束の間の休息
毎年のごとく日本列島に訪れる前線さんのおかげで降り続いていた雨もなりを潜め始めた頃、我が聖唱音楽高等学校では文化祭の準備が始まっていた。
MSL内でいろいろあったため、すっかり文化祭のことを忘れてしまっていた。
毎年この時期に行われる聖唱の文化祭は、保護者、卒業生は勿論、多くの音楽関係者が訪れる。音楽関係者の中にはこの文化祭という場を使って有能な人材の発掘を行っている者もいる。
その為、この文化祭にかける生徒も少なくはない。
学校側もコンテスト系の企画を多く用意したりと生徒のサポートに積極的だ。実際、この文化祭がきっかけでデビューした生徒も多く存在している。
とまあ、そう他人事のように言っている俺も例外ではないわけで、去年の文化祭は大変だった。
ただでさえ、音楽高等学校最高峰の聖唱に特待生で入学しているのに加えて、天才とまで称されれば多くの音楽関係者が押しかけてくるのは目に見えていた。その予想を遥かに上回る量の関係者が押しかけてきたのは流石に驚いたが。
やっぱ、五つあったコンテストのうち三つを獲ったのが悪かったのかねぇ……。
「ラク?聞いているのか?」
そこで俺の思考が綺麗な声によって断ち切られる。
「……なんだっけ?」
「……はぁ。ラク、お前はもう国主なんだぞ?もう少ししっかりしてくれ」
俺の思考を断ち切った綺麗な声の持ち主であるソラネは呆れたように溜息を吐く。
そう、ソラネとの勝負に勝った俺は晴れて国主となった。
合併した領土の守護者にソラネを置いたことで、半分近くの人々が残留し、俺の国は一気に大国と呼べるほどに膨れ上がった。
俺が一番危惧していた仕事の増加に関しては、ソラネに増えた領土を管理してもらっている為そこまで増加することはなかった。もともとソラネを支えていた人物達も残留したことにより、ソラネの負担もそれほどではないらしい。
そのようなこともあって、増加した仕事としては、こうして定期的にソラネの報告を受ければ良いだけとなった。
「こちらの領民から寄せられた要望などをマネージャーがまとめてくれた。目を通してほしいという話だ」
「ああ、そうだった。でもなぁ、こいつらの要望って俺じゃどうもできないんだよなぁ……」
俺はソラネから送られてきたファイルを眺めながら呟く。
もっとソラネのグッズを増やせとか、コンサートをしてくれとか、そういうのはレコード会社に言えっての!俺に言われてもどうしようもねぇよ!
俺達のような素人がコンサートをするくらいならどうってことはない。
しかしソラネは違う。
ソラネが国主をしていたころはMSL内でも頻繁にコンサートを行っていた。しかし、それを主催していたのはレコード会社であって、決してソラネの独断で行っていたわけではないのだ。
それは国主が俺になった今でも変わることはなく、俺の一存では判断できかねる。
まあ、井上さんに頼めば案外簡単に許可はくれると思う。しかし、季節も夏に入りソラネの仕事も忙しくなってきた今、スケジュール的にも難しいだろう。
「それは私も充分わかっている。しかしな、国民から要望として受け取ったものだし、国主に報告しないわけにもいかないだろう?」
「わかってるよ。目を通しておく。毎回ありがとな」
「守護者として当然のことだ。……ところで、そこで机に突っ伏しているお宅の会長さんはどうしたんだ?」
「……あはは」
俺は先程から机に突っ伏している会長を見ながら乾いた笑みを浮かべる。
「また増えたのか?」
「ああ、毎日ログインする度に頭を抱えてるよ」
会長がこんな状態になっているのは、もちろん彼女に与えた仕事が原因だ。
合併が成立したニュースは掲示板やサイトを通して瞬く間に広がった。その規模は日本のみに留まらず、海外にまで発信された。
その結果生まれるのが所属申請の荒しだ。誤字ではない。まさに荒らしのごとく所属申請が舞い込んでくるのだ。
今うちの国へ所属すればもれなくアッキーと対峙することになるのだが、そんなことはお構いなしだ。日本全国、全世界から所属申請が届く日々、そうなれば負担が大きくなってくるのはもちろん会長である。
「やっぱ、あれだけ報道されればこうなるよなぁ」
「そうだな。私が絡んでいる以上、全世界を巻き込むことは確実だったわけだしな。それに、国が大規模になったことで新たに生まれた要因もある」
「所属特典か」
「そうだ」
MSLには領土や国に所属していると様々な特典がある。
それは国の規模に比例して豪華になっていく。
そして、多くある特典の中でも今回の事態を大きくしている要因がある。それが金銭に関わる特典だ。
領土に所属している人間には、領土の規模によって異なる額のMSL内共通通貨Gが給付される。半分程度の人間しか残らなかったとはいえ、それでも大規模国と呼ばれるにふさわしい人数を抱える俺達には、それ相応のGが給付される。それを狙っている人間も多く存在するということだ。
「うあぁ!もーやだー!リノにゃんはどこー!」
「うお、びっくりした。リノにゃんは仕事ですよ」
突然叫び声をあげた会長に驚きながらも俺は答える。
いつも会長のサポートをしてくれているリノにゃんは生憎仕事で不在だ。その為、今日は俺と会長で作業を行っていた。
「私も文化祭の準備で忙しいんだよー!今日だって仕事をやってから来たのに!ここでもお仕事なんて耐えられないー!」
「だから俺も手伝ってるじゃないですか」
「二人じゃそんなに変わらないよー!」
「はぁ……」
意識を取り戻したと思ったら駄々をこね始める会長に溜息を吐いてしまう。
まあでも、確かに二人じゃ対して変わらないかもしれない。かといって今日は多くの中心メンバーが席をはずしている。
リンネはテスト前ということで勉強に専念させており、ケイトと雅人は合併した領土へ楽器関係の調査に行ってもらっている。
「大変そうだな」
「いかに他の奴に頼ってるのかってのを痛感させられるよ。ソラネ、サヤさんは忙しそう?」
「そろそろ、家に着くころだろう。そのうちログインしてくるんじゃないか?」
「そっか。ログインして来たらメッセージでも送ってみるか」
サヤさんとはソラネのマネージャーである立塚さんのことだ。
元々ソラネのサポートをしていたこともあり、現在でも守護者であるソラネのサポートをしてもらっている。しかし、今回のような場合にこちらを手伝ってもらうこともあるのだ。
流石本職のマネージャーなだけあって、作業速度には目を見張るものがある。今の俺達にとって大きな武器であることに違いない。
「本職のこともあって、迷惑をかけるのは心苦しいんだけどな……」
「本人も嫌がっているわけじゃないし気にしなくて大丈夫だと思うぞ?私と作業をしているときでもこちらの様子を聞いてくるからな。むしろ呼ばれるのを待っている気さえするね」
「そうか。今度お礼しとかないとな」
お世話になりっぱなしというのも気が引けるしな。
「それでは、私は明日も早いし帰らせてもらうよ。また連絡する」
「了解。おやすみソラネ」
「おやすみ」
「おやすみー」
挨拶を交わすとソラネはログアウトしていった。
「忙しそうだねー」
「まあ、世界に羽ばたく大人気アイドルですからね」
ソラネの忙しさは立塚さんからもよく聞いている。
それでも、こうして報告に来てくれることには感謝している。
「そういえばラク君。文化祭のコンテスト系企画のエントリーが一つも確認されていないんだけどー?」
「あー。今回は出場しない方向で進めてもらえます?」
「去年の事もあるし、今年でないからって効果があるとは思えないんだけどなー……」
会長の言う通り、俺はコンテスト系企画にエントリーしていない。
多くの関係者に囲まれるのを防ぐためだ。もちろん効果があるとはこれっぽっちも思っていない。しかし、それでもいいのだ。今回、俺がエントリーしていない本当の理由は他にある。
率直に言うと、理事長にエントリーの自粛を依頼されたのだ。
俺は去年、五つあったうちの三つのコンテストで優勝した。そのインパクトが大きすぎて、他の生徒にスポットライトが当たらなかったのだ。要するに、生徒の可能性を生徒が潰してしまったということである。
「理事長も酷なことするよねー」
「適切な対応だと思いますよ?音楽はいついかなる時も楽しめないとだめですから」
「それじゃ楽斗君が楽しめないじゃない……」
本当の理由を知った会長は暗い表情でそう小さく呟いた。
普段はだらけている会長だが、学校のことや生徒のことをよく考えてくれている。
生徒が楽しめるようにイベントを多く企画したり、文化祭を盛り上げようと会議には毎日参加している。実際、去年に比べてイベントの数は格段に増えている。
そのことをわかっているからこそ、生徒はこの人を嫌うことができないのだ。
「奏でるだけが音楽の楽しみじゃないんですよ、会長。今回は聴くことで音楽を楽しもうと思います。会長の演奏も楽しみにしてますよ」
「……わかった」
暗い表情はそのままで頷く会長に苦笑いを浮かべながら頷き返す。
「でも、選抜合唱には出るんでしょ?」
「あ、はい。選ばれればの話ですけど」
「選ばないとそれこそ苦情が入るよー」
文化祭の大きな目玉イベントとして選抜合唱というものがある。
選抜合唱とは、全学年の中から百人を選抜し合唱隊を編成するというものだ。全校生徒三千人の中から選ばれた百人の精鋭達の合唱は毎年大きな注目を集めている。
もう既に何人かは発表されており、俺の友人も何人か選ばれている。その中には会長や雅人も含まれている。
巷では選ばれることが確実と言われている俺が未だ発表されていないということは、上でぎりぎりまで協議しているのだろう。
「まあ、なるようになりますよ」
「てきとーだなー」
「あなたに言われたくありませんよ。さて!仕事しますよ!仕事!」
「うぇぇ……」
そこでメッセージが届く。
「お、サヤさんが来てくれるようですよ」
「やったー!」
これで、少しは楽になりそうだ……。




