悪役令嬢もの短編
はっ、と気づいたら乙女ゲームの世界でした。
なんて今時、平凡な日々を過ごしてきた日本育ちの平和主義者こそ選定基準なのではないかと疑うほどに、満ち満ち溢れたこの時代(なんの話かって? 画面の向こうの話だよ)。
パーソナルスペースに正面切って接近されたらまぶたを閉じる意識高い系の逞しいヒロインもいれば、死亡フラグ大盤振る舞いの当て馬婚約者なんぞになってしまい、愛と平和の名の下にフラグ破壊無双なサバイバル悪役令嬢だったりと、みな中々に楽しそうである。
――――なんて思ってた自分を上下から同じ圧をかけて、潰してやりたい。
かのシャーロックホームズさながら推察するに、この手モデルでも目指しとんのかと突っ込みたくなる白魚のような手。そしてお魚よろしく腹掻っ捌いて内臓と浮袋を取り出そうとしている現場のような切れ込みと赤。
どうやっても全然届きそうにない場所で目を見開いている、千年に一度の奇跡を体現したド美少女と、どこからどう頑張ってみても捌いているのは自身から伸びるもう片方の手という現状。
――ふむ。この二重の記憶から華麗なる推察をするに、これは前世の記憶というやつだろう、得てしてこのような現場にはなにかキッカケがあるものだが……
――勿論、私にはすべて検討がついている。
「痛って」
白魚の腹に包丁を入れるような、はたまた白いキャンパスに赤を跳ねたような、もうひとこえ雲の隙間から虹彩の光が差し込むような――――距離20センチで披露されているコレ、カッターキャー事変である。
キャアア! となんと叫び声まで可愛らしい少女(ねぇその高い声どうやったらでるの?)は何を隠そう天使のヒロイン様である。あれ? カッターキャーのキャーって私が声上げるんだったよね? そんな私はびっくりしすぎて冷静に感想を言ってしまっただけである。
余談であるがとある界隈のカッターキャー事変のライバルは初見ではなかなか信用が得難い容姿、商業になると割合お蝶夫人なのはなんなのか。あっ、あれかな? パラレルワールドならライバルポジじゃなくてお友達ポジも兼用できるからかな? あら私ってば便利な美人!
話は目の前の大問題に戻る。彼女のキャーにより、盗撮でもしてたのかと疑いたくなるほどに素早い男たちを背に迎える。とりあえずめちゃくちゃ痛かったので気前良く切れた切口を抑えようとして、まだカッターを手放していなかった右手が更に近づく。あ、やべ刺さるじゃんと思ったところで天使ちゃん(もう天使ちゃんに昇格である)がそれに驚いて私の手をはたいた。
「何してるの?! 死んじゃうじゃない!!」
「あ、いや、間違った」
「間違って!? こんなに深く!??」
いやいや一回目ではなく。
わらわらと寄ってくる2、3人の男子学生が驚いて私の捌かれた白魚を見る。ああ、えっと、たしか当初の予定では「天使ちゃんが…いきなり…!」となる予定だったらしいが、内心「……え? 血出すぎじゃね?」とガクブルしている私にそんな根性があったなら将来ハリウッドのレッドカーペットを歩ける。
何故なら血が苦手だからだ。痛いのも嫌いだし箸より重いものも持ちたくない。何て作戦を決行してくれてるんだこの女。人を呪わば穴二つどころか穴ぼっこぼこじゃないか。
私の手を押さえている涙目の天使ちゃんの手が震えている。さすがの天使ちゃんもこんなに血が出ている現場は初めてだろう、推理漫画の主人公周辺は特殊な星の元に生まれすぎである。天使ちゃんはパクパク口を動かして、言葉にならないほど焦っているものだと思ったが、どうやら私の耳が遠くなっているらしい。次第に視界が黒く縁取られ、死の恐怖に成す術も無く意識を手放した。
――さっき見た男子学生……乙女ゲームの攻略者たちに酷似した連中は、天使ちゃんの学校の生徒会長、書記、クラスのお隣さんである。どいつもこいつもタイプの違う美形で、お前らなんで都合よく近くに居たんだよとは恐ろしくて聞けない。そして生徒会長貴様本当に日本人かと突っ込みたくなったが、同じような自身の容姿を思い出して閉口した。
元の私は身分にペケが二つもついている割と波瀾万丈な人生を送っていた、れっきとした大人である。学生時代は学校が世界の全てという言い分は分かるが、いかんせん社会に出た後の方が強烈だったので今更共感は出来そうにもなかった。
消えた訳ではない。私という人間は、病的なほどにおだてに弱く、気の強い見た目に反して承認欲求と自意識の塊のような中身をしていた。こっちの方向にキャラ濃い人間は聞くも絶えない壮絶な過去を持っているが、私も例に漏れずである。なにこれツラ。
何を隠そう、実はこの乙女ゲーム、チラとしか知らないのである。タイトルも思い出せない。動画サイトの実況を一度流し見したくらいの認知度で、現状把握は私の生きてきた歴史のみ。冷静に思い出しても私は中ボスで、私をけしかけたラスボスの悪役令嬢は生徒会長ファンクラブ副会長である。なんと会長は私で、目を覚ましたら「かいさーん!」と雄叫びたいくらいには恥ずべき黒歴史。そもそも実況を見たのもヒロインである天使ちゃんのキャラデザがストライクに可愛かったからに他ならない。
意識の浮上と同じくして、まぶたを薄く開く。左手を掴むのは何を隠そう絶賛噂中の天使ちゃん。祈りを捧げる私の左手に額をつけて、光の粒が収束、霧散するのを見届ける。引いた左手の痛みと同時に頭を上げた天使ちゃんは、私とばっちり目が合うと盛大に焦り始めた。
えっと、そのあの……! と言い訳を探す天使ちゃんのかわいいことかわいいこと。かわいい子に会ったことはあるが、本気可愛い度が100%になるとまるで視線が逃れられない。街に出たらモーゼを作ってそのスペースにレッドカーペットを敷かれているかのような錯覚さえする。即席ハリウッドか。
はぁ~かわいい~というおっさん思考はあれど、心は非常に落ち着いていた。強くてニューゲームとは憧れたこともあったが、今やなんのアドバンテージも無駄である。私は波瀾万丈を乗りこなし生き残った、自分の経験を信じているのだ。
「その……今のは、あなたに影響は……?」
付け焼き刃の漫画知識になるが、普通他人の治癒は制約がつく場合が多い。例えば命を削ったり、自分が代わりに負ったりだ。一瞬驚いた顔をした天使ちゃんは、緩やかに頭を振って否定をした。
ならいい。ならいいのだ。もし何かあったなら、私は自責の念に駆られて今度こそ心臓を刺しかねない。
それから少し質問を受けて、言葉を返していく。どうやら彼女は何かの真実を探しているようだった。私には見えない何かとアイコンタクトをしているようにも見え、なるほどそういう系だったかと納得する。
「少し……提案があるのだけれど」
この天使ちゃん、中身まで天使とはもうエンジェルちゃんとでも呼ぼうかしら。会話の端からどうやら嫌がらせを(私ではない)受けているらしいエンジェルちゃんに、私が表立って嫌がらせをしているフリをすれば少しは収まるのでは。と提案する。
そうして私は次の日から、彼女をお昼休み毎におおっぴらに呼び出し、空き教室で重箱弁当を楽しく食べる青春を過ごすこととなった。