フランス革命
グレゴリオ歴 1789年 7月20日
「遂に、というべきか……」
思わずといった様子で唸り、ヘンリーが新聞から顔を離す。
書斎の外は季節が夏という事もあり、午後の7時を回っても陽日が燦燦と輝いていた。
レイと執務机を挟んで反対側に座るヘンリーは新聞を強く握り締める。
「バスチィーユが陥落した」
そう言って、ヘンリーが新聞をこちらに差し出す。
「夢の中ではバスティーユ襲撃が世界史的大転換期と称される大革命の本格的火蓋を切った日として後世に伝わっていました」
受け取った新聞には、7月14日の正午ごろに民兵隊を中心とした数万を越える群衆がバスチィーユ要塞を襲撃した、という旨の記事が記載されていた。
「……この世界でもそう語り継がれることでしょう」
新聞を一目見たレイが思い詰めた表情でそう告げる。
「しかし正直なところ、私には大革命の始まりと称されるほどにバスチィーユ要塞が大きな政治的価値を持っているとは思えないのだが……」
対照的に、どこか腑に落ちない様子のヘンリーが疑問を口にした。
「父上の言いたいことも分かります」
もともとバスティーユ要塞は、14世紀パリの東の国境であった場所に、首都防衛のため構築されたものだ。
しかし、その後少しずつパリが大きくなっていき、東の境界線がずっと先のほうに移動してしまうと市街地に取り込まれたバスティーユ要塞は首都防衛という軍事機能を失い、主として政治犯を収容する監獄として利用されるようになる。
「バスティーユ要塞に大物の政治犯でも入っていれば政治的影響も違うのだろうが……新聞には政治犯のことなど何も書かれていない」
「実際に、政治犯など存在しなかったようですしね」
前世の記録では、7月14日に収監されていた七人の囚人がバスティーユ陥落とともに解放され、民衆の歓呼の中を凱旋進行したが、その中に政治犯など一人もいなかったらしい。
「では軍事的価値も政治的価値もないそれほどないバスティーユ要塞が、なぜ大革命の端緒と呼ばれるほどの価値を持ったのだ?」
「そうですね……」
レイは僅かに逡巡し、答えを口にした。
「例えるなら、バスティーユ陥落前のフランスはなみなみと水を注ぎ込まれたコップのような状態だった、とでも言うべきでしょうか」
「どういう意味だ?」
「民衆の不満はすでに絶頂に達していて、あとはほんの少しのきっかけさえあれば――先ほどのコップで例えるなら一滴の水滴やコップに少しの衝撃でも加えれば、たちまち水が零れる落ちるように――わざわざ水を零すのにもう一杯分の水を注ぐ必要はないのと同じということです」
「つまり民衆に希望を与えるだけのきっかけであれば、要は何でも良かったのか」
ヘンリーの一言に、レイは頷いて同意する。
「バスティーユ要塞であることが重要なのではなく〝国家が管理する施設〟であったことが重要だったのでしょう」
1789年7月14日。フランスの革命的気運はすでに醸成されていた。
そのようなタイミングでのバスティーユ陥落のニュース。
バスティーユがかつて政治犯を収容していた恐るべき監獄だったという記憶は人々の脳裏に強く焼き付いていたし、なんといってもバスティーユ要塞は国家の監獄だ。
それを民衆が攻め落としたという事実は、数々の悪弊に苦しめられていた人々にこの上ないインパクトと世直しは可能だという希望を与えたことだろう。
「革命……それほどまでにフランスの民衆は追い詰められていたのか……」
「確かに、民衆がここ数年の食糧不足や貴族の圧政に苦しめられていたのは間違いありません。ですが――」
深呼吸をひとつして、レイはヘンリーに向き直った。
「それだけなら、暴動で終わっていたことでしょう」
「というと?」
「革命には思想的武器が必要不可欠です」
「――思想的武器、か」
反芻するように呟くヘンリーに、レイが答えを返す。
「そして、革命家たちが選んだ思想こそ啓蒙思想ですよ」
フランス革命で謳われた〝自由と平等〟の思想も啓蒙主義から導き出されものだ。
「新大陸の反乱――いえ、あえてアメリカ独立革命といいましょうか――あの独立戦争でも啓蒙思想が大きく影響しているのは、独立宣言の結語を一目見るだけも理解できるでしょう」
文書にある結語の三部、その中でも〝全ての人間は平等に造られている〟と唱え、不可侵、不可譲の自然権として〝生命、自由、幸福の追求〟の権利を掲げた前文は、啓蒙思想の流れを汲んだものに他ならない。
(その独立戦争でアメリカを最も積極的に支援していたフランスが、欧州でも一番にアメリカ独立の余波を受けて転覆したというのは、皮肉もここに極まれり、とでもいえようか)
そんなことを頭の片隅で考えながら、レイはふいにそう切り出した。
「ともあれ、こうして革命が始まりましたし、頭を整理するためにもバスティーユ襲撃までの流れを辿りながらフランス革命のおさらいでもしましょうか」
そう言うと、ヘンリーの顔を見つめる。
「まず、フランス革命の直接的引き金となったのが国家財政の破綻であることは誰の目から見ても明白です」
「フレンチ・インディアン戦争の敗戦で大事な市場である植民地の多くを失い、ラキ火山噴火の影響で農業基盤が壊滅、止めに独立戦争の様々な支援による戦費……これだけ立て続けに負担がかかれば、財政が破綻しないほうがおかしいだろう」
至極当然というようなヘンリーの言葉に、レイは頷きを返す。
「そして問題は財政だけでなく旧体制の社会的枠組み自体にも歪みが生じていました」
資本主義の勃興で経済的にも政治的にも力を蓄え、事業を営む富裕市民からすれば、多くの土地が教会と修道院、貴族に握られ国内関税で自由な流通が妨げられる状況は極めて不都合だったのだ。
「フランス国王のルイ16世もフランスが財政の立て直し図るためには、何はともあれ旧体制の社会的枠組みを改善する他ない、と考えていたことは一昨年と去年にヴェルサイユで開催された名士会からも伺い知れます」
1787年、ルイ16世が財務総監カロンヌと協議を重ねた結果、およそ160年ぶりとなる名士会が招集される。
この会議は、貴族と僧侶の免税特権を廃止し、全ての土地から上がる収益に同一基準の税をかけようという地租の承認を得るためであった。
「名士会メンバーのほとんどはルイ16世と側近が選任した貴族たちでした。だからこそ、当初ルイ16世も提案が受け入れられるものだと思っていたのでしょう」
だがそれは、特権階級の持つ利己心と特権意識の見込みが甘かったと言わざるを得ない。
「ですが、貴族たちは当然のごとく免税特権にしがみつき、政策は立ち往生することになりました」
「去年の名士会では、財務総監がカロンヌ卿からブリエンヌ卿に引き継がれたが、結局状況を打開できなかったのは変わらなかったな」
どこか記憶を辿るような横顔を見せて、ヘンリーが補足する。
こうして革命への賛同が得られないまま名士会は解散された。
「そのあと貴族たちは、財政問題という議題は三部会において討議されるべきものだと主張し始めました」
三部会とは、三つの身分代表――第一身分(聖職者)第二身分(貴族)第三身分(平民)――が参加する国民と国王の協議機関だ。
しかし三部会は、王権が強化され王政がうまくいっている間は国民に相談する必要がなかったので1614年を最後に開かれることはなかった。
「……貴族たちは王権に対して自分たちの権限を回復する好機と捉えたのだろう」
ヘンリーの呟きに、レイも頷くことで同意を示す。
しかし、貴族の思惑がそうだと知らない第三身分(平民)の人々は貴族が絶対王政の悪弊是正の先頭に立ってくれているかのように錯覚していた。
「そうした貴族の抵抗によって結果的に革命的雰囲気が醸し出されることになりました」
貴族たちは、気付かぬうちに自ら処刑台に登ったのだ。
「こうして今年の5月5日に約170年ぶりの三部会が開催されましたが、それも順調な開催とはとても言えないものでしたね」
頭の中でレイは当時を思い返すように言葉を続ける。
「ルイ16世は当初、1614年と同じく三身分同数としたいようでしたが、人口比から非合理だと不満が噴出し妥協を余儀なくされました」
結果、議席は第一身分(聖職者)と第二身分(貴族)が300名に対し、第三身分(平民)の定員が当初の倍増である600名とされた。
「次に紛糾したのが採決方法に関してでしたか」
「それも当然だろう」
淡々と紡がれたレイの一言に、ヘンリーが相槌を打つ。
「身分ごとの投票なら2対1で特権階級の意見が、頭数の投票なら第三身分以外に存在する啓蒙思想主義者が同調して第三身分の意見が通ることになるのだからな」
「とはいえ、すでに啓蒙思想に目覚めていた第三身分が〝自分たちこそ国民の代表〟という想いを胸に抱き断固たる姿勢で臨んだのは当然のなりゆきだったのでしょう」
第三身分(平民)が権力に目覚めれば、ほんの一握りの特権階級が大多数の平民を支配する体制など長続きするはずがなかった。
「第三身分は個別身分の議会構成を拒絶し、6月17日には独立する動きを見せました」
「我が国に倣って、庶民院と称したのだったか」
けれども、それは王国側にとって望んでいた事態ではなかったのだ。
「ルイ16世は改修工事を口実にして、第三身分が会議を開いていた部屋を閉鎖させる対応に出たようだったが――」
「そこで第三身分(平民)の議員たちは引き下がらず、急遽、室内球技場に場所を変えて憲法制定まで解散しないことを誓ったのでしたね」
それが前世でも有名だった6月20日の球技場の誓いである。
「王国側はこれまでの伝統同様に部会別の討議と採決にしたかったのか、6月23日に国王臨時の合同会議を開き、僧侶、貴族、平民の代表者を一堂に集め自分の考えを伝えたらしいが……」
思案顔で呟かれたヘンリーの言葉をレイが引き継ぐ。
「――部会別の討議と採決を認めなければ、三部会の解散もあり得るという軍隊をチラつかせた脅しにも第三身分(平民)の代表は膝を屈しませんでしたね。むしろその毅然とした態度に第一身分と第二身分の一部にも同調者が現れ、遂にルイ16世も追認せざるを得ない状況に陥るという逆効果でしかありませんでした」
こうした経緯で、フランスにも21世紀にあったような民主的な国会が誕生したのだ。
「バスティーユ襲撃は、7月12日に第三身分出身で民衆に人気のあった財務総監ネッケルを罷免したことが直接的なきっかけでしたが、その裏にネッケル罷免に続いてやっと民意の反映される誕生したばかりの国会を国王(もしくはマリー・アントワネット一派)に解散されるのではないかという恐怖心があったのも否定できない事実でしょう」
そこまで言い終えると、レイは目線を窓の外に流す。
あれだけ高々と昇っていた真夏の太陽も既に大きく西に傾き、大地が茜色に染まりつつあった。
もうすぐ日が暮れか――。
真夏には16時間にも及ぶイギリスの日長。
――しかし、それでも必ず日没は訪れる。
革命の狼煙がかつて栄華を極めたフランスの斜陽を明らかにしていた。
バスティーユ〝要塞〟に違和感を抱いた方もいるかも知れませんが、分かりやすさを優先しました。
マスケット銃とウィルトシャー州なども同様です。