ端から掻き集めて不満の矛先をヴェルサイユに向けたんだよ。それに倣って何処からか太鼓や大砲を持ち出してきた男達と一緒に行進したのさ」


 肩を竦めた女が、淡々と続ける。


「それから夕方ごろにヴェルサイユ宮殿に辿り着いた私達は城門前で無秩序な混乱状態に陥っていたのだけど、遅れてきたラファイエットと他代表が国王と交渉してパンが配給されたんでね。その日はどうにか混乱状態から落ち着きを取り戻したわけ」


 この話が、ルイ16世がパンと麦をパリに届ける約束を表明した経緯になるのか――。


(国民衛兵隊司令官のラファイエットも伊達に両世界の英雄と称えられているわけでは無いようだな)


 ラファイエットはアメリカ独立戦争で義勇兵を率いて新大陸アメリカへ渡り、ヨークタウンの戦いで活躍した経歴とフランス革命という旧大陸ヨーロッパでの活躍によって、両大陸――両世界の英雄と称賛されていた。


「けれども日を跨いでまだ辺りが暗かったころに、富裕市民ブルジョワジーたちが計画の仕上げに取り掛かった」

「まさか、あの一件も!?」

「その通り。ヴェルサイユ宮殿に一部の群衆が乱入したのは、計画を企てた者達ブルジョワジーの手先が先導したんだ。もともと略奪目的だった奴らを率いてね」


 まるで世間話でもするような、女の口調。


「そのあとは近衛兵との衝突で双方に死人が出て、その一件を知り興奮状態になった群衆が富裕市民ブルジョワジーの手先に扇動されて大合唱を行ったんだ――国王はパリへ、て具合に」


 彼女の言葉を聞き流しながら、レイは考える。


(扇動者は、群衆の秘めたる想いを露呈さしたのか)


 フランス国民にとっても祖国の父である国王が、革命の中心地パリに居ない状況は歯がゆくて仕方なかったことだろう。


「その状況に堪らずバルコニーから出てきた国王は、この事態を収拾するには要求に応じるしかないと思って、パリに行くことを了承したのさ」

「……とても興味深い話だった」


 そう言って懐から、10リーブルを手渡す。

 最後にレイは、ずっと気になっていた疑問を口にする。


「ところで、その情報源は?」

「――ふふ、そんなこと娼婦にわざわざ聞くまでもないだろう?」


 ぺろりと下唇を舐め、女が妖しい色香の漂う笑みを浮かべたのだった。






 裏路地から引き返して、数十分後。


「ここが、あのバスティーユ要塞、か」


 目の前には、深い壕に囲まれた牢獄。

 革命前は土台の上に鎮座して、高くそびえていたであろう塔の姿も今は跡形もなく消えていた。

 現在は解体作業中のバスティーユ要塞。


(かつて王政を批判する政治犯が収容されたこのバスティーユは、まさに絶対王政の象徴そのもの、といえるだろうな)


 だからこそ革命政府からすれば、修復は疎か敢えて残す理由もなかったのだ。


「絶対王政の象徴も、こうなっては哀愁漂うものがある……」


 解体はすでに半分ほど進んでいる。


 ――もう実物を見る機会もないだろう。


 解体作業を眺めてしばらく――。

 レイはふと懐中時計を取り出した。


「……そろそろ時間か」


 懐中時計を見れば刻一刻と、乗車予定の駅馬車が出発する時刻に近付いている。

 レイは踵を返し、その場から立ち去った。




 パリを出発して一週間後の早朝。


 山麓の丘からストラスブールの市壁が見えてきた。

 街のすぐそばには南北において広大なライン河が流れている。

 この河を挟んで西にはヴォージュ山脈、東にはシュヴァルツヴァルトの山地がそびえ、そこからそれぞれ中央のライン河に向かって下りてくる形で、山麓ないし丘隆、平野そして湿地がほぼシンメトリックに並んでいた。

 欧州ヨーロッパにある多くの有力都市そうであったようにストラスブールもまた大河の恵みとともに成長したようだ。


 ほどなくして馬車が市壁を抜ける。

 街の中は、ライン河の支流が楕円形の中州をかたちづくり、中央にはゴシック様式の大聖堂がそびえ立っていた。

 その大聖堂カテドラルを囲むように都市門閥の邸宅が並んでいる。さらに周囲には商人や知識層の別宅も数多く見られる。

 街区は職種によって棲み分けられているようで、中洲内の北には毛皮製造人や仕立屋が、南の教区には漁師、船大工、水運業者など住んでいた。

 西には、日雇い労働者が数多く住み着き、日常生活に密接な業種は人口に比例して各教区にあまねく居住している。

 それらの建物は市壁により拡張を邪魔されているのか、狭い路地や軒の張り出し、小窓のいっぱいついた数階建ての建物が目立つ。

 しかし、それ以上に目立ったのが、復興しきれていない一部の焼け跡などだ。


 レイは馬車の椅子に背を預ける。


(こんな辺境の街でも大恐怖グランド・プール(革命による市民の武力蜂起)は免れなかったのか……)


 そんなことを考えつつ中州を超えて北に向かうと、ストラスブール士官学校に辿り着いた。

 士官学校は街の外れに広大な敷地を構え、ゴシック様式の校舎がその周りを囲んでいた。天に突きあげる尖塔が歴史と風格を感じさせる。

 ストラスブールは規模の割に大学や学校などが多い印象だ。


 この街は学術都市の側面もあるのだろうか――。


 周囲を見渡せば今日は日曜日であるからか通りには学生が少ない。

 その数少ない学生を注意深く観察すると、年齢層も幅広いようで下はレイと同じぐらいから、上は30に届いているような現役軍人と思わしき容貌の学生も見られた。


 門番に身分を提示して校門を抜ける。

 校内に足を踏み入れて数秒後、ふと歩みを止めた。


 ここが、俺にとっての新天地――。



 悠然と見下ろしてくる尖塔を見上げ、レイは期待に胸を膨らませながら、再び足を踏み出した。

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