別れ際に降る雪は、この恋のように淡く儚い
――この恋が報われない事は最初から分かっていた。
「いけないんだー」
そう言って、いつもと変わらない笑顔で柚希さんは僕の頬をつついた。
「やめろって」
本当は嬉しい癖に、恥ずかしくて拗ねたフリをしてしまう。これが最後なのに、たぶんもう会えないのに、僕はまだ素直になれない。
それでもこうして、やるべき事を放り出して平日の真昼間に見送りに来ているのだから、僕の気持ちがバレていないはずがない。でも柚希さんはやっぱりいつも通りの笑顔で、僕はその表情一つ変えさせる事さえ出来ないままだ。
時計をチラリと見れば、残された時間はあと僅か。もうすぐ電車がやって来て、柚希さんを連れ去って行ってしまう。
柚希さんと過ごす最後の時間。もう決して訪れる事のないこの時に、僕も結局いつも通り。ずっと好きだった事を伝えたくて、でも伝えたらダメな気がして。最後にどんな言葉を伝えたらいいのか分からないまま。今更どうしようもないのに、最後の最後まで揺れている。
色んな想いが混ざり合ってぐちゃぐちゃになった僕の気持ちは、頭上に広がる曇天のように重くて暗い。
大切な事は何一つ伝えられないまま、遠くに電車が見えてしまった。呆然とそれを眺める僕の横で、柚希さんの透き通った声が聞こえた。
「あっ、雪」
声に釣られる様に見上げた空からは、この辺りでは滅多に降らない雪が舞い降りて来ていた。柔らかな風に吹かれて舞う真っ白い雪は幻想的で、まるで柚希さんの旅立ちを祝福しているかのようでさえあった。
鈍い音を響かせて駅へと滑り込んで来た電車がゆっくりと停まり、独特の音と共に扉が開いた。
「じゃあ、行くね」
風で乱れた髪を耳にかけた後で、柚希さんは足元の荷物を持ち上げた。まるでスローモーションのように見えたその動作が、僕の焦りを大きくした。
「あの!」
気付けば叫んでいた。
柚希さんはゆっくりと振り返り、いつもの笑顔で首を傾げた。
「なぁに?」
「あの……柚希さん」
「こら! 名前で呼んじゃダメって言ってるじゃない。最後くらい先生って呼んでよ」
「……分かったよ。先生」
「うん。何かな?」
「あの、遅くなっちゃったけど……結婚、おめでとう!」
本当は分かっていたんだ。
柚希さんに伝えるべき言葉が何なのかを。
ただそれを伝えてしまったら、何もかも終わってしまうような気がして、怖くて言い出せなかった。でもようやく言葉にする事が出来た。
「ありがとう」
そう言って幸せそうに微笑む柚希さんは、やっぱりいつも通り。中学生の僕なんか眼中にある訳がない。喉まで出掛っていた告白の言葉を飲み込んで、僕は精一杯の笑顔を作って見せた。
「お幸せに」
言い終わると同時に扉が閉まった。これでもう、触れ合う事も出来なければ声も届かない。流れそうになる涙を必死に堪えて、柚希さんに向けて手を振った。
『元気でね』
扉の向こう、走り出す電車の中で柚希さんの口がそう動いた気がした。
「好きでした……大好きでした!」
走り去って行く電車を見ながら、伝える事をやめた気持ちを吐き出した。地面へと舞い落ちて消えていく、積もる事のない雪は、決して叶う事のないこの恋のように淡く儚い。