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旅立ち

 

 グレゴリオ歴 1790年 7月22日




 いつもより遅いディナーを終えた、その日の夕刻。

 客間の中央に置かれたソファに、アルフォード家の兄弟全員が揃って座していた。

 レイの隣には、去年の夏にケンブリッジ大学に入学したロイが腰掛けている。

 すらりと高い背丈と涼しげな切れ目。

 歳は20を数え、すでに立派な青年になっていた。


「それでイザベラは、またバースから振られて戻ってきたのかい?」

「――兄さん」


 向かいのイザベラが不満げな顔を向けてくる。


「振られたのではなく振ってきたのです。誤解を招く言い方はやめてください」

「……去年も同じことを聞いた気がするな」


 イザベラの険しい視線に、ロイが肩を竦めてみせる。

 彼女は一昨年、去年とバースに向かったが、目に見える成果をあげることなく屋敷に戻ってきた。

 そして、その不名誉な記録は今年で三年連続に更新されている。


 不思議そうに首を傾げつつ、ティナが疑問の声を上げた。


「お相手が居ないわけでは無いのですよね?」

「当然よ。紳士どころか貴族のご子息からも熱烈な好意を示されたことが何度もあるぐらいだわ」


 イザベラがふふっと細い指で髪をかきあげた。

 何気ない仕草に、レイは一瞬ドキリとするが、その内心を誤魔化すように皮肉交じりの笑みを浮かべてそう告げる。


「まあ、姉さんは妻にしたくない美しい女性の典型ですからね。好意だけならいくらでも示されるでしょう」

「――ふ、あはははは!」


 数秒の間を置き、ロイが声を上げて笑う。


「たしかにイザベラの性格は、男性が敬遠してしまうところがあるかもな」


 正面からの剣呑な眼差しにも動じず、ロイが平然と問いかける。


「その言葉は何かの引用かい?」

「ええ。フランスの劇作家が似たようなことを――」


 刹那、周囲の空気が凍てついた。

 緊迫した空気がレイたちの間を流れる。

 そんな緩やかな沈黙をロイが破った。


「フランス、か……去年は大変な一年だったな」

「ロイ兄さんも、グランドツアーがもう少しずれていたら、大陸で混乱に巻き込まれていたかも知れません。そう考えると本当に幸運でした」

「ああ、神に感謝しなければ」


 しみじみとした口調でロイが呟き、周囲の皆に目を向けた。


「とはいえ、去年の7月から始まったフランスの革命も、10月の一件以来少しは落ち着きを取り戻したかな?」


 10月の一件とは、1789年10月5日から6日の間に起きたヴェルサイユ行進のことである。

 この事件はヴェルサイユ宮殿の近衛兵たちが宴会の席で三色徽章(革命の象徴)を踏みにじったことがきっかけだったが、革命勃発直後のパリではここ数年の凶作と政情不安で食品の価格が軒並み高騰していた背景を忘れてはならない。

 7000人ものパリの女性たちが、雨の中をヴェルサイユに行進したのも、ただでさえパンが買えない状況で厳しい冬の到来と収まる兆しの見えない混乱に主婦が危機感を募らせ、国王と議会にどうにかして貰おう思い至ったからだ。


 ロイの問いかけに、レイが答えを返す。


「パリに連行されたルイ16世に続いて、議会の方も移ってきましたからね。これを機にパリの革命派は革命に向けて大きく前進したのは間違いないでしょう」


 5日の夕方、ヴェルサイユ行進に従事した女性たちが大挙して国会の議会になだれ込み、議会たちにパリの困窮を訴えた。その結果、国会議長の仲立ちで女性たちの代表とルイ16世が会見し、パンと麦をパリに届ける約束をとりつけた。


 しかし、問題がその翌朝に起こる。

 一部の群衆がヴェルサイユ宮殿に乱入し宮殿守備隊と戦闘になり、双方に死傷者が出たのだ。

 興奮状態になった群衆は、国王をパリに連行する。

 それは彼女たちが反革命勢力から国民の父である国王を守るためと、その身柄があれば自分たちも安心だと考えた結果からだった。


 するとティナが明るい声を出した。


「それに今月の14日には連盟祭が行われ、そこでルイ16世とフランス国民が一緒になって新しいフランスを創ろう、という旨の宣言したことが昨日の新聞には書かれていました」

「このまま推移すれば、フランスも我が国の偉大なる革命(名誉革命)のように無血に近い形で絶対王政から立憲君主制に移行できるかも知れないな」

「きっとそうなりますよ」


 楽観的なロイの一言に、ティナも頷いて同意した。

 その二人の様子を尻目にイザベラがさらりと告げる。


「そう簡単に無血革命が成功するようなら、先人たちもわざわざ〝偉大なる〟革命なんて名づけないでしょうけどね」


 イザベラが言い放つと同時に――。

 ガチャっとドアが開いて、ヘンリーが入ってくる。

 そして、その場の全員に視線を巡らせ、レイの姿を捉えるとおもむろに声を上げた。


「レイ、ここにいたのか」

「父上、どうかしましたか?」

「話がある、皆レイを借りるぞ」


 そうさらりと告げて、ヘンリーは早々に立ち去る。

 レイも首を傾げつつ、そのあとを追った。





 書斎へと招かれ、定位置のソファに腰掛ける。

 ヘンリーも椅子に腰かけるとさっそく口を開いた。


「レイが希望していた士官学校の件だが――」

「ついに留学先が決まりましたか?」


 レイはこの数年で上流階級の子弟に相応しい知識と教養はもとより軍人として様々なスキルを習得した。

 それに伴って習得した技能のより実践的な確認と経歴の伯付けや個人的興味から数カ月前、欧州にある士官学校への入学をヘンリーに要望していたのだ。


「正式にストラスブール士官学校に決まった」

「ストラスブール、ですか……」


 呟きながら、レイは記憶を辿る。


(たしか、フランス北東部のライン河沿いにある街で、ドイツとフランスの国境線上に位置していたはずだ)


「現在はフランス領でしたね……しかし、ストラスブールですか……」

「お前が出来ればフランスの士官学校で学びたいと聞かなかったからな」


 呆れ顔を隠さないヘンリーは、どこか投げやりな声音で呟く。


「イングランドの陸軍士官学校があまりにお粗末でしたから」

「だからといって好き好んで革命期のフランスに行くこともないだろうに」

「どうせ留学するなら最先端の国で学びたいじゃないですか」


 ヘンリーが口を挟むより先に、レイは話を続ける。


「何よりこれから軍人になる人間が、政情不安とはいえ戦地ですらない国に渡航するのを躊躇するというのもおかしな話でしょう」


 もう何度目か分からない議論。


「はあ……これも今更な話だな」


 観念した様子のヘンリーは、ため息をひとつして話を戻す。


「それで、私があえてストラスブールを留学先に選んだ理由を知りたいのだな?」

「ええ。数多くあるフランスの士官学校からどうしてストラスブール士官学校を?」

「ストラスブールの独自性がイングランド人のお前に好都合だと思ったからだ」

「……独自性、ですか?」


 反芻するレイの言葉に、ヘンリーは頷き返してそう口にする。


「今からほんの100年ほど前、1681年にストラスブールはフランスに併合されるまで、およそ13世紀ごろからストラスブールはシュトラースブルクという自由都市だった」

「13世紀というと、1648年のウェストファリア条約より前ですか……」


 ウェストファリア条約は三十年戦争(1618~48年)の講和条約だ。

 この条約でドイツ約300の連邦はそれぞれ独立した連邦国家として認められ、神聖ローマ帝国がドイツ全土を支配する地位と権力を失い、ハプスブルク家はオーストリアなのど西方領地の経営に尽力するようになる。

 そのことから別名〝神聖ローマ帝国の死亡診断書〟ともいわれるほどだ。


 ヘンリーが首を縦に振ることで同意を示す。


「もっともウエストファリア条約がまとまる前からハプスブルク家のドイツ支配は弱く、連邦の独立性が強かったのは変わらないがな」


 中世から近世のドイツを日本の戦国時代に例えるなら、ハプスブルク家が足利家であり、連邦(諸侯)が守護、戦国大名だろうか――。

 少なくとも名目上の君主はハプスブルク家だが、連邦にも実質的な主権が与えられていた、という意味においては足利と大名の関係に相似している。


(まあ、何処まで行っても権威者でしかなかった足利と違い、ハプスブルグ家にはオーストリアというしっかりとした地盤が存在していたのが最大の違いだろう)


 いろいろと思考を巡らせているなか、ヘンリーが再び口を開いた。


「そして、シュトラースブルクという自由都市――否、シュトラースブルク共和国もそんな連邦の一つであった」

「シュトラースブルク共和国、ですか?」

「シュトラースブルクは外交権や造幣権をそなえ、独立した司法権まで持っていたのだ」


 なるほど、それは確かに都市というより国家だな――。


「それに1681年にシュトラースブルクがフランスに降伏し、フランス国王を君主と仰ぎストラスブールと呼ばれるようになってからも条件闘争には勝利することができ、農村部の領地や信仰の自由、共和制の諸制度などごく一部を除きそのまま維持されたのだぞ?」


 ほんの一年前まではな、とヘンリーが静かに言い添える。


 思わずレイは感嘆の息をこぼした。

 それは絶対王政国家のなかにある一種の特別行政区と言えよう。

 前世で例えるなら、香港が享受している一国二制度に類似しているか――。


「それでも降伏してストラスブールにはフランス軍が駐留することになったが、その影響でストラスブールの士官学校はドイツ式とは別にフランスという軍事大国の流れをも汲んでいる欧州でも稀有な場所となった」

「それは期待できそうですね」


 小さな都市がまがりなりにも独立を保っていたのだ。


(辺境といえど――いや、辺境だからこそ何度も戦争に巻き込まれたはず)


 その歴史から軍事的教訓の礎を築いていたことは容易に想像できる。


「少し話が逸れたな」


 ヘンリーが咳払いして仕切り直す。


「それらの特権もフランス革命により全て失ったが、たった一年でこれまでの自由都市として培ってきた独立独歩の気風までが失われるはずもない」


 一呼吸置いて、レイと視線を合わせる。


「その土地柄から街には多くのフランス的秩序を嫌うエリート層が移り住んでおり、仮に祖国と戦争になった場合でも反英感情から害されるという危険性も少ないだろう」

「そこまで考慮して下さったのですか。ご配慮に深く感謝します」

「出発は来月の15日を予定している」


 告げられた日付は思っていたより時間がない。


「今からでも少しずつ出発の準備に取り掛かるといいだろう」


 ヘンリーの助言に、レイが威勢よく頷いてその場を辞した。




 8月15日、早朝。

 あれから一か月後の旅立ちの日。

 その日はパラパラと雨が降っていた。

 屋敷の玄関前には二頭立て二輪カリクル馬車が停められている。

 見送りにはレイと面識のある面々が揃っていた。


「身体に気を付けるのですよ?」

「せいぜい励んでくるといい」


 エミリアとヘンリーが口火を切る。


「ありがとうございます。父上、母上」


 そうレイが応えると、続いてティナとイヴが口を開いた。


「レイ兄さん……」

「レイ様、お気をつけて」


 不安げな瞳の二人。


「二人ともそんなに心配するな、別に戦地に行くわけでもないのだから」


 二人の少女を安心させるように、レイは満面の笑みを浮かべてみせた。

 そこにイザベラが口を挟んでくる。


「これであなたの顔を見るのも最後だと思うとなんだか寂しものね」

「……いえ、二年ほどで帰ってきますからね?」


 悪戯っぽくイザベラが微笑んだ。


(遠まわしにもう帰ってこなくていいってか……)


 その相変わらずの様子に、レイは短く息を吐く。

 最後にロイが一歩前に出てきた。


「じゃあなレイ、元気で」

「兄さんも」


 それから、全員と抱きしめ合い馬車へと向かう。

 アルフォード家の使いで、御者を務める男と簡単な挨拶を交わしてから馬車に乗り込むと、少しして御者が〝出発します!〟と声をあげた。

 泥を踏む音がした直後ゴトン、と馬車が揺れる。


 窓を開け、頭を外に出す。


 屋敷の玄関前ではみんなが手を振っていた。

 レイも右手を大きく振ることで応える。


「――いってきます」


 馬車はサウサンプトンの港に向けて速度を上げる。



 グレゴリオ歴1790年8月15日、レイ・アルフォードは欧州の大陸を目指して旅立った。


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