盥漱-1
何故か最近スランプなようで、ようやく投稿まで漕ぎ着けることが多いんですよね。この話だってかなり時間がかかっての制作でした(´・ω・`)
色々な悩みが渦巻く中、童話で心を癒やされたいなと思いました。
小さな鐘音が辺り一面を敷き詰める頃、オレンジ色の景観たちは妙に陰鬱な雰囲気を露わにする。光沢さすらも消え失せる黄昏時、一人の少年が小さな歩幅で校門から駆けていく。
少し強張った表情をした少年、水沢涼平は小さな路地を器用にすり抜け、寂れた森の入口へと足を進めた。彼は、とある目的を持って森のなかを進んでいた。
とは言っても、寂れた森の入口に通うことが彼の目的ではない。彼の目的は、そこから更に進んだ『秘密基地』の中にある鏡だった。
誰しも小学生の時、何処かに自分たちだけの秘密基地や隠れ家を見つけてそれを仲間内で共有しあうモノ、そんなものであるはずだった。だが、水沢にとっての『秘密基地』は少し違っていた。
彼にとって重要なのは、その中にある鏡だった。ホームレスが住んでいたような段ボールで出来た掘っ立て小屋の内部、その場には明らかに不釣合いなアンティークでお洒落な壁掛けタイプの鏡がぽつりと置いてある。
不気味ともとれるその光景は、水沢にとっても恐怖だった。それでも水沢がそこに通い続けるのは、とある絵本が原因だった。
読書好きで室内で遊ぶことの多い男の子だった水沢は、休み時間はいつも図書室から借りた本を読んでいた。ほぼいつも借りた本を読んでいるため、殆どの本は一日二日で読み終えてしまい、図書室内にある本は粗方把握しているほどだった。
最初のうちはお気に入りの本を何回か見ていた水沢だったが、次第に読む本がなくなってくると図書館の奥側や貸出のされていない本を読み始めた。勿論、担任に閲覧許可を取り、図書室内で本を読むようになり、みたことのない本に触れる機会が増えていった。
そんな時、水沢はとある絵本に出逢った。その本は他の本と少し異なり、貸出用のバーコードもなければ貸出禁止のマークもない、そればかりか学校の判もなく、誰かがこの図書室内に持ち込んだもののような本だった。不自然な点はそれだけではなく、作者も発行日も何も書かれていない。表紙には様々な色の絵の具を白紙の紙に垂らしたような色彩にタイトルだけという異常なものだった。
水沢はそんな不気味で奇怪な絵本に何故か惹かれて、その本を手にとってパラパラとページを捲った。本のタイトルは『下舂の鶉衣』と漢字表記されていて、水沢には読むことが出来なかったためそのまま無視してページを捲った。
だが、数十枚あるページのほとんどは白紙で、唯一何かが書かれていたページは最初の見開きページだけ。主人公と思しき男の子が、楽しそうに鏡に手を触れている絵だけがそこに残されていた。
その意味不明な絵が残された絵本は、担任すらもその正体を知らずに、今も学校の図書室の片隅に残されている。
その夜、水沢は不思議な夢をみた。学校から帰る途中、見覚えのある通り道を歩いて寂れた森の入り口を歩き、その近くにあった手作り感たっぷりの掘っ立て小屋の中にある鏡に触れた。その瞬間に映像は途絶え、夢から覚めた。
幾分不思議な夢で、リアリティを残しつつも夢だと認識している、一般的には明晰夢と呼ばれているようなそんな感覚の夢だった。そしてその光景を、水沢は見覚えがあった。あの絵本の最初のページ、唯一描かれていたページのものと全く同じモノだったのだ。
不思議なことはこれだけにとどまらず、あの絵本にも不思議な変化が生じていて、次に取るべき行動と言わんばかりに『下舂の鶉衣』の絵本には次のページが刻まれていた。
そこに描かれていた行動は、鏡に触れて強い光に包まれる自分に姿だった。
その光景を見て、水沢は夢でみたあの森に行くことを決心した。好奇心もあったが、何故かその鏡に触れなければならないような気がして、何かに駆り立てられるように水沢は森へと駆けていった。
***
生い茂る草木をかき分け、小さな歩幅を必死に前に突き出す水沢が『秘密基地』に辿り着くことが出来た頃には、宵闇が辺り一面を埋め尽くす頃合いで、夜の帳が下りかけた時だった。
既に辺りは顔を見せ始めた月の光に照らされて薄明かりをきらきらと反射させている。そんなものには目もくれず、水沢は『秘密基地』の中にある鏡を見つけ、すぐに鏡に駆け寄って、その鏡を覗き込んだ。
「(……確かに、あの絵本の鏡だ)」
とりあえず触れてみたり、縁の装飾などを確認してみると、やはりそれは自分がみた絵本の鏡と全く同じであると分かった。非現実的な明晰夢の世界が徐々に現実に迫ってくる中で、水沢は恐怖心と共に強い好奇心を抱くようになった。あの絵本の続きがこの中に広がっているかもしれないし、それはどんな世界なのだろう。考えるだけで水沢は心は高揚していった。
だから、あの時の自分と同じように鏡の前に手を翳し、そっと瞳を閉じて絵本の中の光景をそっと思い浮かべてみる。あの時の自分は確かにこうしていた。ゆっくりとした動作で、ガラスのような鏡に自らの姿を映し、そのまま目を閉じて祈っているように。
「何も起こらないしれない、だけど、なにか起こるかもしれない……でもいい」
誰もいない『秘密基地』に水沢の声だけがこだまし、やけに響いて聞こえてくる間には、既に水沢の姿はそこになかった。その場から一瞬にしていなくなったと表現するのが一番正しいのかもしれない。
残響する彼の声は、彼自身の耳に届くことはなく、そのまま靉靆とした空へと散っていった。
一方、水沢は見覚えのない公園で目を覚ました。今までの出来事がまるで夢だったかのように虚ろな視界をこすりながら、目の前に広がる景観をまじまじと見つめた。
「あれ……僕は何処に...? ていうかこの場所、なに?」
水沢の、目の前に広がっている世界への最初の一言がそれであり、現在の状態への率直な疑問であった。
それもそうだ。水沢が見ている世界はいままでいた『場所』とはまるで違う、何かが狂いながら何かが混在するものだったからだ。
ルービックキューブが乱立したようなジャングルジム、異様な方向に拉げつつもしっかりと降りることの出来る滑り台、綺麗に二つに折り曲がったシーソーなど、公園内の遊具はすべて婉曲的なものへと変わっており、抽象的で極めて異質な公園内だ。
近くの遊歩道に植えられた木々たちは海藻のようにふわふわと無重力に空を漂い、タツノオトシゴのような枝が様々な方向へと散らばっている。天気は晴れているのにも関わらず、雨や雪が入り混じったようなみぞれが天空からひらひらと舞い降りては地面へと散っていく。その奇妙なみぞれに、水沢は手のひらを翳すが何も感じず、手のひらに水滴すら残らなかった。
「……もしかして、あの本の中? それとも、夢?」
少しだけ不安に感じたのか、水沢は声を出しながらあたりを見渡した。見たことのない光景が乱立している。人はいるようだが、その人さえも異形なもので、様々なヒト型のものたちが遊歩道を歩いている。
本来では正常であるはずの姿をした水沢が、自らの体を見て場違いな雰囲気を出している程狂気に包まれたその町並みについて、水沢は直感的にあの絵本の中に入り込んだのだと考えた。
きっとこの異質な世界は、あの絵本で自らが鏡に翳した手のシーンの後の状態を自ら体験しているのだ、そう考えると今までの不安もなく、冷静にゆっくりと腰を上げた。
どこかよくわからない、というか形容することの出来ないような色合いをした空からはなにか糸のようなものが幾つも垂れ下がっていて、その先には星形の紙切れが幾つもぶら下がっている。まるで紙芝居で使う夜の背景のようなものだ。それなのに月だけは本物のようで、遥か遠くで虚ろげな光をあげている。
やけに明るい月明かりしか照らすものはなく、嫌な光沢が妙に乱反射している不気味な公園だ。だが、水沢はその狂った世界は心地よく感じた。
揺籃の中で眠るような心地よさ、言葉としての表現ならばそんなところだ。
そんな奇妙な感覚と共に、何処か遠くから押し寄せるようなサイレンの音が聞こえてくる。それは警告音のブザーというよりも、人の声の音域をいじったような低く重いものだった。
「(なんだ……この音....すごく不安になるっていうか)」
断末魔のような鈍く、そして低い音は水沢に気味の悪さと不安感を与えてきた。先ほどまでの揺籃に包まっているような感覚とは程遠く、一気に床に叩き落とされたような感覚だ。
しばらく鳴り響いていたサイレンの音は、徐々に音域が調整されて人の声が聞こえてくるようになった。その声は、非常に重苦しく、狂気的な声だった。
『…………理解したまぼろしが、ソンザイをそこに存在させる。そこに存在していることすら理解できなくなれば、私という存在がきっと消えてしまうだろう。同化するソンザイはきっと私……』
地の底から響き渡るようなその響声は、何かに語りかけるようにまたブザーとして消失していった。その気味の悪さは折り紙つきで、水沢は全身に鳥肌が浮き出て、無意識に体をこわばらせて腕を組んだり、顔に手を当てたりして緊張を必死に沈めようとした。
水沢はその声の意味には着目しなかった。その声の主が誰なのかということで頭がいっぱいで、言葉の意味までは考えなかった。小学生にしては思慮深い水沢でさえ、その言葉を意味を深く探ろうとしなかったというものは、本人が異常な恐怖を感じていたことに他ならなかった。
奇怪過ぎるブザーの音色は、一度聞き取れる様になるほど音域が変わった後に再び地の底まで響き渡るような鈍く重苦しい音へと変化して、次第に消えていった。あまりにも異常で気持ちの悪い音色に、水沢はその場にへたり込んだ。
「(なんだろう……すごい、気持ち悪い)」
全身に残っている異常な倦怠感、耳の中に残る奇怪な波長、そのすべてが吐き気のような症状となって現れて水沢の躰を侵した。いつの間にか深々とした霧が囲繞し、公園内は靄然としていた。
躬に残っている倦怠感や披露を吐き出すように、水沢は荒く呼吸をして、近くにあったベンチまで躰を這わせて座り込んだ。
鉄とも木とも取れない妙な感覚がするベンチにそっと腰を掛けると、異質な光景の広がっている視界を閉じて未だに激しい動悸を整え、リラックスするように手をベンチ全体に広げた。
すると、ベンチの端に触れていたはずの手のひらの感覚が本の背表紙のような感覚に変化した。水沢は一瞬何か段差のようなものがあるのではないかと勘違いしたが、少しして手に触れたものが厚めの本であることを理解した。
「この本、あの絵本だ」
その本は、この異質な世界に来る実質的なきっかけとなった絵本だった。水沢には読めない題名だったが、自らと似た少年が主人公で他のページが何も書かれていない不思議な絵本だ。
自らが手にしたのがあの本だと理解した水沢は、すぐに絵本を手にとって中身をみた。すると、水沢の予想通りその絵本には新しいページが書き加えられていて、白紙だったはずのページは鮮やかな色彩の絵が書かれている。
その内容は、ベンチに座っている自分が、何か黒い物体と話しているような光景で、このベンチから見える光景が鮮明に描かれていた。ベンチのすぐ後ろには植物と言っていいのか迷うほど奇怪に拉げている木や、そのさらに後方に広がっている遊歩道、それらの光景が明瞭に描かれている。つまり、この絵本に描かれている場所は、今まさに水沢が座っている場所だった。
そのことに気がついた時には、同時に何かの気配にも気がついていた。その気配の正体は、自分の隣に見えている黒いモヤのようなものだということに気がついたのは、更に少し先のことだった。
ここまでご覧くださった皆様、ありがとうございました。
最近何故か文字がかけなくなってきてしまい、言ってしまえばスランプのような期間なようです。なので低かったクオリティが更に下がることが予定されています。
「暇つぶし程度に見てやるか」みたいな気持ちでご覧頂けることを願っています。次もよければご覧になっていただければ幸いです。