文化祭開幕
文化祭とはそれぞれの学校によって内容が大きく異なる。
例えば農業高校は野菜や加工品を売ったりなど収穫祭の意味合いを含めた文化祭が多い。男子校や女子校などでもそれぞれのノリというものが存在するだろう。
そして、これは我が聖唱も例外ではない。
「文化祭、はじめるよー」
そんな気の抜けるような文化祭スタートの合図。
まあ、これは全国を探せば一つの学校ぐらいはやっているかもしれない。しかし、合図と共に現在繰り広げられている光景はここでしか見ることができないだろう。
会場は万単位での収容が可能なコンサートホール、前方に広がるステージ中央に立つ会長。そして、会長の後ろに鎮座する多種多様の楽器を持った二百人を超えるオーケストラ。
オーケストラが生み出す音の波は俺達の心を大きく揺さぶってくれる。小刻みに揺れる俺達の体は、自分の奥底からこみ上げてくる何かを必死に抑えているようだ。
多くある席の前の方に座る三千人の生徒達は羨ましそうにステージの上を見つめる。それもそのはず、現在ステージ上で俺達の心を躍らせるほどの演奏をしているのは、自分達と同じ聖唱の生徒なのだから。
オーケストラが奏でているのは、運動会の徒競走でおなじみの曲だ。
その誰もが知っているフレーズに入る前、俺の座っている場所など知らないはずの会長と目が合う。会長の顔を見た瞬間、俺の中で何かが弾けた。
もう我慢できねぇ!
俺は椅子の下に置いていた楽器ケースの中からトランペットを取り出し力強く吹き始める。
それを皮切りに次々に生徒が楽器を取り出し音を奏で始めていく。金管楽器、木管楽器、どこから持ってきたのかティンパニなどの打楽器を叩いている者もいる。
そして、演奏が終わるころには全校生徒三千人が一つの音楽を奏でていた。
これが聖唱文化祭名物、三千人のフラッシュモブ・オープニングアクトだ。このような光景が毎年見ることができる。
しかし、このフラッシュモブは誰かが企画したり、呼びかけを行っているわけではない。完全なる飛び入りなのだ。
ここに集まる生徒全員が誰よりも音楽が好きだと思っている。だからこそ、音楽を奏でたいという気持ちが前に出てこのようなことが起きるのだ。まあ、最初に演奏していた二百人が自分達と同じ聖唱の生徒だということも関係しているだろうが。
「今年も楽斗が最初だったな」
俺が楽器を収め席に座ると、隣の席に座っていた雅人が話しかけてくる。
「今年は我慢できると思ったんだけどな。会長の煽るような顔で一気に弾けた」
「はは!確かにあの顔は楽斗なら我慢できないよな」
あの時の会長の顔は本当に効果的だった。
まるで『あー楽しい!あれ?楽斗君は見てるだけなのー?かわいそー』と言っているようなゲスい顔をしていた。あんな顔をされては俺も黙ってみていることなどできない。
実は、去年も一番に飛び入りしたのは俺だった。その時は純粋に我慢できなくなっただけだが。
そうこうしている間に開会行事も終了し、来場者からホールを退出していく。
「楽斗はコンテストには出ないんだろ?暇だな」
ホールから退出しながら雅人が話しかけてくる。
「そうだな。まあ、いろいろ回ってみることにするよ。一日じゃ回れるかわかんないけどな」
「確かにそれは言えてるかも」
雅人の言う通り、今回はコンテストに出場しない為、文化祭中暇だ。
しかし、コンテストに出場しないからと言って文化祭を楽しめないわけではない。多くの出店も出ているし、クラスや選択科目の発表もある。校内を回るだけでも一日は楽しめるだろう。
「じゃあ俺は楽器系コンテストの準備があるから。選抜合唱には遅れるなよー」
「了解。頑張れよ」
「おう!」
雅人は元気よく返事をすると手を振りながら走っていった。
そういえば、先程雅人も言っていたが、俺も無事選抜合唱に参加することができるようになった。
理事会もぎりぎりまで渋っていたが、会長の『楽斗君を選ばないなら私も辞退しまーす』という一言で俺の参加を認めたらしい。
生徒会長が選抜合唱に参加しないとなると、前代未聞の大事件となる。理事会も認めざるを得なかったようだ。
それはそうと、ホールを出た瞬間から多くの視線が俺の方を向いている。
俺がMSLを始めていろいろなことが起こったが、その出来事が俺の生活に少し変化をもたらした。アッキーに宣戦布告したラクというプレイヤーが俺だという噂が校内に広まっているのだ。
これまでMSL内では多くの目立つ行動を行ってきた。それがついに聖唱の生徒の目に入ったのだろう。いや、正確には耳にか。
まあ、こうなることは宣戦布告をした時から見当はついていたし、別に気にはしていない。むしろこうなるのが遅いと感じるくらいだ。
しかし、おもわぬ誤算もあった。
「お、楽斗ー!アッキー討伐頑張れよ!」
そう、俺を支持する声が思ったより多いのだ。
確かにアッキーは人気である。中には男性のファンも多く存在している程に万人受けしている。それは、アッキーが容姿だけで人気を得ているわけではないということだ。
多くの男性ファンを寄せ付ける大きな理由としては、その歌唱力だろう。生で聴いたことはないが、ライブ映像を見た限りでは、口パクやかぶせなどをしなくても充分以上の歌唱力だった。それは同性でさえも引き付けるほどに。
しかし、それでも多くのアンチがいることも現実だ。
彼の歌い方は、俗にいう自己陶酔型。自分の世界に入り、それに酔いしれながら歌う彼の姿は見る人をも引き込んでしまう。しかし、その歌唱法を全員が肯定するわけではない。これは全ての歌唱法にも言えることだが、自己陶酔型はそれが極端である。
自己に酔いしれている姿をハッキリ言って気持ち悪いと思う人間もいる。その他のマイナスイメージを持っている人間も多いだろう。
多種多様な音楽性を持つ聖唱の生徒はそれが如実に表れる。自分の音楽に自信を持っている彼等、彼女等だからこそ認められない部分もあるのだろう。
まあ、これも一種の自己陶酔かもしれないが……。
「おう。サンキューな」
「あのいけすかねえ野郎を一発ぎゃふんと言わせてくれ!クソイケメン野郎なんかに負けんな!」
「おう!まかせろ!あんな奴には負けねえよ!」
とまあ、俺と同様に彼の容姿や行動を嫌う者も多く存在することも確かだが。
雅人から聞いた話によると、一部の男子の間ではヒーロー的ポジションとして崇められているらしい。動機の大半が嫉妬とはいえ悪い気はしない。
そのこともあり、俺も明確な否定をしていない。
「……ん?」
人々の視線が少し落ち着いてきたころ、制服の裾を弱い力で引かれる。
そこには中学生くらいの少年が立っていた。
「君は?」
「お兄さんが有音楽斗さん?」
「えっと、そうだけど」
俺の名前を知っていることから知り合いかと思ったが、記憶のどこを探しても思い当たるものがない。少年が一方的に俺を知っているだけだろうか。
「僕は滝影斗(たきえいと)っていいます」
「……っ!もしかして……」
「はい、滝晶(たきあきら)の弟です。兄が迷惑をかけているようで」
滝。俺はその名字を知っている。
滝と言えば有名な音楽家の名字だが、現在の日本ではそれとは別口の滝が存在する。滝晶という名前を知らない若者はいないと言っても過言ではない程だ。
勿論、現在俺と対立しているアッキー本人である。
「あなたがラクさんなんですよね」
「……そうだったら?」
「別にどうもしませんよ?僕は兄のことなんてどうでもいいんで」
少年らしい幼い笑みを浮かべながら影斗はそう吐き捨てる。
では何故この子は俺に近づいたのだろうか。兄と絶賛対立している俺に。
「でも、一つお願いがあるんです」
「……なんだ?」
「僕をあなたの国へ入れてほしいんです」
「は?」
俺は思わず間抜けな声を発してしまう。
この子は何を言っているのだろう。何故、自分から兄と対立する道を選ぶのだろうか。
「僕、有音さんの大ファンなんです!去年の文化祭もそうですし、その他のコンクールでも何度か見たことがあって!格好良いな、あんな風に音楽を心の底から楽しんでみたいって思っていたんです!」
早口で捲し立てる影斗の目はキラキラと輝いていて、どことなくリンネを思わせる部分が存在した。
「でもな……。俺は君の兄貴と対立してるんだぞ?」
「さっきも言いましたけど、僕は兄のことなんてどうでもいいんです。ただ有音さんについていきたい、それだけなんです!」
彼は俺から目をそらさず真っすぐな思いを伝えてくれる。
これ程までに熱い思いをぶつけられたら応えないわけにもいかない。俺だって尊敬してくれることに関して悪い気はしないし、むしろ嬉しいくらいだ。
それに、彼は本気で音楽を愛し、楽しもうとしている。そんな子に俺が心配しているような人物がいるわけない。
ならば答えは決まっている。
「わかった。君の所属を許可する」
「ありがとうございます!」
正直、この子がどれだけの音楽を奏でられるのかはわからない。
だが、できないのならばできるように導いてやればいい。
それができてこそ本物の天才だ。




